Số 134 誕生日企画!ティカルって何者ぞ!? | よろず屋 りんどう  ~お悩み相談所~

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今日、誕生日なんです。

42歳になりました!

おめでとう🎉
自分で言う痛いヤツ!

よーぬけぬけと42年も生きてきたよね、我ながら💦
もう笑うしかない🤣





誕生日なので、

今まで放置してきた、

スルーしてきた、

自己紹介、、、。

自己紹介をしつつ自分の人生を顧みてみようと思う。





最近、よく聞かれるのは、

 

そもそも何でベトナムに住んでいるの?

え?!旦那さんの仕事の都合じゃないの?

と、びっくりされる事が多いので、

今、なぜベトナムに住んでいるのか?!

について、主に書いていこうと思う。

 

自己紹介は、サラッと箇条書き!
結局、書いてみたら箇条書きに収まらなかった🤣









ティカル(佐賀人香織)
どっちも本名じゃない🤣





🌟ティカル略年表🎵


福岡県久留米市生まれ、

佐賀県鳥栖市育ち。



兄、弟の3人年子兄弟の真ん中。

年子3人だから、小学校はもちろん、

中学も高校も同じ学校に兄弟全員大集合!🤣

大学で初めてみんなバラバラの学校になる。





高校生の時、部活(中学からずっと吹奏楽)の七夕の短冊に

エンジニアになる!

と書いたのは、そういえば叶っている。
最近気づいた。





大学は地元の佐賀大学に進学。

理工学部都市工学科、女子率1割

この時期ぐらいから周りの女子率が減り続ける。
女子の嫌われ者なわけではなく、仕事上の話。

ちなみに、酷いときには、女子率1%未満だった。

数百人の男どもの中に紅一点の女1人。

そんな中で働き続けた。

今も同じ仕事なので環境はあんまり変わっていない。

ずーっと男性に囲まれて仕事している。

もはや、女じゃない?!

女捨ててる?!

馴染んでいる?!


男よりサバサバしているとよく言われる💦
男ってさ〜なかなか女々しいからな〜(ティカル目線)





新卒で福岡の建築設備会社に就職。

設備施工管理技士として、4年間働いた。

酷い時には、

 

最高 いや、最低か?!

 

月260時間の残業をこなしていた。

ちなみに、残業代はもらっていない。



家に帰らず、

 

日帰り温泉行って、

 

車に寝泊まりして

 

3日おきに家に帰る生活。

いや~、若かったなぁ〜、

女捨ててるな〜(遠い目)

もう、あんな働き方はしたくない!

って、思っていたのに、今も同じ業界で働くドM🤣



海外が好きで、1年に1回だけ会社にお願いして、海外旅行に行っていた。

行かせてもらってた、、、が正しいかな。

有給は使うべからず的な御時世。

10日間休みをもらうだけで、周りの目が怖かった。



1番行きたかったアフリカ。

たった10日じゃ行けない。

行くためには、仕事辞めないと無理だな。って思って、
このまま仕事続けたら死ぬな、、、っても思ったけどな!

どうせアフリカまで行くなら、

 

世界一周しちゃおー!!

って、軽いノリで世界一周へ。

2、3年で帰る予定が、4年間行きっぱなしだった。

世界一周中に行った国は92か国。


今現在では、104か国。


104か国中33か国はアフリカ。
当時は修行か!?ってほど辛いだけだったけど。今や一番のいい思い出💛





東日本大震災の翌月帰国。

ボランティアに行く目的で、

2輪250ccバイクで、

地元佐賀県から下道で二か月かけて

 

青森の大間まで行った。

各地友達に泊めてもらったり、

キャンプしたりしながら、

東北でボランティアして、

東北の夏の祭りを堪能して、

帰りは一気に高速で佐賀まで帰ってきた。
それでも丸4日かかった💦深夜大型トラックにカーブで巻き込まれそうになったり、SAにテント泊してたら粗大ごみ投げつけられたり、関門海峡渡った時には帰ってきた~!!って感動した。





そういえば、この時までは、

 

陶芸家になる気満々だった🤣
今もまだこの夢は諦めてない。

世界一周行く前に、半年間陶芸学校へ通った。

佐賀は世界的有名な陶芸の里だからね。

ティカルのお国自慢はこちら👇👇

 

 


毎日始発に乗って片道4時間かけて

 

佐賀県横断して学校に通った。

めちゃめちゃ楽しかった。





帰国してから、1年はバイト三昧。

『世界一周に行く!』と言って辞めた会社から、

 

バイトでいいから手伝いに来て欲しいと言われ、

 

元働いていた会社でくっそ安い時給で働きまくる🤣

そのCADオペのバイトと平行して、

 

やってみたかった旅行の添乗員にも挑戦!

