地域づくりの実践と地域研究の課題

地域づくりの実践と地域研究の課題

限界集落で地域づくりの実践に取り組みながら、地域研究者として、地域をめぐるさまざまな研究に対して問題提起をおこないます。

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 静岡市葵区の大川地区(旧安倍郡大川村)で新たに立ち上げた大川地区活性化研究会では、今年度、三菱電機静岡製作所の定年退職者によって設立されたNPO法人マンパワーカフェと連携して、大川地区内の空き家および耕作放棄地の調査を行おうとしている。
 具体的な日程はまだ決まっていないが、その作業手順・方法を考えている中で、あることが気になっている。それは空き家が多くあるものの、都会の人が借りたくなるなるような空き家は、時々使っており、所有者に貸すつもりはない場合が多いのに対して、所有者が貸してもいいと思っている空き家の多くは、既に荒れ果てて、かなりの手を加えないと住めない状況になっている点である。
 耕作放棄地も、似たような状態になっており、すぐに貸せる・すぐに借りて使えるものではない。さらに見も知らぬ相手に、空き家・耕作放棄地といえども、すぐに貸す人は少ない。貸す側と借りる側の相互の信頼関係の構築が必要であり、それは短時間にできるものではない。お互いに知り合い交流していくことが必要である。
 このことを考えたとき、すぐにでも実施できること、都市の田舎暮らし希望者と農山村の受け入れ農家の一定の距離を置いた継続的な交流の仕組みを必要を痛感した。そこで現在、考えているのが農家の離れの建物・空き部屋を活用した事業である。農家を訪ねてみると、かなりの家で使っていない離れの建物があることに気づく。その多くは、昔、茶摘みなど外から農作業の手伝いに来てくれた人が泊まっていた建物であり、子どもが成長して親との同居に抵抗を感じるようになった時、あるいは子どもが結婚して親とは別棟に住むとき、その建物は使われていた。
 したがって外から農作業の手伝いが来なくなったり、子どもが遠くの街に移っていくと、使われなく放置されている。しかし同じ敷地内にある建物なので、倉庫として使ったり、子どもが家族を連れて帰省したときに時折使うので、比較的きれいに掃除されている。都会の人が空き家を借りるよりは、比較的簡単に借りれる・すぐに利用できる状態になっている。
 田舎暮らしの希望者に一年あるいは半年くらい、これを貸して時々来てもらう。田舎暮らしを短期間体験してもらって、地域の情報を入手してもらう、地域の人にも都会の人をよく知ってもらう、相互の信頼関係をこの期間につくってもらうことにすればいい。
 しかし、これだけでは単なる田舎暮らしの受け入れの経過的な措置にとどまるので、新たな事業として農家下宿を提起し、そこに田舎暮らし体験も包摂してみたい。それはリタイアした高齢者のみにターゲットを絞るのではなく、若い世代のニーズにあったサービスを提供することで、地域のイメージアップにつなげる方策である。それが農家下宿事業である。
 この農家下宿事業とは、農家民宿と山村留学の中間に位置するものであり、具体的は高校や大学を受験するための勉強を、大川地区の農家の離れ・空き部屋を使ってやってもらうものである。勉強のためだから、食事の手間を省くために三食準備することになる。かって大学生の多くは、大学の近くにある普通の家の部屋を借りて下宿していた。食事も、そこの家族と一緒にしていた。その家の子どもと同じ扱いである。
 現在でも、この下宿は残っていると思うが、学生の多くはアパートの個室に住むようになり、下宿という形はどんどん少なくなっている。「農家下宿」とは、都市の大学周辺で多く見られた下宿を、田舎で復活させようとするものである。もちろん農家下宿から高校や大学に通うことはないので、一年間というのではなく、夏休みの一ヶ月あるいは入試が迫った時期の数週間ということになる。
 大川では子どもが高校や大学に進学すると、親元を離れ、高校や大学の周辺で部屋を借りている。子どもが出て行って空いたスペースを、今度は都会から来た受験生に提供しようとするのが「農家下宿」である。食事を提供する点で、高齢者の世帯には負担が重く、実施できないが、子どもが外に出て行ったばかりの家では、その寂しさを紛らすという意味で、受け入れを希望する人がでてくると期待している。
 それと同時に、現代社会においては生涯学習が大きな社会課題になり、勉強は学校を出た後も継続することが求められている。転職や資格の取得のために、一定期間、集中して勉強することも求められるようになっている。その意味で、「農家下宿」を受験のための勉強のみに限定する必要はない。受験以外の様々な勉強、あるいは静かに創作に励むような勉強もあるかもしれない。広い意味で勉強を捉え、それに集中できる場所と時間を提供することを目的にすべきである。
 これまでは、宿泊と食事の提供は旅館・ホテルがおこなうものとされ、農家民宿も旅館やホテル・ペンションなどと競合してきた。しかし、その主目的は、楽しみややすらぎを提供するものであり、勉強や創作を促すことではない。勉強や創作には長期間滞在することが必要であり、旅館やホテルでは負担が大きすぎる。農家民宿は、旅館やホテルに類似しすぎており、それとは区別された下宿・ルームレンタルが必要である。
 「勉強の里」というネーミングも、単なる田舎暮らし・グリーンツーリズムと一線を画すためであり、同時にもっと生産的で時代にあった地域づくりを目指すという点で面白いのではないかと考えている。これが実現できるかどうかはわからない。思いついて提案したばかりである。しかし実現できれば、全国的にもユニークな地域づくり・農山村振興になると確信している。
 キャッチコピーは、「大川・勉強の里づくり・・・受験勉強から田舎暮らし体験学習まで、大川は勉強のための静かな場所と時間を提供します!」(大川地区農家下宿・ルームレンタル事業)となる。   

