大般若波羅蜜多経転読 そもそも史跡国泰寺跡「正五九大祈祷」とは 文政十三年正月
史跡国泰寺跡に伝承の『寺務記録 日鑑記 巻二』の記載。
それは「掟 一 天下泰平国家安全之勤行、怠慢あるべからざる事」条の記載に沿って進められる。
法要満散、すなわち勤め終えたのちには、略式の膳が尊前に供えられ、関係者もまた、<もてなし>をうける。

「勝手方出来次第」。南部・大畑あたりで採用された寺院の賄い方担当の男性がしつらえた精進料理の準備が終わる。
「役寮 やくりょう」。住職を補佐する法務員、そうとは申さずに「役僧 やくそう」などと通称される出家僧が、伝来役を勤めるのだ。住職をささえる3名の布陣。
案内をうけた、大名家派遣の役人&場所請負商人配下の重役たちが、国泰寺に参集。
「座附吸物 ざつきすいもの」。今日AIは「会席料理などで〝客が席に着いて最初に出されるお椀物(吸物)を指す言葉。
転じて「席に着いた直後に供される最初の吸物」という位置づけ。信じるかどうかは、さておき。
「入麺口取重詰 いれむぎ・くちとり・じゅうづめ」。
「いれむぎ」は<そうめんを温かいだしで煮た料理>。
これに、大晦日のデザートと元旦から食するはずの重箱入り、オセチ料理を結ぶと良いの、だが。
まだ、まだ、ある。「外に丼物参通、温酒数献相廻し、一汁五菜」。
どんぶりモノ三種にお待ちかね、昼前から「燗酒」は誠にありがたい。
一汁五菜は、おそらく一杯の「粥 かゆ」に「汁 しる」は「スマシ汁」でも付属。加えて五種類の副食。
そういうモテナシながら、そこにはワケも。
前年10月、国泰寺に到着した住職ら一行が、周囲に公式に示した「お目見えの膳」でもあった。
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大般若心経転読 読誦の相は定光禅寺龍神堂三尊天祭礼で260907

くしろ元町青年団2022年2月20日付のネット情報で「毎年9月7日、8日 開催場所 定光寺竜神堂」と記載があった。
別なネット記事では「明治明治27年(1894年)から毎年秋に」とも「今年が50回目のフシメ」と伝えられる「三尊天 さんぞんてん 祭礼」。
いつの歳であったか、お世話をされている方のお誘いで、一度、参詣されてもらったことがある。
大道晃仙師が出座され、厳かに「大般若心経転読」で、法要が営まれた。
史料を読み、その記載があること、承知していた。
記載は史跡国泰寺跡に伝承の五世文道代『日鑑記 巻二』の文政13年正月17日の記録。
正月、五月、九月の15日から17日まで、将軍家繁栄と国家安泰を祈祷する法要が、厳かに営まれる。
17日の法要が「満散 まんさん」。つまり功徳成就の法要で、故にひきつづき「半斎献鉢」。
「斎 とき」は昼前の法要後に行う会食や、その席で供される料理を「お斎(おとき)」。
それが「半斎 はんとき」は「食事の量や作法をやや簡略にした接待や儀礼」と、いうことになる。
国泰寺はこのとき、十勝・釧路・根室・国後・択捉の遠隔地には、「奉牌」という修了の札を配るのみだ。
しかし周辺に住む、松前家出張所の役人、それに場所請負商人の患部たちは寺に招かれ、その接待をうけ、つつがなく法要が満了したことを讃え、悦ぶのだ。
『彼我対照 欧州旅行』に読む明治43年 海外視察 湖畔からのメッセージ001
前田正名は明治43年6月、横浜港を出港し欧州視察に向かった。時に正名、満60歳2か月、彼にとって第5次の海外旅行にあたる。この旅行の意図・目的はなにか。そこを、本邦帰朝後に現された『彼我対照 欧州旅行』を通じ、読み解いてゆく。
そこには<ポスト殖産興業>。そのように思想構造を位置づけるべきであるのか、つまり<資源を加工し搬出・消費しながら、現今の付加価値を求める殖産興業>が第一段階。そこから<資源を持続・利用し、将来世代に付加価値を伝える殖産興業>への助走。
