皆様こんにちは。

 

 

前回は父の実家のこと、母の病気、

それとまた兄への不満が出ましたね。

 

 

ちょっと前のブログでも愚痴ってしまったように

やりとりしているうちに何かしら

引っかかることが出てきてしまいます。

 

 

これが兄妹というものかもしれません。

 

 

前述の通り、母の乳がんは

あまりに大きくなってしまっていたため

すぐに手術というわけには行きませんでした。

 

 

「こんなん取ったら死んでしまう」ということで

まずは抗がん剤で患部を小さくします。

 

 

そして全身に広がっているかもしれない

小さながんの芽を除去する目的もあるとのこと。

 

 

そこで問題になったのが抗がん剤の量です。

 

 

母は人一倍小柄で、そのため

通常の治療を行ったところ抵抗力が下がりすぎて

髄膜炎を引き起こしてしまいました。

 

 

2〜3日の間、意識不明で目を開けても

私が誰かすらわからない。

 

 

「母の姿をした誰か」になってしまいました。

 

 

でも、四六時中「○られた!」という

夫への罵詈雑言を口にするよりは

 

「このままでいいか」という気持ちが浮上。

 

今のままのほうが心穏やかに付き合って

いけるのではないかと考えてしまったり。

 

 

結局その後元通りになり、ホッとしたけど

また始まるのか…と複雑な気分にもなりました。

 

 

というわけで

通常の治療では1ヶ月に1回のペースで

抗がん剤の点滴を行うのですが

 

母の場合

1週間に1回、量を調整して

抗がん剤の点滴を行うことになりました。

 

 

頻度半端ないわー、勘弁してよ〜

と心の中でまた泣くことに。

 

 

私の仕事の時間にできるだけ合わせてもらい

昼の勤務は早退時間が短くなるよう、

なるべく午後の遅めの時間帯に。

 

 

夜勤明けの日は

病院の廊下の長椅子で仮眠をとるという

無茶なことをしてましたね。

 

 

会計も出来るだけ早く済ませられるようにと

会計に提出する書類を看護師さんが

持ってきてくれたりと協力してくださいました。

 

 

そうしているうちに腫瘍も小さくなり、

ようやく手術ができる運びとなり

手術も無事成功しました。

 

 

でも手術が怖くてウジウジしていた母、

主治医に怒られたそうです。

 

 

そりゃそうです。

 

好きで病気になったわけではないのはわかりますが

周囲の人間(特に私のことだと思います)が

どれだけ振り回されているかを考えれば

 

早く処置してもらい、元の生活に戻ることを

考えるのが当然でしょう。

 

 

その当時は知らなかったのですが、特に高齢の方は

麻酔から覚めたときに意識が混濁してしまい

それが認知症につながってしまう場合があるとか。

 

 

確かにその後、

天井にあり得ないもの(子猫達)が見えると言ってみたり

通院の際に突然いなくなってしまい警察を呼ぶ事態に。

 

 

その時は、親切な方が母のただならぬ様子を見て

車に乗せ、話を聞いてくれましたが

内容がおかしいということで交番に連絡を

入れたようです。

 

 

とても有難く、御礼申し上げました。

 

 

その後もう一回徘徊してしまい、再度警察のお世話に。

 

 

その時も通りがかった方が民生委員さんに連絡をくださり

家まで送っていただきました。

 

 

そのとき以来、私も恩送りができるように

車を運転中には今まで以上に気をつけています。

 

 

その頃、脳にも癌が飛んでいることがわかり

放射線治療を行っていたのですが

 

「じっとしていられるかどうか」と訊かれ

(違う場所に放射線が当たるとそこにダメージが)

これは無理かもしれないということで

そちらの治療は中断となりました。

 

 

今後は認知症への対応が主になります。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

なかなか終わらない。

 

 

ついに手に入れたもの

 

 

 

 

 

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