 大学でコンピューターの仕事をしていた人が、仕事でストレスがたまり、離島にでも行って自給自足の生活をしたいと言っている、という相談を受けたことがある。私は、離島で自給自足の生活は極端すぎるから、気分転換に休日でよいから山仕事でもやってみたらどうかと、森林組合の労務班の人を紹介した。

 彼は、毎週、休日にやってきて山仕事を手伝うようになった。そのうちに大学を辞めて山仕事に専念したいと言い出した。大学でコンピューターの仕事をしていた人が、林業に転職してもうまくいくはずがない。森林組合の仕事をしても、給与は少ししか出せないと反対された。しかし彼によれば、夫婦共働きで自宅の建設で借りたローンの返済も終わった、子どもも大きくなって自立している、だから給与の額は気にしない。やりたい仕事をしたいのだという。

 彼は結局、大学を辞めて山仕事に専念するようになるのだが、ノイローゼも腰痛も治り、どんどん元気になっていった。周囲の人たちも、山仕事は難しいだろうと思っていたのが、彼がどんどん仕事を覚えてうまくなっていくのに驚いた。休憩時間が終わると彼が真っ先に仕事を始め、周囲の人たちを引っ張っていくようになったという。

 彼に言わせると、コンピューターの仕事をしていても、今日、どれだけの仕事をしたかは目に見えない。でも山仕事をしていると、今日はどれだけの下草を刈った、枝打ちをした、伐採したということが目に見えて充実感を感じる。大学で仕事をしていても、今日は晴れていたか曇っていたか、雨が降ったかは気づかない程だったが、山仕事をしていると天気や季節の変化を直接感じられ、すがすがしい気分で仕事が出来る。本当に大学を辞めてよかったと喜んでいた。

 森林組合の人たちも、非常に喜んでいた。最近は山仕事においても、事前事後にデジタルカメラで写真を撮って、パソコンで図面や書類を作る仕事が増えている。今まで山仕事をやっていた人たちは、それが苦手でなかなか出来ないが、彼はそれを簡単にこなしてくれる。いい人を紹介してくれた感謝された。

 彼は大学を辞めたが、大学のような頭脳と精神を使う仕事をしていると、ストレスがたまってきて、心身に異常をきたすことがよくある。知的労働・頭脳労働・精神労働の特徴のひとつは、仕事の時間と自由時間の境界があいまいな点になる。特に問題の解決、今風に言うとソリューションの仕事をしていると、マニュアルは無いので、頭を整理し考え込む時間が多くなる。仕事が終わった・職場から帰っても、仕事で抱えている問題が頭を離れない。自由な時間にテレビを見ているときに、ふと問題の解決の糸口、ヒントやアイデアが浮かぶことが多い。

 知的労働の生産性向上には、余暇時間・自由時間の過ごし方が非常に重要な意味を持ってくる。頭を休め、心身をリフレッシュしながら、そこで仕事に役立つ、何かを探している。そのためには静かな場所と時間が必要である。豊かな自然に中に身をおき、心身ともに癒されることが必要である。そのための場所として、私は山村の限界集落は適していると考えている。

