「鈴木萬之助の墓と深谷市本田 その2」 余話 | 旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

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 「鈴木萬之助の墓と深谷市本田 その2」に、《清水寿の『鋳師・鍛冶師の統領と思われる畠山重忠について』によれば、この山(熊谷市三ケ尻の観音山、別名狭山)には、砂鉄褐鉄鉱層があり、露天掘り跡が見られるという。》と書いたが、渡辺崋山の『訪瓺録(ほうちょうろく)』にも微妙な一節がある。

 崋山は三河国田原藩士で、同藩の旧領であった三ケ尻村調査のために、同地を天保2年(1831年)11月に訪れている。『訪瓺録』はそのときの記録である。

 

     

                  真言宗豊山派 少間山龍泉寺本堂  崋山はこの寺に宿泊した

     

                          龍泉寺観音堂 千手観音菩薩を祀る

 

 同書には、三ケ尻の名義について、《此地山狭〔ママ〕と云へる小山あり、其形覆甕の如きを以て甕尻と稱すと、こはいと其義を得るに似たり。凡此邊皆平田にして弾丸の山すらりとめつらかなれば、かくは呼しなるべし。》と述べているところから、甕=瓺(みか)として、書名にしているようである。

 

          
                      境内にある「崋山先生雙雁名宝帰来祝慶」石碑

 微妙な一節とは、「龍泉寺附狭山」の項に、蓮沼忠兵衛(三ケ尻にある福源山幸安寺の説明板に、地元の有力者として蓮屋忠兵衛の名があるが、同一人物か?)から聴いた話として、こうある。

 《土色赭の如し。鐵脈満山七八年前坑首夫を催し、坑を開く事縦横數道、終に一礦を不見して止む。》

 

     
                     狭山 観音堂上の地層 礫が挟まった堆積層である


 赭とは赤土のことをいい、古語で「そほ」という。

 ソホはソボ、ソブ、シブという酸化鉄を意味する語を想起させる。赤く鉄分の多い水田を渋田といい、『播磨国風土記』「讃容郡」には《其の刃は渋(さ)びず》と「錆びる」に渋の字を当てている。また、尾瀬地域では、毎年、5月から6月に、残雪が赤褐色に染まる現象をアカシブ、あるいはアカシボなどと呼んでいる。この現象の要因は、褐鉄鉱床や沼鉄鉱床に生息する、バクテリアや藻類の作用が関与していると考えられている。

 わざわざ崋山が赭という字を当てているところに、鉱物の存在が虹色の金気となってにじみ出ているように思われる。

 鉄の鉱脈が山中にあるというので、7、8年前、山師の頭が坑夫を集め、いくつか坑道を開削したが、結局、鉱石は一つとして見つからなかった、というのである。

 このときの痕跡が清水のいう《露天掘り跡》なのではなかろうか。確かに、わたしも、スプーンカット状の不自然な凹みがいくつかあるのを確認している。

 

    
         狭山  写真ではわかりにくいが、中央歩道の両側にスプーンカット上の窪みが見られる


 清水のいう褐鉄鉱床があるとは確認できなかったものの、龍泉寺の観音堂には、片目伝承のある少間(さやま)池から出現したという金鋳千手大士(千手観音菩薩)が祀られていることからも、鉄が出た可能性はかなり高いのではなかろうか。《終に一礦を不見して止む。》というのは、要するに、採算が合わないということであって、古代においては、採算は度外視である。

 

 

 補足  写真はすべて2012年に撮影したものである。