浅草寺 銭塚地蔵尊 | 千囃連のブログ

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浅草寺の諸寺院
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は参拝に訪れていたが 銭塚地蔵尊は何故か初参拝 (´∀`)


銭塚地蔵尊
昭和39年(1964)再建の堂内に、四角い石塔の上に石の六地蔵尊をまつる。
  享保年間(1716~35)摂津国有馬郡の山口某の妻が、庭先で「寛永通宝」がいっぱい入った壺を掘り当てたが、これに頼って働かずにいては家が滅びると 思い、土中に埋め戻した。この心掛けによって一家は繁栄したので、その壺の上に地蔵尊をまつったという。銭塚地蔵尊は、そのご分身を勧請(かんじょう)し たもので、商売繁昌を祈願する人が多い。石塔の下には「寛永通宝」が埋められているといわれる。これが「銭塚」の名の由来である。毎月「4の日」に法要が 営まれ、特に正・5・9月の24日は「正五九」の大法要がある。
  参拝者は塩とお線香、お灯明のローソクを分けてもらってお供えする。特に塩をあげることから「塩なめ地蔵」の名がある。塩でお地蔵さまの御身を清めるのだという


浅草寺内にこの地蔵尊のある理由は不明であるが、塔の下には「寛永通宝」が埋めてあったと伝えられ、「銭塚」の名がある


本尊  石仏六地蔵尊(四角四面石塔上)


かんかん地蔵
銭塚地蔵堂前右側の石碑。以前は大日如来の姿であったと伝えるが、現在は、地震や火災に遭い、頭・手・足などその形を存しない。俗にこれを「かんかん地 蔵」と称し、塩を奉納して参拝する習慣がある。その名は、参拝者が石を打って祈ると、「かんかん」と音が出ることに由来すると伝えられ


本 堂


由 緒




石仏六地蔵尊



かんかん地蔵


  三社祭の最中で人が多いから大胆に写真撮らないでねってお願いされちゃいました(≧▽≦)