河口浅間神社 | 千囃連のブログ

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まだまだ富士浅間は続きます

 

河口湖を渡り

河口浅間神社の参拝です

 

人皇第五十六代清和天皇の御宇、貞観六年(864年)五月富士山大噴火の事あり、富士山北面に在った大湖、剗の海(現在の青木ヶ原流域)埋没す。この様な大噴火の為、時の住民は甚大な災害を被く。此の事、甲斐の国司、橘ノ末茂公より朝廷に奏上、翌貞観七年十二月九日丙辰の勅命により、富士山の神、浅間明神を此の地に奉斎、擬の大領-無位伴直真貞公を祝に、同郡の人伴秋吉公を禰宜に任じ、富士山噴火の鎮祭を行う。これ当神社の御創祀である。延喜の制により名神大社に列せられる

 

御坂峠といえば、その旧道は旧鎌倉街道にもあたり、太宰治が名著『富嶽百景』に“富士には月見草が良く似あう”と詠んだ彼の地。今も太宰が逗留した「天下茶屋」が残っている。
その御坂峠のふもとに神社は座し、今までは、山裾にひっそり身を 隠す古社という趣きだった。甲府、長野方面から峠を越えて、富士山や河口湖方面を目指す車の多くも、気づかずに通り過ぎていたかもしれない。
でもその昔、富士山を目指すなら誰もが必ずまず立ち寄り、手を合わせていった場所だった。御坂峠からの“天下第一”の富士の眺めを仰いだあと、人々はみな富士山に迎う前まず、この神社を目指したはずだ。
そんな尊き由緒にしては慎ましい佇まいのお社が、今年、富士山の世界文化遺産登録で、堂々と「構成資産」のひとつになった

 

樹齢800年を超える樅の木と栃の木が富士河口湖町の天然記念物に指定されています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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