流山市 駒木諏訪神社 | 千囃連のブログ

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恒例、年度末ぶらり旅 5場所目は

流山市 駒木諏訪神社です

 

「おすわさま」という名で親しまれている諏訪神社は、社伝によると大同二年(807年)天武天皇の皇子であります高市皇子(たけちのみこ)の後裔が大和(奈良県)より関東に下向、この駒木を永住の地と定めて守護神として信州諏訪大社から額面を遷し祀(まつ)たのが創建とされています。祭神は、「健御名方富命(たけみなかたとみのみこと)」で別に古事記や旧事記には「健御名方神」とも記されております。
 この神社の境内は約一万坪にして、うっそうと大樹が繁う千二百年の歴史を今に伝えております。
 社殿は、本殿・幣殿・拝殿からなる相の間造りであります。本殿は桁行奥行きとも一間の本体に向拝(ごはい)を設け、組物肘本 天井などは唐物の手法を見せております。拝殿は桁行三間 梁行二間でありますが、前面柱間は、実寸三間もあり、向拝柱もその延長に立つなど前面柱配置とそれに対応する梁の巨大さに特長があり、本殿と共に文政八年(1825年)に完工されております。棟梁は、国の重要文化財にも指定されている建築の作者多古の文蔵であります。また拝殿は、幣殿の前部に位置し間口四間奥行二間半、弘化三年(1846年)に完工され、作者は当地方の名工八木の文蔵であります。共に銅板葺にして、これらは江戸時代建築の典型的な権現造りで優雅を極めております。
 平成十八年(2006年)には御鎮座千二百年に成ります。  (境内の掲示より)

 

 

社伝によると、大同二年(807)に高市皇子の末裔による創建とされる。

高市皇子の後裔の一族が、新天地を求め西の都から東国へ向かう。
東国へ向かう途中で、ゆかりのあった信濃国一之宮「諏訪大社」に立ち寄り、御神額を賜った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当地は古くから軍馬育成の地として知られている。周辺には当社が鎮座する「駒木」など馬に関する地名が多く、南東側に残る「鞍掛」の地名は、義家が献馬の際に乗馬の鞍を掛けたことが由来という

 

 

御朱印

 

 

 

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