添乗員になるための試験は100点だった🌸
旅行知識は旅行で既に完璧!




元会社でCADオペのバイトをしたのが、運の尽き💦
 

じゃないが、

 

ここでまた現場の仕事を垣間見てしまったことで、

また現場の第一線で働きたい!

という、熱が湧き上がる。
やめときゃいいのに💦



思い立ってすぐ、転職活動を開始。

開始その日に面接が決まり、

その面接で内定と東京行きがすぐ決まった!

(運命に)呼ばれている時は、決まるのが早い。

トントン拍子に決まる!
ベトナム行きが決まった時も同じ。





31歳にして、初めて地元を出て一人暮らし。

独りで世界を周ったことはあっても、

1人で暮らしたことはなかった。

一人暮らしするのが憧れだった。

先に世界一周しといて良かった。

それまでの私は、家事なんてしたことがなかったから。

専業主婦の母におんぶに抱っこで27年間生きてきて、

 

料理なんて全く作れなかった。

生きていくために旅行中料理を覚えた。

煮物を覚えたのは、ヨーロッパ🤣
見栄張って外人の友達に料理振る舞うために。

この経験により、

 

若者は、早めに一人暮らしを体験するべきだと思う。

息子コパン(現在4歳)がそうなる頃に、

 

私が息子離れ出来ているかどうかは置いといて💦





12年半付き合った彼氏と別れて、

1年後、今の夫と1年つきあって結婚。





34歳で入籍

36歳の時、宗像大社で神前式、

海の見えるホテルで披露宴。
今思うと、和と洋のギャップ🤣統一感ゼロ!





37歳の時に、息子コパンを出産。

産休を得て、仕事フルタイム復帰。

仕事と育児と家事のフルコース。

もう本当にいっぱいいっぱいで辛かった。





そんな時に、インド在住の日本人家族と出会う。

2018年3月のことである。



彼女は、インド大好きで、好きすぎるあまり、

 

夫と子供3人連れでインド移住していた。

彼女と話していて、私は思い出した!

思い出してしまった!

仕事と育児と家事に疲れきっていてすっかり忘れていた。

あー、私、海外で働いてみたかったんだ!
 

そこからは、早かった。

すぐに転職活動開始。

その翌月、第一希望の1社目に夫が内定。

インド行きが決定!

流れに乗ったらトントン拍子!ってやつ!(2回目)

彼女と出会った1年後、

 

2019年3月、私達はインドにいた。



私はインドに行ったことはあったけど、
ちなみに、夫はインドに行ったことすらないのに、あのインド人(←失礼!)と働き始めたのだ!

特にインドが好きなわけでもない。

彼女からインドの良さを聞くにつれ、

ちょっくら行ってみっか!

って、軽いノリで移住した。

しかも、1人じゃなく、夫と息子を連れて。



『インドに移住する』と家族に伝えた時、

 

全員に反対された。

『それだけはやめてほしい』義母に泣かれた。



私の家族ももちろん全員反対だったけれど、

 

私は世界一周の時もそういう反対圧力の中出発しており、

 

どんだけ反対されたところで行く!

 

というのは私の中で変わらなかった。

私の家族も、すでに一度経験済みなので、

 

反対してもどーせ行くんだろ?って諦めた感じだった🤦‍♀️

ただ義母に泣かれたのは、中々辛かった。



今回は、世界一周時と違って、

 

義母に反対されたまま行く選択を私は出来なかった。

わかってもらえるまでとことん話した。

最後は、あなた達の人生だから楽しんでらっしゃい!!と、送り出してくれた。





インドに移住した頃、

息子は2歳になったばっかりだった。

ホテル暮らしで、

 

生活の物が揃っておらず

 

キッチンが使える様になるまでの1か月、

 

息子は食が合わず毎日ずーっと吐いていた。

日本食を作るようになってからは、これがやっと落ち着いた。

この話をすると、

よくそれで帰らなかったね💦

みんなに呆れられる。



インドで、私は仕事を探しを開始。

これがもう、本当にうまく行かなかった。

トントン拍子って何?!って感じだ。



そもそもインド文化と日本文化はあまりに違いすぎて融合できない。

インド進出しても、馴染めず撤退する日本企業が多い。

今でこそ、ベトナム企業で働いているが、

 

当時は海外で働いた経験もなく、日系企業しか視野に入っていなかった。

今まで積んできたスキルを試したくて日本を出たのに、

 

スキルを活かせるどころか

 

未経験職種で転職活動をしなければならない程追い込まれていた。



その頃家計を支えていた夫は、会社の社風が合わず、

 

