百合地と砂金 | 旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

スネコタンパコの、見たり、聞いたり、読んだりした、無用のお話

 つい先日、NHKで、カバン職人を目指し、兵庫県豊岡市に移住してきた若者を取材した番組があった。たまたま、その日、父上が豊岡市出身という人と会う約束があったので、父上の実家は豊岡のどこなのか訊いたところ、「円山川沿いのユリジというところ。」だという。どういう字を書くのかと問うと、「百合地」だという。一瞬、わたしの頭に、那須郡那珂川町健武の健武山神社が思い浮かんだので、間髪入れずに、円山川で砂金が採れないか、と質問してみたが、「わからない。」の返事であった。そこで、携帯に、《円山川 砂金》で検索をかけてみると、ヤフオクで、円山川水系天然砂金の出品が出てきた。

 百合地は、正しくはユルジと読むらしい。ユルも、ユリも同じだが、ユリと間違った読みがわたしには幸いしたようだ。なぜなら、わたしは、ユリから、即座に、「ゆり金の里」を連想したからに他ならない。

 

    

 かつての馬頭町役場(現那珂川町役場)付近から、県道52号矢板那珂川線を北東方向へ進むと、馬頭と健武との境界付近から、道路端に「ゆり金の里」の幟や看板が目に付くようになり、やがて、進行方向左側に健武山神社が現れ、そこに「古代産金の里」の石碑が建っている。これを説明する石碑にはこう記されている。

 

    

 

    

                               健武山神社

              

 《奈良時代の天平十九年(七四七)奈良に大佛鋳造が始められ 佛像に塗る黄金に不足し聖武天皇は大層お悩みになられた この年下野国から黄金の発見が奏上された これがわが国最古の産金である この地の黄金は長年にわたって朝廷に献上され 大陸文化の輸入に役立った のち 平安時代の承和二年(八三五)黄金を産する山に鎮座する武茂の神に従五位下の位が授けられた かくの如く この地はわが国最古の産金の里であった これを後世に伝えるため「古代産金の里」の碑を建立するものである

            昭和六十三年三月 天生目順一郎》

 確かに、『続日本後紀 巻第四』「承和二年 戊戌」の項に《下野國武茂神奉授従五位下。此神坐採沙金之山》(下野国武茂の神に従五位下を授け奉る。この神は沙金を採る山に座す。)とある。

 健武(たけぶ)山神社を武茂(むも)神というのは、おそらく、武部・健部(タケベ・タケルベ)、つまり日本武尊の御名代部を音読みした「ムベ」からきているのではなかろうか。ちなみに、健武山神社の祭神は日本武尊と金山彦命である。これを見ても、日本武尊の御名代部とは、尊の幼少期の名、小碓命が示すように、鉱山開発部隊をいうのではあるまいか。

 

    
                                    武茂川


 健武山神社の前を流れる川を武茂川といい、今も、運がよければ、砂金が採れるらしい。この川を北へ遡ること20㎞、その源流は栃木・茨城・福島三県の境界にある八溝山で、この山も金鉱で有名なところである。

 ところで、ユルとは、いうまでもなく、揺することであるが、これはまた、淘(ゆ)るとも書くように、土砂から砂金を淘汰することを指す。したがって、「ゆりがね」を淘金とも書く。「ゆりがね」について、『広辞苑』には、こう記されている。《土砂にまじっている砂金を淘(ゆ)り分けること。また、そのゆりわけた砂金。》この砂金淘汰に利用する道具をゆり板と称す。那珂川町馬頭郷土資料館には実際に使われたゆり板が展示されている。

 


                                  ゆり板と砂金


 話は豊岡市の百合地に戻る。当然、ユルジのユルは「淘る」なのではなかろうか、という疑問が湧く。百合地の鎮守は安川神社で、その祭神は少彦名命である。この命は小人であるといわれ、高皇産霊神、あるいは神産巣日神の子とされる。『古事記』では、神産巣日神が少彦名命について、こう述べている。

 《こはまことに我が子ぞ。子の中に、我が手俣(たまた)より漏(く)きし子ぞ。故、汝葦原色許男と兄弟となりて、その國を作り堅めよ。》

 少彦名命はわたしの指と指の間からこぼれ落ちた子供だ、と神産巣日神はのべている。この言葉は啄木の『一握の砂』を思い出させる。

 《いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ》

 つまり、少彦名命とは砂――砂鉄、あるいは砂金――かもしれない。そう考えると、百合地の北に梶原という大字があるのも頷ける。梶原は鍛冶原にちがいない。

 ヤフオクには、「円山川水系天然砂金」とあったが、同市日高町羽尻の万場に金鉱山があったらしい。とすると、この砂金は、円山川の支流、阿瀬川、あるいは稲葉(いなんば)川で採れたものかもしれない。円山川を南へ遡ること40㎞、その源流は同県朝来市生野町円山に至り、一山超えれば、そこは生野町小野で、生野銀山が稼働していた町である。