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9月2日
楽しんで来ました 宗吾霊堂 御待夜祭
正式名は”鳴鐘山東勝寺”ですが、なぜ”宗吾霊堂”と呼ばれるようになったのでしょうか?それは、この地に眠る「佐倉の義民(正義の味方!)」が関係しています。その名は“木内惣五郎”です。
江戸時代に地元(佐倉藩)で高い年貢などで苦しんでいた農民のために、ときの将軍 徳川家綱公へ直訴しました。その直訴で、重税は見直されたのですが、当時将軍への直訴は禁じられており、“木内惣五郎”は処刑されてしまいました。
佐倉藩はその失政を悔い、高徳の人として“宗吾道閑居士”と名を与え、その後義民・佐倉宗吾様が祀られているお寺として“宗吾霊堂”と広く知られるようになりました。
“佐倉宗吾様”のお通夜に当たる2日、人々は宗吾霊堂に「おこもり」をして夜を明かしたのが「宗吾霊堂御待夜祭」の始まりと言われております