自分と向き合う作業としての「ノートに書く」こと。

 

ノートに書くのはわかったけど、じゃあ、

何を、どのようにかけばいいの?

という質問がありました。

 

人によっていろいろなやり方はあるのでしょうが、私の場合は、

まず、なんでもいいので、

今日1日の中で「モヤッとしたこと」をノートに書く。

 

楽しい、嬉しい、良かったなあ、ということより、

イラッとしたとか、落ち込んだとか、

どちらかというと、マイナスな気持ちに動いた出来事の方が

記憶に残っているだけなのだけど・・。

 

そんなことを、あれやこれや、思いつくものをただ書いてみる。

時には、「なぜ、イラッとしたのかな?」という問答をしてみることもあるけど、

ただ書き連ねていることの方が多いかもしれない。

 

「書く」ことを続けているうちに、

自分の心の機微を、少しずつ、捉えることが出来てくるように思います。

 

それまでは、どんな出来事にマイナスの反応を示し、

どんなことだと、自分がプラスの反応を示すのか、

自分が何が好きで、何が嫌いで、

どんなことに嬉しいと感じ、どんなことだと嫌だと感じるのか、

人に合わせてばかりいたり、人の顔色を気にしてばかりいたり、

「こうじゃなきゃダメ」という思い込みや観念で、

自分の心に蓋をするうちに、

自分の感情を捉えることができなくなってくる。

 

私に質問をくれた彼女も、そうだったようで。

 

まずは、ちっちゃなことでもいいから、書くことをしてみる。

そしたら、だんだんと、「あ、こんなことに自分の心は反応するのか」ということを、

感じることができるようになってくる。

 

そうしたら、次は、

好きや嫌い

嬉しいや悲しい

怒りや笑い

自分の心を感じることができてくるようにきっとなる。

 

しょーもないことばかり考えてるなー、という場合も多いけど、

それも自分。

 

自分を客観視できるし、

自分が分からないな、という人は、まずはやってみたらどうだろう。

 

今朝観たNHKの番組。日曜美術館「秀と桜 海辺のアトリエ」の雑感。

 

現代美術家の高橋秀さんと布貼り絵本作家の藤田桜さんご夫妻。

お二人は40年、ローマに暮らし、アーティスト活動をされていたそうですが、

創作活動だけを考えたら、イタリアの方が適しているのは間違い無いけど、

残りの余生を、日本の若者を引っ張り上げることに使おうと、

帰国され、今、縁のある倉敷の海辺の町に住まわれているそうです。

 

おそらく、その原点となったのは、

洋画弾の登竜門である安井賞を受賞した後に、海外へ脱出したこと。

 

番組の中で、その当時のことにふれ、

「イタリアの同世代の芸術家との展覧会で、彼らの絵は荒っぽいが、

自己主張がある。それと比べて、日本人の自己主張のなさを感じて、

「自分の存在」をどこまで通せるか。表現の中にそれをいかに現すか」

ということを、心がけて創作をされているそうです。

 

その心は、

ご夫妻が私財を投じて設立した「秀桜基金」による、

若い芸術家の海外留学への支援活動にも繋がっています。

10年にわたり、若い作家達に、広い視野と自分なりの世界観を持ってもらおうと

海外へ送り出してきたのだそうです。

 

番組の登場されていた、お弟子さんが、

「自分にとっての栄養ともなり、物事の考え方も大きく変わるきっかけになった。

アートをすること、アートを見ることで、人々の心の肥やしをどんどん養って、

アートを見てそれで自分自身を大切にする。

自分を大切にしていくっていうことは周りの人も大切にできるという風にずっと

言われてます」

と、インタビューに答えていました。

 

高橋秀さんが、海外に飛び出したのは、賞を受賞したことにより、

逆に、自分が自由に満足のいく作品を生み出すことができなくなるから。

 

海外へ飛び出したことで、

「自分は自分」であること、

「自分」を作品に、どう具現化させていくかということ、

その大切さをより体感し、

 

日本へ戻ってからは、

「自分でいかに創造性を膨らませるか」

「技術を磨くだけではなく、個々の感性を伸ばし、自ら創造するクリエイティブな

精神を広げるか」

ということを、若い世代に伝えているそうです。

 

 

芸術家でなくても、

「自分が自分であること」「自分を大切にすること」はとても大切ですよね。

 

自分が感じることを無視しないで、自分の気持ちに素直になる。

 

人のせいにしたり、外に求めようとしたりするのではなく、

自分の内側で起こることに、ちゃんと向き合って、いく。

 