 以前、イギリスでの自由時間の過ごし方の調査で、ブルーカラーの労働者は休暇になると都会の繁華街に出かけ、ホワイトカラーの労働者は郊外の農山村に出かける傾向が見られると報告されていた。ちなみに海・海岸には、ブルーカラー・ホワイトカラーともに出かけるそうである。

 今までの観光地は、肉体労働に従事しているお父さんが家族とともにリフレッシュするための施設・空間の整備に重点を置いてきたように感じる。労働時間と自由時間の区別がはっきりとしていて、仕事から完全に離れて休暇を過ごすための観光地づくりがなされてきた。しかしこれからは、仕事と自由時間の区別が曖昧な仕事をしているお父さん・お母さんが、主として頭と心を癒すことができる施設・空間の整備が求められているのではないか。

 知的労働の研究書によれば、独創性や創造性は丹念な情報の集積と分析、高度な技術の習得など長期にわたる努力の積み重ねの結果生まれるものであるが、それだけでは不十分だという。それまでの研究や生活とはまったく異質な空間、異質な人たちとの出会い・遭遇が、今まではまったく異なる発想・分析方法を呼び起こし、それが独創性・創造性のきっかけを作っているという。

 21世紀の先端産業である知識情報産業に従事している人たちが、もっとも古い産業であり、もっとも自然と密着している第一次産業・農林業業と接触することが、まさに知的労働の生産性向上に寄与し、知識情報産業自身の発展・成長につながる。山村における限界集落の社会的な存在意義も、ここから説き明かすべきだと私は思っている。

 

 静岡県内の過疎地を廻っていると、どこかにゆとりを感じさせる地域が多い。まず多くの空き家がありながら、売らない・貸さないところが多い。人口が減って困っていると言いながら、見も知らぬ人に来られても困るという。

 数年前、静岡市内の設計士の方から田舎暮らしをしたいので、良い物件があったら紹介してくれという依頼を受けた。探したがなかなか見つからない。しびれを切らしたその人は、田舎ぐらいの本をみて、そこで掲載されていた広島県尾道市の郊外の空き家の物件を訪ねてみた。すると農協の組合長から商工会の会長まで総出で迎えてくれ、見も知らぬ人間である筈なのに、大きな農家の空き家と隣接する畑を貸してくれることが決まったという。その人の仕事と息子の就職先まで斡旋してくれたという。彼は嬉々として、静岡を離れ、そこに移住した。

 このように静岡県内の過疎地は、過疎だ・過疎だとわめきながら、真剣に過疎対策に取り組んでいるかというと、疑問に感じざるを得ない地域が多い。私は静岡県の地域特性として、30年前から「未熟な都市・ゆとりの過疎」ということを指摘し続けてきた。過疎で困っているのなら、もっと真剣に過疎対策・村おこしに努力しろと言い続けてきた。

 それと同時に、冷静に科学的に静岡県の過疎地を分析する必要性も感じて、この「ゆとりの過疎」の原因を探ってきた。そのなかでわかってきたことは、静岡県内の過疎地に取り残された高齢者の子どもの多くが、自動車で1~2時間程度の都市近郊で生活していることである。

 私が生活する静岡市葵区大川地区(旧安倍郡大川村)で、以前、学生たちと一緒に高齢者の生活実態調査をおこなったことがあったが、そのなかで子どもたちと頻繁に行き来していることが明らかになった。お年寄りの多くは、買い物や病院に行くために、都市近郊の子どもの家を使っている。冬、寒い時は、子どもの家で1~2ヶ月過ごすというお年寄りもいる。子どもたちも週末になると、度々、山間地の親の家を訪れている。親の家族と子どもの家族の交流が頻繁におこなわれているのである。

 私の生活する小さな過疎の集落にも、選挙の度に現職の国会議員が訪れる。票数はわずかなのに、何故、こんな小さな山間地の集落を廻るのか訪ねたことがある。すると、その議員は、過疎の山間地であっても、ここをこまめに固めていくと票の伸びが違うのだと言った。つまり過疎地で暮らしている高齢者の子どもや親戚が多く都市近郊で生活しているために、過疎地の高齢者の支持を得れば、山間地以外の都市部まで票を獲得できるのである。

 私は、このような現実を「親子近隣居住による生活互助」と名付けた。確かに高齢化率の高い集落が多くあり、高齢者のみ・高齢者の独り暮らしの世帯は多い。しかし彼らの中のかなりの比率で、近くに住む子どもがいて、互いに行き来することで生活を助け合っているのである。だから過疎化といっても、それほどの危機意識を持たない。どこかにゆとりがあるのである。