なぜ、かく転じたか。 明治40、41年と阿寒湖畔に滞在した。国有未開地の払下をうけ、そこで展開した山林経営の敬虔。南国・薩摩国に生を受けた正名が、東の国たる阿寒で四季を通じて滞在し未曽有の厳冬期を体験した後のことである。
正名にとって湖畔のアイヌ民族コタンで生業・生活・文化を形づくる地域で生活を共にしながら、その自然に生きる民族の知恵。あわせて集団をまとめあげているエカシ=長老・老女の生活の知恵を見聞した期間。
政権中枢の官僚を経験し、やがて下野し、全国行脚で各地を訪ねた。北海道東部で洋紙生産することに転じ、ついで個々に払下を受けていた国有未開地を一本化して継承した。まずは寒冷地型農園で頓挫、しかし山林経営で新たな展望を図式化することができた。
齢、すでに還暦。しかしその時に、海外視察を企図した。そう推量するに値する、紀行の冒頭に注目する。
四柱の神獣、特に麒麟=平和愛の仁獣&権力・富を象徴の瑞獣 家康の信仰を孫・曾孫が形に260906

キリンビールの商標でおなじみの麒麟。中国神話に現れる伝説上の動物(瑞獣)。それを家康が信仰、と伝えるネット記事が広まっている。
今も鳥取県東部に麒麟獅子舞が伝承し、日光・東照宮の陽明門彫刻を、理解するキーワード。
中国では4柱の神獣が居ると
「神獣 しんじゅう」と呼み、日本では「神使 しんし」と呼ばれている、その代表は「狛犬 こまいぬ」。
どちらの神社さんでもお馴染み。狛犬は「神様のお使い」のもっとも、庶民的な信仰対象。
「神様のお使い」は、「後に良いことが現れると確約されている状況」で、「その直前に現れる姿」なのだ、そうだ。考え方は「神獣=霊獣。霊鳥」伝説に、あると言う。
ところで中国には四つの神獣があるとされる、「麒麟 きりん」「鳳凰 ほうおう」「応龍 おうりゅう」「霊亀 れいき」の四柱。
いま「麒麟 鳳凰 応龍 霊亀 平和」のキーワードで検索する。と。
●「それぞれを統括する長(王)が、龍・麒麟・鳳凰・霊亀」で「四霊獣と呼ばれ、世が平和で瑞気に満ち、聖徳の天子が現れる前兆として姿を現す」=「神使像めぐり」。
●「麒麟=平和を愛する仁獣で、権力や富の象徴する瑞獣」=「中国神話・伝説」
信長・秀吉政権の朝鮮征伐を収め、琉球と蝦夷地を植民地とした家康。
応仁の乱後の戦国を統一した織田・豊臣に代わる徳川の政権は267年の年月に。
その家康が依拠した「麒麟=平和を愛する仁獣&権力・富を象徴する瑞獣」を被布した「獅子舞」が、曽孫・池田光仲侯により鳥取東照宮祭礼で奉納されることになった。
書いた人・違う情報・もとネタ・何のための、いつの情報 フェーク情報のチェック点260901 NHKETV-後-

「大本営発表!!」。USA大統領、「もう一つの真実」とフェークニュースを連発。
本邦の首相にも、総裁選を勝ち政権強化のため野党候補をネットで攻撃。
新聞を購読している家庭が二割しかなかった、図書館司書養成課程での司書関係科目。
図書館司書は市民の<調べる・考える>を、「相談できるヒト」として向き合っている。
「本の森 厚岸情報館」は、レッキトシタ図書館。その名が示す通り、今や図書館は、活字媒体の本のみならず、「情報館」の名の如くネット情報からの検索も支援することに。
その時、如何に信頼できる情報を、選びだすか。
ネット社会は、作者が第三者の意見を聞くことなく、そのまま「公 おおやけ」になる状態。
意図的に世論を誘導し、支持に結びつけることも、現に可能なのだ。
たとえば「商売目的の、古い、非常に怪しい情報」が多いのだ、と。
では、その〝あやしい情報”をチェックするポイント。