就業初日から毎日辞めたい辞めたいと言っていた。

あんなに仕事が好きな夫が、会社が変わっただけで、この有り様。

はやく辞めさせてあげたかった。

その状況も私を追い込んでいた。



転職活動2か月目。

受けても受けても落とされる日々。

ただその会社と縁がないだけなのに、

 

落とされる度に自分自身を、

 

私という人間を否定されたかのように追い詰められていった。

 

希望を持って来たインドで

 

転職活動がうまく行かず

この時の私はどん底だった。



そんな時だった。

インドに行く前に少しやり取りしていたベトナムの方から連絡が来た。



日本でインドの転職活動をしていた時、

 

インドと平行して、全く興味はなかったが、

 

アジア5か国に履歴書を送ってみたことがあった。

 

全ての国から熱烈オファーが来てビックリしたのを覚えている。
 

それぐらい建築技術者、

 

特に私の専門の設備施工管理技士は人が足りていない!


この仕事やってれば、一生食えるんじゃね?

 

って気づいた瞬間だった。

海外でまで需要がある仕事だとは全く気づいていなかった。日本でも常に人手不足の業界。



その熱烈オファーの時、アジア五か国の中で、

 

ベトナムだけが何か気になって、

 

ベトナムにだけ返信したのだ。
他の国は無視🤣



ちょっとお話しませんか?!という軽いお誘いだった。

あまりに上手くいかず、

 

インドでの転職活動に疲れ切っていた私は、

 

気分転換しよ~ぐらいのノリだった。



ベトナムの建築業界の状況、

 

ホーチミンの住みやすさなど、

 

話を聞いてみて、

 

直感で面白そうだなと思った。

 

でも、永住する気満々で行ったインドからベトナムに

 

移動する気なんてさらさらなかった。

絶対にインドに住み続けたかった。





インドとベトナム、

 

平行して転職活動を続けた。

ベトナムで3社履歴書を送ったら、

 

全てすぐに面接が決まった。

 

どこも2次面接まで行った。


トントン拍子!久々来た!(3回目)
 

ベトナムで転職活動を始めて1か月経たずして、

 

内定が決まった。



この時期には、

 

インド転職の方もうまくいかない時期から抜けてきていて、

というか、おそらく転職活動のやり方がわかってきたんだろう。←遅っ!

 

書類で落とされることがなくなっていた。

 

ただベトナムのトントン拍子には追いつけず、

 

インド転職は途中で辞退することになった。


 

フライングで夫が仕事を辞めてきて、

 

その2日後に私がベトナムで内定をもらい、

 

ギリギリの綱渡り状態💦



本当に焦っていたので、

 

何処でもいいから

 

3社のうち1番最初に内定くれたとこにいくつもりだった。
動機が不純🤣

結果的には、

 

1番仕事内容的に行きたかった会社に決まった。
1年後に上司と馬が合わすクビになるとも知らず🤣



半年間、インドにお世話になった後、

 

このような感じでベトナムに移住することになった。



インドでは、夫が働き、私が主婦。

 

ベトナムでは、私が働き、夫が主夫。

1年くらい夫が主夫をしてくれていた時期があった。

 

今思い返してもこの時は本当に幸せだった。
今ももちろん幸せだけど。



家事を全て夫に任せて

 

私は仕事だけに集中出来た。


家に帰ればご飯が出来てる。


この幸せ💛は今でも忘れられない。
どんだけ家事嫌いなんだよ!🤣



という感じで、

私がベトナムに住んでいるのは、
 

ノリと勢いだけで動いた結果


今ここにいる。





ベトナムは住みやすいし、

物価安いし、

治安もいいし、

人も穏やかだけど、

一生住み続けるつもりはない。



インドからベトナムへ移住してきてわかったのは、

最初にインド経験しているから怖いもんないな!

ってことだ。

世界中何処にでも住めるな!

という確信が今はある。



これは、インド移住を経験した人にしかわからないかもしれない。

全てにおいてインドを超えるビックリはなかなかない。
 

だから面白くて好きなんだけど🤣



ベトナムに住んですぐの頃、

 

あまりの居心地の良さと

 

日本とそれほど違わないから(インドに比べると)
 

何ここ、日本?!
 

って、思ったし。





私は、今のところ日本に帰る気はさらさら無いので、

夫はいつでも帰りたがっている。

 

ベトナムに飽きたら、次の国に行こうかな💛

そんな感じで、家族を振り回して生きています🤣



現地にコネなんてなくても、

 

友達なんていなくても、

友達ぐらいすぐできる!

ノリと勢いだけで移住しても、

なんとか生きてる。

やれている。



夫のウシュマル、

息子のコパンの3人家族で、

現在も強く逞しく楽しく

ベトナムホーチミンで生きている。




最後までお読みいただきありがとうございます。