3月12日は
東金 火正(かしょう)神社例大祭でした
こちらの祭礼は2年に1度行われます
前回の祭礼は参加申し込みしたものの 別件でいけませんでした
火正神社は
ときの領主「板倉公」を語らずしては話が前に進みませんのでご理解の程を…
「板倉家」と東金の関係は、福島藩祖の「板倉重昌公」が慶長19年(1614年)に「徳川家康公」と共に東金に来訪したことに始まります。
江戸幕府の中枢で活躍されていた「板倉家」が、寛文11年(1671年)幕府より拝領した土地が、今の上宿・谷・岩崎・新宿・田間そして豊成の二又地区です。火正神社の本殿は元禄11年(1698年)1月28日、板倉重寛公により創建されました。その後奉納された「大みこし」が、享保18年(1733年)に初めて渡御されました。ですから火正神社の「大みこし」は、社(やしろ)が上宿に在るにもかかわらず「板倉公」の領地の田間まで渡御し、二又地区に向かって挨拶するのです
上宿お祭の会より
火正神社(発御)→菅原神社(岩崎)→五十瀬神社→田間神社→菅原神社(田間)→火正神社(還御)
と5つの神社も廻ります
2天棒で各奉納場所で左右に大きく神輿を振り 最後にさし上げます
発御は11時でした
4神社に寄っていきます
おまけ(神輿は大きいです)
おひねりが多く投げ込まれます
(おひねりは柵の間に飾りつけられます)
19時過ぎ火正神社に戻って来ました
本年度運行図(12日)