曹洞宗 江戸三ヶ寺 泉岳寺へ行って来ました
曹洞宗のご本山は二つあり、一つは道元禅師が開かれた福井県の永平寺、もう一つは横浜鶴見の総持寺です。
道元禅師の主著は仏教の真髄を表した『正法眼蔵』という95巻に渡る書物です。
さて、泉岳寺は慶長17年(1612年)に門庵宗関(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田に創立した寺院です しかしながら寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失。そして現在の高輪の地に移転してきました。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺はできあがったそうです
大本山
福井の永平寺(高祖 道元禅師様ご開創)
鶴見の総持寺(太祖 瑩山禅師様ご開創)
本尊
釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)
泉岳寺は
赤穂四十七義士のお墓が存在いたします
主税梅
瑤池梅
血染めの梅、血染めの石
首洗い井戸 が残っております
赤穂義士が討ち入った吉良邸の一部が、現在の両国にある本所松坂町公園内に残っています。公園には首洗い井戸や、赤穂義士についての説明板などがありま す。討ち入った後、吉良の首を主君の墓に供えるため、泉岳寺へ向かったため、泉岳寺に向かう道中には、忠臣蔵にまつわる石碑などが複数あります
中門
元来、泉岳寺には三門と言って三つの門(総門・中門・山門)がありましたが、現在は中門と山門のみが残っています
二階部分には十六羅漢が安置され、一階部分の天井には「江戸三龍」のひとつ、銅彫大蟠龍がはめこまれています
内蔵助が当時の風俗である元禄羽織を身につけ、連番状を手にして東の空(江戸方向)をじっとにらんでいる姿を表したものです
瑤池梅
義士の墓守をした堀部妙海法尼が瑤泉院から賜った鉢植えの梅を移植したものです
浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅と石です
首洗い井戸
義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したところから「首洗い井戸」と呼ばれています
義士墓入口の門
赤穂四十七義士 墓位置碑