證誠寺 | 千囃連のブログ

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江戸時代の初期(17世紀中ごろ)證誠寺は誕生しました。
当時のこの付近は「鈴ヶ森」と言って、杉や松や桧が生い茂ってその周りを竹薮で囲まれた昼間でも暗く薄気味悪いところでした。
初代住職(了念法師)の父親は、鎌倉で狩野派の絵師をしていたらしく,住職はその次男で、医者になった三男と共に陸路,江戸を経て鎌倉から木更津に渡ってきて住み着いたそうです。

房総半島の東京湾に面した地区を内房と呼びますが、この内房地区は、真言宗のお寺が大変多く(木更津市内寺院の半数以上が真言宗)、浄土真宗のお寺は木更津でもこのお寺1ヶ寺だけです。

江戸時代初期に、この地に移り住んだ上方(関西地方)の商人たちが、最初のご門徒(檀家さん)になりました。このお寺に限らず千葉県の海沿いにある浄土真宗の古いお寺は、船に乗ってこの地に渡ってきた上方の人たちが関係している場合が多いようです。
本堂の裏に墓地がありますが、古いお墓をよく見ると「河内国惣持寺村」「越前」「阿波屋」「紀州」など関西方面をはじめとして西日本の地名が多く見られます

 

 

 

 

雅楽などを用いた法要は村人たちの耳に不思議に聞こえて話題になり、いつしか狸ばやしの伝説が生まれたという説があります。伝説がいつごろ生まれたかは定かでありません。

明治38年、松本斗吟という方が地元の文芸誌『君不去』にこの話を紹介しました。
大正8年、木更津町と君津郡の教育委員会の招きで木更津へ講演会に訪れたのが詩人の野口雨情先生でしたが、世話役の先生から素材の提供を受け、童謡「証城寺の狸ばやし」として大正14年に『金の星』という雑誌に発表され、中山晋平先生の曲を得て、ついに歌が完成しました

 

   證誠寺HPより

 

 

 

 

 

 

本堂

 

 

 

鐘堂

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前有ったとされる 朱印?

 

 

 

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