26年9月1日放送の「きょうの健康 がんに備える 最新情報 『気をつけて!“怪しい”がん情報』」は、掲載画像の五点を、示した。
画面のクレジットに「提供 聖路加国際大学 中山和弘教授」とあった。
書いた人・違う情報・もとネタ・何のための、いつの情報 フェーク情報のチェック点260901 NHKETV-後-
「大本営発表!!」。USA大統領、「もう一つの真実」とフェークニュースを連発。
本邦の首相にも、総裁選を勝ち政権強化のため野党候補をネットで攻撃。
新聞を購読している家庭が二割しかなかった、図書館司書養成課程での司書関係科目。
図書館司書は市民の<調べる・考える>を、「相談できるヒト」として向き合っている。
「本の森 厚岸情報館」は、レッキトシタ図書館。その名が示す通り、今や図書館は、活字媒体の本のみならず、「情報館」の名の如くネット情報からの検索も支援することに。
その時、如何に信頼できる情報を、選びだすか。
ネット社会は、作者が第三者の意見を聞くことなく、そのまま「公 おおやけ」になる状態。
意図的に世論を誘導し、支持に結びつけることも、現に可能なのだ。
たとえば「商売目的の、古い、非常に怪しい情報」が多いのだ、と。
では、その〝あやしい情報”をチェックするポイント。
26年9月1日放送の「きょうの健康 がんに備える 最新情報 『気をつけて!“怪しい”がん情報』」は、掲載画像の五点を、示した。
画面のクレジットに「提供 聖路加国際大学 中山和弘教授」とあった。
書いた人・違う情報・もとネタ・何のための、いつの情報 フェーク情報のチェック点260901 NHKETV-前-
「日本のインターネットサイト250社を調べてみたら、科学的根拠に基づく情報は1割にすぎなかった」。
ネットには「体にやさしく副作用がない」「すべてのガンが消えた」「免疫力アップ」。
実に〝飛びつきたくなる”情報にあふれる中で、安全性と有効性の確認できる〝ガン治療”。
26年9月1日夜の「きょうの健康」。
国立がん研究センターがん対策情報センター本部 若尾文彦副本部長が出演。
標準治療を「科学的手法で安全性や有効性が確認され、ガイドラインに掲載されて健康保険の適用される治療」と。
自由診療を「安全性や有効性が確認されていない」「言い値で価格を決め、高額となる」とも。
ネット情報には、と。
「(患者さんが希望をもつことは大切だが)夢のような話は疑うことが大事」
「(無料セミナーは内容が)どんな話なのか、内容が安全か有効かを外からチェックできない」
「商売目的の情報、古い情報、非常に怪しい情報が多い」。
では、その〝あやしい情報”をチェックするポイント。それは次回。
甲府で江戸西北固めの八王子同心、蝦夷地で江戸北東を堅固 東蝦夷地の文化財-前― 
八王子同心は甲府にあって江戸の西北を固めていました。
その八王子同心のうち、原半左衛門とその弟・新助が千人頭を務める130人がシラヌカ&ユウフツに分かれ、蝦夷地に移転しました。
それは初期蝦夷地幕領化=寛政11年正月―文化4年3月とされる時期です。
この時期は、異域=異国との境界にあった領域を内国化する施策です。
幕領化政策の要因の第三に、ロシア南下に対する蝦夷地警備の体制です。
ために、東蝦夷地=江戸経済圏を幕領化し、西蝦夷地=日本海交易圏と北蝦夷地=樺太生活圏への結節を果たす構想で、シラヌカの地点は重要と位置づけられました。
物語性を創造する“文化の力” 地域創造の原点=夕張 小倉屋ぱんまんぢゅう260901
「CYCLE AROUND JAPAN 初夏の北海道横断」 NHKBS4K 260831を見ていて。
啓発されました。
物語性を創造する“文化の力” 地域創造の原点=夕張 小倉屋ぱんまんぢゅう260901
夕張で70年以上親しまれている「小倉屋ぱんぢゅう店」.
