2020年春、にわかに顕著となった「紙需要の蒸発」。
二大製紙工場の製造所を有する北海道東部の港町のみを襲ったわけではないよう、で。 ただ、超大型航空機の離陸と同様、新規着業時の後部車輪は遅くとも、着陸の時には、先頭を切って撤退する。

5月30日付、北海道内配布紙のネット記事。見出しで明確に。
「製紙大手、北海道内縮小相次ぐ」 「止まらぬ紙需要減 成長分野への転換焦点に」。 掲載の図によれば「日本製紙勇払事業所 20年生産停止」「釧路工場 21年生産停止」。
「王子 名寄工場 21年生産停止」「王子 同 江別工場パルプ生産停止」。
などなど、ほかにもある。
日本製紙釧路工場生産停止のおりには、地元経済界が7万9,000筆の署名を集めた。
「待て待て、ここは、道内経済界に呼びかけ、会員企業従業員で、まずは30万部の新聞購読拡大」では、ないか。
すでに道内配布紙は100万部発行の大台を、割った。そう聞いていたが。配布の新聞ページ数はドンドン減り始め、購読料は値上げされる。
書籍売り上げ部数も減るが、新聞に折り込まれるチラシは、シキモ切らず。
紙が貴重品。それなら、ゼニの取れる付加価値高き印刷物を作ろうではないか。
紙の一次生産。白紙を売るだけでは芸がない。
刷れば買い手がつく、付加価値の高さ。北海道民、そこを目指そうではないか。
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環境・資源に近すぎぬ文化創造空間 モシリヤチャシ跡で考える260516

史跡見学を許可して頂き、その中央部に足を踏み入れることができた。
市民グループの皆さんと、その片隅で立地条件を整理しながら、さまざまを考えた。
眼下には釧路川左岸で合流する、サル・ウシ・ナイ川集水域の伏流水路を確認。
この250年ほどの時の流れを思いめぐらしつつ、急速に変貌・変容を果たした100年に思いをいたした。
地域は急激な変貌・変容期に区切りを画し、この先、静かに生活・文化を創造する未来に向かっているのでは、ないか。
この点を象徴するように、緑ケ岡公園に水源をもっていた伏流河川には、文教機関が並んで居る。
サンライフ釧路、釧路短期大学・同附属幼稚園、北陽高等学校。
釧路市立城山小学校、北海道教育大学・大学院(修士課程)、釧路理容美容学校。
高等教育機関は今日、地域貢献という点を求められている。期待したい。
ひょんなことから國指定史跡 釧路川流域チャシ群の一に発意の皆さんと踏査する許可が管理団体から認められた。
「変貌・変容の100年」に思いをいたし、環境・資源に近づきすぎぬ文化を創造すること。
立ち入るは一度、でも。その周囲で史跡整備のお手伝いをしながら、そのたびごとに、市民が自身で<開発・創造する愉しみ方>。
市民が自身で<開発・創造する愉しみ方>を、このマチに来訪される国内外の方に示すことではないのだろうか。
(2)記録に残るモシリヤチャシ跡 「チャシ図」(村上島之丞筆『蝦夷嶋奇観』所収)

村上島之丞(本名 秦檍麿 はた あわぎまろ)筆 が制作したアイヌ風俗画。
アイヌ民族文化に対する深い理解と精緻な観察に基づき、伝説・儀礼・家屋、狩猟等を記録。
北海道、アイヌの歴史、文化研究上に貴重。(「文化遺産オンライン」)。
村上は宝暦10 1760年に伊勢国宇治山田(現三重県伊勢市)に生まれ、1799-1800年に幕府調査で択捉、得撫島に渡る。
1806年に没するも、本図掲載の『蝦夷嶋奇観』は文政6 1823年 遺構を養子の村上貞助がまとめあげ、刊行した。
間宮林蔵の師匠としても知られる。https://ameblo.jp/tiiki219/entry-12961414268.html
(3) 記録に残るモシリヤチャシ跡 「メンカクシチャシ館跡之図」(大内余庵筆『東蝦夷夜話』所収)

大内余庵(おおうち よあん 余は本来、旧漢字表記)は、大内桐斎(おおうち とうさい)の別号。
三河(愛知県)吉田藩主松平(大河内)信古(のぶひさ)につかえ,江戸詰めの侍医に。
領主大名家の命で、安政3 1856年から3年間東蝦夷地・アツケシに勤務。
『蝦夷地医家人名字彙」の「大内余庵」の項目があり、箱館奉行所医師として赴任。
在勤中に見聞の風俗・地理・伝説らを集めて記した板本(刊行物)が『東蝦夷夜話』。 上・中・下の全3冊で構成Ⅷされ、1861(文久元)年に江戸の文苑閣から出版された。
図名「メンカクシチャシ」は、モシリヤチャシ跡(国指定史跡内の名称)は築造者名を付している。https://ameblo.jp/tiiki219/entry-12961470892.html
(6)宝暦年間の築造&春採湖畔から移転し築造 「メンカクシ城跡」(松浦武四郎筆『東蝦夷日誌』所収)

「国指定史跡 釧路川流域チャシ跡群」を構成する「モシリヤチャシ跡」。
本史跡は築城者・由緒・地域間関係にくわえ、築造年代を推測できる、記録性を有する点で知られてきた。
ここまで景観と、紀行記載時点での評をしることができたが、『東蝦夷日誌』記載はその根拠ともなる要素を後世に伝えてくれる。
松浦武四郎は伊勢国一志郡三雲村(現在の松阪市)出身。蝦夷地東岸には弘化2、安政3年に続き同5年来訪する。
釧路川左岸に流入する支流の合流点に近い、チャシ跡に足跡を記す最初の機会。
『東蝦夷日誌』は慶応元年に編纂上梓した和綴木版刷り。
安政5年、山川地理取調で来訪し、調査記録は『戊午蝦夷山川地理取調日記』として残る。 https://ameblo.jp/tiiki219/entry-12961592571.html
(8)小説『原生花園』&TBSドラマ「アンラコロの歌」=貝塚夕焼け公園丘陵からの風景260516ぶぶる21th

サルウシナイ集水域の支流群。〝遊ぶ・学ぶ・褒めるの末字=ぶぶる21講座”締めくくり。そこに。
小説『原生花園』&TBSドラマ「アンラコロの歌」=貝塚夕焼け公園丘陵からの風景をお届けいたします。
作品の内容を紹介している2点。
●明治の始め、北海道・釧路に鳥取県士族開拓団の一行が入植した。有尾忠義は有能な士族だったが、病身のため、長女の秋子(泉晶子)が一家の柱とならねばならなかった。
八瀬順三郎(岩下浩)の嫁となった秋子は、様々な苦難に遭遇しながらも明るく生き抜いた。義父の力蔵(鈴木瑞穂)は日々を振り返る。
https://www.bpcj.or.jp/program/detail/000908/
●家族とともに鳥取県から釧路に渡ったヒロインが米屋に嫁ぎ、苦難に遭遇しながら成長していく。
http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-13092 『テレビドラマデータベース』
「原生花園 アンラコロの歌(アンラコロの唄)」
TBSドラマで紹介。
●渡辺喜恵子の長編小説「原生花園」の連続ドラマ化。
タイトルの“アンラコロ”とは、北海道の原生林に咲く“黒ユリの花”のアイヌ語。(1972年3月27日~9月30日放送



