こころ旅 その8 下 靭負神社 | 旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

スネコタンパコの、見たり、聞いたり、読んだりした、無用のお話

 概して、火野正平は昆虫には強い(といっても、香川照之ほどではない)が、神仏には滅法弱いようで、何年か前、福島だったか、宮城だったか、「高龗神社」の社名を見て、不能読、たまたま通りかかった近隣の住民に尋ねていた。尤も、この名を初めて見て、「タカオカミ」と読める人はそうそういないかもしれないが。

 栃木県の田川沿いには、高尾神社というのが多く見受けられる。この神社もまた高龗神を祭神とするが、おそらく、高尾神(たかおかみ)・社(しゃ)が高尾(たかお)神社となったのだろうと想像する。したがって、社名に高龗神社とあっても、氏子はみなタカオ神社と呼んでおり、そうとは知らず、わたしは、氏子総代にタカオカミ神社と発言したところ、ここはタカオ神社だ、とたしなめられた経験がある。

 

 

                   

                        栃木市木野地の高龗神社 これでタカオ神社という

 

 この神を祀る神社で、よく知られているのは、京都鞍馬の貴船神社だろう。この神社の南東840mほどのところに鞍馬寺があり、その本尊は毘沙門天である。

 閑話休題。では、靭負神社は何と読んだらいいのか、正平氏にわかろうはずもない。社名を見るたびに、何度もスタッフに訊くが、覚えられない。靭負はユキエと読む、というか、読ませているが、実は、誤りであって、本来、靫負と書かなければならない。靭(じん)は、靭帯というように、柔軟性がある、しなやか、を意味し、靫とは全く無関係な字である。

 靫(ゆき・ゆぎ)とは、矢を入れて、背に負う道具(矢入れ・うつぼ)のことをいう。これを背負って、宮門を守る者を靫負(ゆきおい・ゆぎおい)と称し、これが訛ってユゲイとなり、さらに、ユキエ・ユギエに転訛したと考えられる。

 ユキエには、比企郡小川町靱負のように、靱という字が使われ、靭負神社の靭とは微妙に異なっている。また、諸橋轍次の『大漢和辞典』には、これらとは別な字が載せられているが、こちらの字は、日本では、使われてはいないようである。
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 さて、長船靭負神社の祭神は天忍日命、御眞木入日子印惠命、天目一神、菅原大神、奥津比古命、稻倉魂神、豐受大神、磐長比賣命、大年神。

 天忍日(あめのおしひ)命は、『古事記』によれば、天孫降臨の際、ニニギの前に立ち、天津久米命とともに、先払いして、先導した神で、そのいで立ちは、《天の石靫(いはゆぎ)を取り負ひ、頭椎(くぶつち)の大刀を取り佩き…云々》とあり、靭負神社の名がこの神に由来していることは明らかである。

 天忍日命は、『新撰姓氏録』では、《高皇産霊尊の五世の孫天押日命》、『古語拾遺』では、高皇産霊尊の娘、栲幡千千姫命の子となっており、違いはあるものの、高皇産霊尊の系統を受け継ぐことだけは確かなようである。

 高皇産霊尊については、『日本書紀』顕宗天皇三年に、つぎのような記事がある。

 阿閉臣事代(あへのおみことしろ)が天皇の命令で、任那に使わされたとき、月の神が人に憑いて、つぎのように述べたという。

《「我が祖(みおや)高皇産霊(たかみむすひのみこと)、預(そ)ひて天地を鎔造せる功有(こうま)します。」》

 高皇産霊尊は、溶けた金属を鋳型に流し込んで、天地を創造した、というのである。このような鍛冶伝承を持つ高皇産霊尊を祖先神とする天忍日命が《天の石靫(いはゆぎ)を取り負ひ、頭椎(くぶつち)の大刀を取り佩き》ニニギを先導したというのは当然といえば当然であった。

 つぎの祭神として取り上げられている御眞木入日子印惠(みまきいりひこいにえ)命とは、崇神天皇のことで、ここに祀られているのは、いわゆる四道将軍の伝説に因んでいるのだろう。四道将軍のうち、吉備津彦は吉備の国に派遣され、《真金吹く吉備の中山》にその陵がある。吉備津彦を祀る吉備津神社には、かれが討ち取ったという温羅という鬼の首が封じ込められている釜殿がある。温羅伝承も鍛冶伝承であり、《真金吹く吉備》は鉄と切っても切れない関係にあったようだ。