気さくな女将さんの笑顔にも誘われて市民に限らず全国からファンが訪れる、と。
カリッフワッの生地にあんこがぎっしり詰まった「ぱんぢゅう」。
最盛時からの人口が、20分の一に減少した北海道夕張市で、最盛期を担った炭鉱マンたちが育てた。
今風には「小腹がすいた時にぴったり」。「ドライブの途中、スポーツの合間、畑仕事の休憩に、夕張のソウルフードはいかがでしょう」。
そう、観光HPは展開しているも。
パンとまんじゅうの中間のようなお菓子で、夕張の隠れた名物。
蒸かして作るのではなく、パンのように焼いて作るまんじゅうだから“ぱんじゅう”と呼ばれるようになったようだ。
“ぱんじゅう”ぱ、広辞苑にも掲載され、現店主は道具もそのまま引継ぎ営業。その劣化が悩み、と。
「戦前から続く老舗の味」を、現店主は1981年に父から継承。
炭鉱で働く人々が好んで食べたため、しっかりとした甘さで塩分も強めに作っていた
今、時代に合わせて少しずつ味も変え、今では塩分も甘さもずいぶん控えめに、と。
小樽の「ぱんぢゅう」と並ぶ名物に。自身で価格を設定できる力強さも。
地元民が育て、地元民のニーズを超えて各地からユーザーが、集まる。
その吸引力、持続力、開発力。地域創造の原点ではないでしょうか。
シラヌカ=幕領化政策で経営・警備の人心安定を象徴 東蝦夷地伝承の文化財―後― by Hirotsugu Sato

寛永20年記載のオランダ船船長記録と同時期の松前家記録。それによるとクスリ以東が大名家交易対象地であるのに、トカチ・シラヌカは家臣給与地の対象地となっていました。
これを反映してか寛文9年に起きたシャクシャインの戦いでシラヌカに派遣された交易船で13人の犠牲者(『津軽一統志』)、また「松前之図」にある、犠牲者や遭難船の数では「シラヌカ 蠣崎蔵人 船 人数14人 クスリ 前田九郎左衛門 人数 8人」とあるのです。
時に 前田九郎左衛門なるものは蠣崎蔵人とともに白糠におけるアイヌとの交易権を認められていた藩の有力家臣のひとりということで、追補されてクスリで遭難したものか、難しいところです。
幕府がユウフツと並び、まずシラヌカの地を重視したのは、ここに述べた背景があった故かもしれません。選ばれたユウフツの地は勇払川―千歳川―石狩川を通じ、太平洋岸と日本海岸をむすぶ地点です。
シラヌカには3点のルートがありました。
一は茶路川―利別川を経由して十勝川―石狩川につながるトカチ。イシカリへの道(「利別道」としておきます)。後述するも、そもそもトカチアイヌ民族はこの「利別道」を経て、トカチアイヌ生活圏に連なっているのです。
二に庶路川―迂遠別川―阿寒川―網走川(幕府は「網走山道」とします)で、太平洋岸とオホーツク海岸を結ぶ道です。
三に釧路川―斜里川(幕府は「斜里山道」としました)を経て、これまた太平洋岸とオホーツク海岸を結節する道です。八王子同心にとって、この斜里山道は、その任期中に修復に務めた幕府記録も残されている道です。ユウフツ・シラヌカ共に、江戸経済圏の東蝦夷地と、日本海経済圏に依る西蝦夷地、また中国大陸とつながる北蝦夷地=樺太への分岐点。
特にシラヌカであれば箱館~国後・択捉への千島方面に加え、西蝦夷地のイシカリ、同・カラフト、つまり三方向の経営と警備の枢要地としての性格を体現する地です。
「炭鉱持ち家制度」が生み出した付加価値 『釧路炭田その軌跡』030331 釧路市のその後

平成14年度緊急地域雇用創出特別対策推進事業では、炭鉱閉山で職を失う職員・鉱員1000人と関連業種500人から、全員の聞き取り調査を企画した。
閉山後、すでに7ケ月。調査は6人の新聞から炭鉱記事見出し2万5000件をリストアップする班。
こちらは古い新聞紙面を開くたびにびに発生するホコリ&微生物で、苦心の作業。
そして一世帯40項目程の思い入れを聞き取る班120名の布陣。
各家庭に散った調査員は、まったくの初めての取り組み。
しかし、招来記名公開、記名非公開の調査カードを大量に仕上げていただいた。
時に、関係者全員を対象とする悉皆調査が可能であった、背景。
それは1965年前後から始まる、職員・鉱員対象の「持ち家制度」があった、から。
閉山後も炭鉱を離れる従業員がほとんど居なかったことによる。
炭鉱は不動産部門の太平洋興発(株)を起ち上げ、持ち家促進の供給源とした。
他方で鉱員を抱える労働組合いが、組合員個々の要望を親会社&不動産部門に仲介し、<持ち家の質保証>を促す、役割りがあった。
のち、不動産部門は首都圏や北海道中央部に事業を拡大。
「興発マンション」は一つのブランドに成長、発展したと目される。
その供給住宅が体現する、一つの側面を掲載画像で示してみたい。
21年11月27日、釧路市民文化振興財団の依頼で、講座の講師を務めた。
話を聞いてくれた講座担当者がのちにメッセージを下さった。
「労使一体で創り上げた高付加価値住宅、そこにこぎつけた取り組みに感動しました」。


