乳 | 旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

旧・スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

スネコタンパコの、見たり、聞いたり、読んだりした、無用のお話

 

     

                             宝登山神社拝殿 

 

 これは秩父宝登山神社拝殿欄間の彫刻。

 さすがホトの山に相応しい装飾ではないか、と思うよりも早く頭に浮かんだのはこれ。

 

                

 ことわるまでもなく、昭和38年に公開された今村昌平監督『にっぽん昆虫記』の有名なショット。

 

 今では、なんてことないシーンかもしれないが、当時としてはかなり衝撃的で、小学生のわたしは、このポスターの前で、茫然と眺め入っていたものだ。

 しかし、現在でも、この乳を吸っている男、松木忠次(北村和夫)が、吸わせている女、松木とめ(左幸子)の父親だと知ったら、少しは驚くんじゃないか。

 とめの生まれたばかりの娘、信子はあまり乳を吸わないので、乳が張ってしょうがないから、一緒に農作業している父親の忠次に、それを吸わせているシーンなのだ。

 10数年後、父危篤の知らせで、東京から東北の故郷へ母娘で戻ると、床に臥せっている忠次が、孫の信子(吉村実子)の問いかけに、なにかつぶやく。よく聞き取れないので、何度か繰り返すうちにやっと「ちち・・・?ちち?ちちっていってるようだ。」信子がなんのことやらさっぱりわからないといったふうに母にいうと、とめは躊躇なく着物を脱ぎ始め、父親の口に乳首を含ませ始める。

 とまあ、わたしの想像は果てしなく猥褻の荒野を彷徨い続けるのではあるが、実は、上の彫り物、エロとは縁もゆかりもない『二十四孝』という中国の24人の孝行をテーマにした作品のなかの一コマなのであった。

 室町時代、孝行という思想を日本に広めた『御伽草紙』の「二十四孝」には、「唐夫人(たうのぶじん)」と題して、こんな話が載っている。

 ≪唐夫人は、姑(しうとめ) 長孫夫人(ちゃうそんぶじん)年たけ、よろづ食事、歯にかなはざれば、つねに乳(ち)をふくめ、あるひは朝毎(あさごと)に髪をけづり、そのほかよく仕へて、数年養ひはんべり。ある時長孫夫人わづらひつきて、この度は死せんと思ひ、一門一家を集めていへる事は、「わが唐夫人の数年の恩を報ぜずして、今死せん事残り多し。わが子孫唐夫人の孝義をまねてあるならば、かならず末も繁昌すべし」といひ侍り。かやうに姑に孝行なるは、古今まれなるとて、人皆これをほめたりと。さればやがて報(むく)ひて、末繁昌すること極まりもなくありたるとなり。≫(岩波書店 「日本古典文学大系」)

 要するに、年老いて歯が悪くなり、食べ物を咀嚼できなくなった義理の母親に乳を飲ませて孝行した、ということだ。

 とすると、松木とめが危篤の父に乳を含ませたというのも孝行といえば孝行といえないこともあるまい。尤も孝行思想とはだいぶかけ離れるかもしれないが。仮にわたしが忠次だったら、「おらの娘っこはそりゃ孝行娘だわい。」といったにちがいない。

 そういえば、こんな小咄があった。

 ≪器用でよくはたらく嫁、おやじの月代(さかやき)を剃ってやる。髭をそるとき乳が、おやじの口びるへさわり、おやじわれを忘れてなめるところを、息子が見て腹を立て、「さてさて親にはあるまじきなされかた。女房の乳をなめてのたわむれ、ご所存のほど承りたい」ときめつければ、親父ひらき直って、「おのれは、おれが女房の乳を、五年もくらったではないか」≫