なかなか、そうは言っても、これまでの思考パターンや癖が抜けず、

すぐに変えることは、難しいかもしれないけども、ちょっとずつでも、

「自分の声」をちゃんと受け止める、

そんな機会を増やして行けたらいいんじゃ無いかと思う。

 

 

 

 

 

 

今の自分の状況を「変えたい」と思うなら、

 

まずは、小さなことでもいいから、

まずは動いてみよう。やってみよう。

 

頭の中で「でも・・・」とか「だって・・・」とか、

できない理由、やらない理由を

グルグルと思考を巡らせてばかりいないで、

 

まずは、やれることから始めてみよう。

 

例えば、

 

朝起きた時に、カーテンを開けて、朝日を浴びることから始めてみることにしたり、

メイクをする時に、鏡に向かって必ず1回は笑顔を作ってみることにしたり、

深い呼吸やストレッチで体を整えてから出かけることにしたり、

 

ちゃんと朝ごはんを食べることにしてみたり・・・

(起きて30分以内に食事をすると、財運がよくなるそうです)

 

1日の終わりに、ノートに自分の感情を書く時間を作ってみるとか、

瞑想でもなんでも、何もしない、自分一人だけの時間を確保するとか、

 

休みの日には、自然の中に足を運んでみる機会を作るとか、

週に1冊は本を読むことにしてみるとか、

 

今が嫌なら、それを変換するための行動を一つ取り入れてみる。

何も成し遂げた経験がないなら、コツコツ継続する経験をしてみる。

 

そして、手付かずにしていたもの、途中担っていたものを、完了させていく。

 

とにかく、何かをやってみる。

動くこと、やってみることで、壁にぶち当たることもあるかもしれないけど、

何もしなきゃ、それにも出会うことはなくて、

何か起きた時に始めて、気づくことがあったり、

それを乗り越えたことが経験になり、知恵となり、

それがいずれは、人に提供できる価値になる。

 

さあ、何からやってみようか。

 

 

 

 

 

 

 

風邪をひいたようで、かれこれ1週間ちょっと、咳に悩まされ、

ようやく、咳き込むことが減ってきて、体力も回復してきた。

 

咳や喉の痛みというと、

「言いたいことが言えてない」とか

「自分の思いを出せていない」とか

「ストレスを溜め込んでいる」とか

スピリチャル的な事象として、よく言われているけれど、

 

風邪で咳き込む前後の自分を翻ってみると、

 

そうかもしれない・・・

 

という心当たりがある。

 

自分の癖というか、やってしまうパターンとして、

「こういう風に振るまうべき」とか

「こうあるべき」という観念に、自分自身を縛ってしまう。

 

その「像」を達成するために、背伸びをしたり、いい人を装ってみたり、

自分が我慢すればいいとか、達成できない自分を卑下したり、

 

それは、結局、自分の中に黒い感情や言えないことや、

いろんな「モヤモヤ」を溜め込むことになり、

どんどんと負のスパイラルに落ちていく。

 

自分が勝手に作り上げてしまった「こう有るべき」という自分の姿は、

本来の自分からは、当然ずれているし、

自分の中に溜めたものが消化不良にもなっている。

 

今回の「咳が出て止まらない」という症状が出ることで、

自分自身の今の在り方に気づくための、

ずれている軸を軌道修正するための、

そんなサインだったと思う。

 

これは自分の癖なので、時々(しょっちゅうか?!)やってしまうのだけど、

それでも、以前と違うのは、そんな自分軸からずれている状況に、

気が付く瞬間を持てる様になってきたこと。

気がつけば、軌道修正がかけられる。

 

また軌道修正していこう。

 

子供のころは、

 

好きなことや、

やりたいことがクリアだったはずなのに、

大人になるにつれて、ぼんやりとしてきて、

 

しまいには、

自分が何が好きなのか、何が向いているのか、

何がしたいのか、わからなくなって、

 

人生迷子。

 

親に褒められるように良い子を演じたり、

世の中の「こうあるべき」というものから外れないようにしたり、

社会に出て周りの人と自分を比較して自分を繕ったり、

そんなことをしているうちに、

どんどん自分を見失ったような気がする。

 

どんな音楽が好き?

芸能人では誰が好き?

趣味は何?

休みの日は何してるの?

将来どうなりたい?

そんな、些細な質問にも窮する。

 

人と比較して、人の評価を気にして、

自分を取り繕って、自分軸からずれてるから、

自分に自信も持てないし、好きにも慣れなくて、

自分にないものばかりにフォーカスしてしまう。

 

ヒントは、日々の生活の中にきっとある。

毎日の中で、「好きなだな」と思うこと、

もう一度、自分に聞いてみよう。