【ももクロ仏教】 ティハ 著
[2回目/全3回]
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■あーりんはあーりんだから、なんでもあーりん

 弁才天(弁財天)は、弁天様とも言われるが、仏教の守護神である天部の一つでありながら、神道にも取り込まれ、ご存知「七福神」の一尊でもある。ちなみに「才」の字を使うのが元来で、「財」の字は財宝神としての性格が付与されたためと私は認識している(茄子のお守りで有名な鎌倉の銭洗弁天は正式名称では「財」を使うのだが、これもそんな意味があるようだ)。また古くは「辯才天」とも表す。



 さて弁才天は「音楽神、福徳神、学芸神、戦勝神など幅広い性格をもつ」とされる。
 これだけで、あーりん要素を感じずにはいられないが、何より一番あーりんを想起させるのは、その造形が「女性」である、という単純なものであることは否めない。
 冒頭で述べた観音菩薩というのは正確には男女識別されていない。おそらく女性だと思うのだが、よ~く見ると、たまに あごにひげが生えていたりすることもあるので、ここでは性別不明ということにしておく。
 その点、弁才天はもう確実に女性だ。それもぷにっぷに~な女性の姿で描かれることが多い。さらに手には楽器の琵琶を持っていることが多いのだが、これは完全にドームトレックのあーりんに他ならない。エレキギターを掻き鳴らし「ドヤ顔」してみせるあーりんは、私にとって「リアル弁才天」であった。



 たぶん、モノノフがももクロを七福神に例えるなら「弁才天=あーりん」だけは、すぐ決まるのではないだろうか。(前に所十三先生のイラストでもそうだった記憶がある)
 お寺でも祀られ、神社でも祀られる、このカテゴリーを超越した信仰度合いは「ぷにノフ」にも似ている。あのピンクの人たちって、どこでもいつでも「だってあーりんなんだもん」で万事が済んじゃうじゃないですか。・・・さすがの圧、さすが「戦勝神」である。



 ところで弁才天を祀る神社仏閣の有名なところを調べると、広島の宮島(厳島神社)、琵琶湖の竹生島、江ノ島、上野不忍池など、水に囲まれていることが多い。これは出自が「インドの聖なる河の神様」だったためで、泳げないあーりんはこの辺で相違があったりする。
 また江ノ島神社、銭洗弁財天はモノノフにとっては、れにちゃんの聖地としても有名であり、この彩高コンビの関係性はどこか前前前世的な運命も感じずにはいられないので圧・・・もとい、のである。


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■しおりんは国宝級の仏像にしか見えない

 玉井さん、そして黄推しさんには申し訳ないのだが、しおりんに関しては「仏様」で例えるのではなく、一体の「仏像」で例えたい。
 しおりんがオールマイティ過ぎてしまい、例えるのに相応しい仏様がいないわけでもないのだが、いまいちピンとこないし、何よりも「あの仏像」を仏ファンとしてスルーできない。
 日本でもトップクラスの人気仏像に例えたいのだ。

 もう勘がいい方はおわかりだろう。奈良、興福寺の国宝「阿修羅像」=しおりん、だ。 




「天平の美少年」の異名を持つ「興福寺・阿修羅像」は、世界の仏像の中でもトップクラスのルックスを誇る。そのお顔は観る者の心を引き付け、視線をそらすことが出来なくなるような魅力があり、そして、肩から伸びるスラリと細い腕は、今まで取り上げてきた仏様には見られない、しなやかさを感じる。
 また、子どもから大人に成長する過程のような清純さ、しかしながら愁いを帯びたような瞳と眉間のしわ、その美貌と内面の奥深さは筆舌に尽くしがたい。

