今日は、古代マヤ暦では『コンドル 6』(サルトレセーナ)

 

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この上差し加工、面白いニコニコ

ゆーじん達は、無事ギリシャからロンドンに着いたようですウインク

 

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昨日の記事(「ホゼ博士は“復元”してない」)、たくさんの方に読んでいただけてありがたいですおねがい

 

 

昨日も書いたし、たびたび私が言う

「“マヤ暦”と呼ばれるメソッドを学んで起こった葛藤」

って、ナニ?って思う方もいらっしゃるかな?

 

と、思い

“私の”場合の葛藤を書いてみようと思います。

 

 

私が抱いた葛藤のもと(?)は、「人に伝えられない」ということでした。

 

「人に伝えられない」ってどういうこと?って思うよね(笑)

 

 

私は、“マヤ暦”と呼ばれるメソッドが古代のマヤの暦ではないと知った時

もう、それを“マヤ暦”とは呼べなくなったし

それを“マヤ暦”として人に伝えることができなくなりました。

 

自分が学んだものが本当のマヤの暦ではなかった…と知ったのもショックだったけど

それ以上に、それを“マヤ暦”として多くの人に伝えてしまったことがもっとつらくて…ショボーン

 

 

しかもそのメソッドは、ホゼ博士の考案された新しい暦をそのまま伝えているわけでもなくて

ホゼ博士のカウントや定義を、独自に解釈・改定しているから、「13の月の暦」でもない。

 

だから、「ホゼ博士の暦」としても伝えられない。

 

 

あんなに楽しくてワクワクして好きだったのに、「マヤ暦すごいでしょう~?」ってもう言えなくなっちゃった。

「赤い龍はね音譜」とか「白い風って紋章を持つ人はね音譜」とか

「わぁビックリマーク神秘キン同士だ~音譜」なんていう風に言えなくなっちゃった。

 

だって、古代のマヤの暦じゃないんだもん。

間違ったことを人に伝えるなんてできないよ。って思って苦しくなったのです。

 

 

とはいえ、別に私は

すべての人が「古代マヤ暦」に移った方が良いなんてさらさら全く思っていませんウインク

“私は”、古代のマヤの暦が知りたかったからさまよったけど

ホゼ博士の暦を深く学びたい人もいるでしょうし

いろいろ事情を知った上でも、“マヤ暦”が良いという人もいるでしょう。

 

それは誰も強制できないもんね。

 

 

 

例えば、自分はそこが「銀座」だと信じていたので

たくさんの外国からのお客様を、「ここが銀座です」と案内していたら

実はそこは本当の銀座ではなく、「〇〇銀座」と呼ばれる界隈だったと知ったとします。

(そんなマヌケはいないけどwww)

 

その界隈ってすっごく楽しくて、お店もいっぱいあって

界隈の人たちもとっても魅力的で、自分としては大好きなところ。

 

だけど、本当の「銀座」ではないと知ってしまった以上、もうそこを「銀座」としては案内できないし

今まで案内してしまった外国人の方たちに、間違った思い出を与えてしまって悪かったなと後悔するし

でも、案内の仕事をしている上で、その界隈には行かなきゃいけなくて、どうしようと悩みます。

 

 

一方、他の友達は

「この界隈は、本当に賑やかだし楽しいし、別に“銀座”って案内してもいいじゃん。

それに、今まで案内した人たちはもう会うことも無いし

あの時すっごく楽しんでたんだから、気にすることないんじゃないの?

だいたい、本当の“銀座”は遠いし、通りもあれこれややこしいし

そっちに行く方が大変じゃない」

って考えです。

 

うん。

それはそれで私は何も言えない…よね。

友達の考えに賛同はしないけど、そう思ってしまっているなら仕方ない。

 

 

それに、みんながみんな“銀座”に行きたい人ばかりじゃない。

 

「“銀座”まで行くのは遠いし、乗り換えも複雑だし…

それならこの界隈で“銀座”に行った気持ちになるからそれで良いよ」って人もいるわけで。

そういう人の首に紐かけて。無理やり“銀座”まで連れて行こうとは思わないし

それは互いのためにならないし。

 

でも、そういう場合でも、「ここは本当の“銀座”ではなくて

この辺りでは“銀座”のように賑やかだから“〇〇銀座”って呼ばれているところです」

という説明をして納得してもらった上でのことだと思ってるけど。

 

 

 

…書いててだんだんややこしくなってきた(苦笑)

 

 

つまりは、“私は”ホントじゃないことをホントのように言えないってこと。

 

「銀座」じゃないのに、「銀座です」って案内できないってこと。

古代のマヤの暦じゃないのに、「マヤ暦」とは言えなかった ということ。

 

 

それが“私”にとってのいちばんの大きな葛藤でした。

 

 

でもね、もっと別の葛藤を抱く人もいると思います。

それはそれで間違いじゃないよ。