 日本列島の周縁部・北海道や九州・四国の過疎地の調査報告を読むと、子どもたちの多くは東京や大阪などの遠距離の大都市に住んでいて、親元に帰るのは年に数度程度である。これに対して静岡県の過疎地では、近くにある都市に子どもたちが移り住み働いているのであり、毎週・毎月、親子間の交流がおこなわれている。

 この近隣居住による生活互助をみていると、大都市の二世代住宅で親子が同居し、嫁・姑関係でもめている家族より、はるかに恵まれていると思ってしまう。親と子どもの家族は、同居するより、近い距離で別居し、互いに助け合うほうが幸せなのだと思う。

 診療所のお医者さんに聞いた話だと、高齢者の自殺率は同居している方が高いそうだ。家族と同居していながら、そこで疎外感を感じることがお年寄りには精神的な打撃が大きいからだ。独り暮らしのお年寄りは、周囲から見ると大変そうだが、自分のペースを守って生活できるので、それほどの苦にはならないそうだ。実際、独り暮らしで元気だったお年寄りが、けがで入院をして、すべて生活の世話をしてもらっていたら痴呆の症状が出てきた。ところが退院して独り暮らしに戻ったら、痴呆の症状が出なくなったという話を聞いたこともある。

 親子が近隣に居住し助け合うという形態は、静岡県だけでなく愛知県や東海地方に広く見受けられる。私は、それを「東海型過疎」と定義したいと思う。これまでの過疎研究では、過疎の類型として、西日本で多くみられる「挙家離村型」、東日本特に東北で顕著な「出稼ぎ型」が指摘されていた。「東海型」は、これらとは明らかに異なる過疎のタイプである。

 良く知られているように西日本の「挙家離村型」は昭和30年代以降のエネルギー革命、薪や炭を使っていた生活から電気やガスを使う生活への転換によって生じた。つまり薪や炭を生産することで生計を立てていた山村の住民が、このエネルギー革命によって山村で生活できなくなり、家全体で村を出ていったのが「挙家離村型」である。東北の「出稼ぎ型」は、昭和40年代、米価の抑制・引き下げによって、棚田などを作って生活していた農家が生活できなくなり、稼ぎ手である男が家族や親をふるさとに残したまま、大都市に出稼ぎにいき、農繁期には帰ってくるというタイプである。

 東海地方の「親子近隣居住型」は、西日本の「挙家離村型」・東日本の「出稼ぎ」と比較してはるかに恵まれた過疎である。しかし恵まれているといっても、過疎であることに変わりはない。このタイプに合う過疎対策が必要となる。

 そこで私が提起しているのが、次のようなライフスタイルの提案である。まず都市に居住している人がリタイアと同時に、都市に近い山間地の過疎集落に移住する。都市に建てた家は、子どもに譲り、親は田舎暮らしをおこなう。少ないとはいえ年金の収入があるので、田舎での生活は趣味道楽感覚での農作業となる。お金を使わないで、体力は適度に使う。病気にならない限り、快適な田舎暮らしを楽しめる。

 都市で生活する子どもの家族にとって、親が田舎で暮らしていることは、新しいふるさとが出来ることを意味する。盆や正月、学校の休み期間中、子どもたちはおじいさん・おばあさんの住む田舎に出かけ、豊かな自然の中で自由に遊ぶことが出来る。田舎で暮らす親が高齢になり、自立して生活が出来なくなる頃、子どもが丁度リタイアする時期になる。そこで子どもは、都市の家を次の子どもたちに譲り。親の住む田舎に移って親の最後を看取る。

 このように親の家族と子どもの家族が都市と田舎の双方に住み、互いに行き来することで良好な親子関係を維持する。このようなライフスタイルを東海地方の過疎地では実現している高齢者が多い。それを積極的に大都市居住者に宣伝し、過疎の集落への移住を進める。それと同時に、過疎地に居住する高齢者と都市に居住する若い世代の積極的な交流を促す、そのための基盤・条件整備を進める。そのことによって過疎地のかなりの部分が活性化する筈である。

 私が実践している過疎の集落・大間での地域づくりも、この点をかなり意識したものなっている。村を出ていった人が、リタイア後に村に帰ってくる。あるいは都会からリタイアした人を積極的に呼び込み、都市で生活する子どもたちとの積極的な交流を促すことで、大間を「うば捨て山」・高齢者だけの村にしない。これが大間での地域づくりの目標である。