鋸山 日本寺 | 千囃連のブログ

千囃連のブログ

神輿・祭りを主に日々の出来事を書き込んでいきます
 ☆☆神輿会員募集中☆☆一緒に担ぎましょう!!

今日、偶然にも千葉TVで鋸山 日本寺を放映しておりました

 

私は2月5日に参拝して来ました

 

寺伝によれば、聖武天皇の勅願により、行基によって神亀2年(725年)に開山されたとされ、当初は法相宗に属していたという。
最盛期には七堂十二院百坊を有する規模を誇り、良弁、空海、円仁らが留錫(りゅうしゃく)したと伝える。良弁は木彫の大黒天を彫り、空海は100日間の護摩を焚き、石造の大黒天を彫り遺し、仁王門の金剛力士像は円仁の作とする伝承がある。
天安年間(857年 - 859年)、円仁が入寺して天台宗の寺院となったと伝え、その後、隆盛と衰退を繰り返したが、復興には源頼朝や足利尊氏の援助を受けたという。
真言宗を経て、江戸幕府三代将軍徳川家光の治世に曹洞宗に改宗した。幕府から朱印状を与えられていた。境内にある五百羅漢像(千五百羅漢)は、江戸時代後期にこの寺を復興した高雅愚伝(当寺第九世)が発願したもので、上総国望陀郡桜井村の石工・大野甚五郎英令が門弟27人と共に安永8年(1779年)より寛政10年(1798年)までの前後約21年の歳月をかけて彫ったものであり、約1,553体の石仏があります

 

 

日本寺は約1300年前、聖武天皇の勅詔を受けて、行基菩薩によって開かれた関東最古の勅願所です。鋸山(のこぎりやま)の南側斜面10万坪余りを境内としており、豊かな自然の中を散策しながら、大仏様(薬師瑠璃光如来)、百尺観音像、千五百羅漢石像群などをお参りすることができます

 
大仏広場より地獄見を目指しましたが 石段が永遠と続きます  2月でも汗ばんできました
御老体にはキツイです~~
 
 
大仏(薬師瑠璃光如来)
薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい) は世界平和、万世太平を祈願し、天明三年(1783年)に大野甚五郎英令が27人の門徒と岩山を3年かけて彫刻したものが原型です。その後昭和41年に4カ年にわたって修復されまし
 
 
 
 
 
 
大黒堂
昭和十四年の大火によって焼失された後、復興計画の元、平成十七年に再建されました。弘法大師の彫られたと言い伝えられている大黒尊天が祀られています
 
案内図
 
 
行けども行けども石段が続いてる~~
 
地獄のぞき
山頂展望台にある地獄のぞきからは東京湾および房総半島、富士山等が見渡せます
 
 
石像群  西国観音・奥の院無漏窟・日牌堂・あせかき不動・百躰観音・弘法大師護摩窟など
 
 
 
観音堂
元禄十三年の建立。扁額「円通閣」は旗本曽根懶斉の書
昭和32年に瓦葺に改修され、安房国札八番の十一面千手観音像が祀られている
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
百尺観音
世界戦争戦死病没殉難者供養と交通犠牲者供養のために発願され、昭和35年から6年の歳月をかけて昭和41年にかつての石切場跡に彫刻完成されました。
航海、航空、陸上交通の安全を守る本尊として崇めらています
 
 
 
 
御朱印