 ももクロの5人の中で誰が一番美しいだろうか、という議論は不毛極まりないものだと思うが、この「興福寺・阿修羅像」に一番似ているのはしおりんに他ならないと私は思う。

 余談だが「興福寺・阿修羅像」には「公式ファンクラブ」が存在する。仏像にファンクラブがあるなんて、ちょっと奇妙な話だけど、それだけの人気者なのだ。
 そしてその会長は私も尊敬する、みうらじゅん氏が就任されており、さらにオブザーバーとして高見沢俊彦氏が名を連ねる。
「ももクロのたかみー(たまみー)」こと玉井詩織・・・やはりここにも「ご縁」があるに違いない。(詳しくは「阿修羅ファンクラブ」をお調べください)
更にだ。
 3つの顔に6本の腕、仏像界隈では「三面六臂」というが、これもしおりんに通じている。日本の慣用句に「八面六臂の大活躍」というのがあるが、実は「八面六臂」の仏像というのは(たぶん)存在しなくて、そもそもの由来は「三面六臂」のことなのである。「ももクロのスーパーサブ」はいつも「八面六臂の大活躍」。そのオールマイティな一面をとてもよく表しているのではないだろうか。




 ただ仏像ではなく、仏教界における「阿修羅」というのは、時に闘争的な性格で悪者とみなされたりもする。「修羅場」という言葉の由来でもあるし、キン肉マンの「アシュラマン」もヒールとして登場する。(ただし仏像同様にその道のファンからの人気は非常に高いが)


 また「輪廻転生」という言葉で表される「六道」は、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道なのだが、阿修羅は「修羅道」の主である。修羅道に落ちた者は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えない世界で、人間と家畜の間に位置しているのだ(その造形については三十三間堂の阿修羅像を一度ご覧ください←これも国宝)。
 というわけで、しおりん=「興福寺・阿修羅像」で決めさせていただく。


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■ももクロ「唯一の人間」と言われる杏果は庶民的?

 単刀直入に言うと、杏果は「地蔵菩薩」に例えたい。
 たぶん相当に緑推しの方からのブーイングをくらうと思うが、どうかお付き合いいただきたい。それなりに根拠はある。



 そもそも「お地蔵さん」というと、一般的に他の仏様に比べて庶民的、馴染み深い存在と認識されている。日本の昔話に出てくる頻度も高いし、言い方が悪いが「そこらへんの道端」でよく見かける。
 造形は基本的に「僧侶」の形で表されており、まあなんと言うか、お顔はまん丸で・・・お団子のようである。いや、だからといって、前項の阿修羅みたいに、その容姿を当てはめて「地蔵菩薩」に例えたわけではない。(もちろんその意味もあるのだが)

 地蔵菩薩にはとてもとても大きな使命があるのだ。
「お釈迦様が亡くなった後、次のブッダが現れるまで、六道すべての衆生を救う存在」なのである。(六道は前項参照)
 弁才天が属する「天道」、阿修羅が主である「修羅道」も、また我々がいる「人間道」も含め、すべてを癒してくれる、空前絶後で超絶怒涛な救いの仏様なのだ。(だからよく「六地蔵」として祀られている)


 仏様のワンダーランドである寺院を「5人揃ったももクロ」だとすると、あんまり目立とうとしないあたりも類似している。(かといって、他の仏様に比べて信仰が薄いなんてことはなく、とても強く信仰されている)
 大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で救う、それが杏果を「地蔵菩薩」に例えた理由なのである。

 また「地蔵菩薩」には別のお仕事がある。実は杏果、いやお地蔵さんには「冥界の王として死者の生前の罪を裁く神」という仕事もある。
そう「閻魔大王」とは他ならぬ「地蔵菩薩」と同一視されるのである。
人間は死んだ後に、極楽往生するか、地獄に堕ちるか、閻魔大王の裁きを受けると言われる。その際、いわゆる「閻魔帳」なる帳面に生前の記録が残されており、尋問に対して嘘をついても見破られてしまうとされる。
 ここで諸説のひとつであるが、この閻魔帳というのは、あちらこちらに佇んでいるお地蔵さんが亡き者の生前の生き方を記録している情報の「まとめサイト」という説があるのだ。
 「閻魔大王の閻魔帳」とは、おそらく「杏果のエゴサ」と同一視できると思われる。そう考えると気安くSNSでつぶやくのも怖いものである。


 ちなみに閻魔大王の大好物は「コンニャク」である。東京・文京区の源覚寺に「こんにゃくえんま」という仏像があるが(本当にたくさんのコンニャクが供えられている)、こんなところにも杏果の化身と言える根拠があるのかもしれない。アク抜きせずに油で揚げたアレ・・・もしかすると冥土の土産なのかもしれない。




つづく→③