「判決に勝者はいない」 | 意匠太郎☆デザイナーな日々

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光市母子殺害事件で死刑判決が下った。
13年間、長かったと思う。

少年法の壁、被疑者保護、殺された側の立場よりも殺した(殺してしまった)側の立場ばかりが議論されてきた印象のある従来の裁判制度に対して、今回最高裁で死刑判決が下った意味は大きい。

被害者の夫、同時に父親である本村さんは判決後の記者会見で、多くのことを真摯に語っていた。
その中で
「裁判に正面から向き合っていれば死刑判決は下らなかったのではないか」
といったニュアンスの発言もされていた。
これは、高裁判決の無期懲役に対する上告が、最高裁から差し戻されたのち、被告側が殺害動機などを翻したことを言っているのだと思う。具体的には「母性がどうの...」だの「復活の儀式」だのといった言い訳、こじつけのように感じられる諸々の証言。

結局、被告弁護団は裁判対応を誤ったことにあわてて、
つじつま合わせのような事由を創造したとしか思えない。
それを被告の(かつての母親の自殺など)過去に照らして、精神年齢が18歳に未達などといった内容と合わせて説得力を持たせようとしているかのようだった。

そんな弁護団に対しては、一般人として不愉快な気持ちを持たずにはいられない。

対照的に、この事件で一番、悲しみや恨みや苦しみを背負っている本村さんの数々の言動には本当に頭が下がる。
「判決に勝者はいない」
死刑判決を求め続け、それを得た今、残った空しさを語った言葉。

本村さんに平穏が訪れたようには思えないのだけれど、本当にお疲れさまでしたと言いたい。
そして、被害に向き合う真の人間の姿を見せてくれたことに感謝します。