8年前に友達が活動していたバンドがあり、あまり爆音が好きではなかったけどせっかく誘ってくれたので
ライヴハウスに向かうことに・・・中に入るとそこはまさに爆音の嵐、『怖い
怖い
』そう思っているうちに
まるで意識のある気絶のような感じにさいなまれ心臓はバクバクだった。何とか、そこは乗り切れたけど後日
内科を受診し特に異常なし、でも車の運転中にもライヴハウスでの出来事を思い出すだけで、とてつも
ない眩暈と気絶感で良く車の運転中、道路の横に駐車し少し落ち着かせる。そんな日々が続いていた
ある日、ネットでパニック障害という病気を発見。症状は人それぞれかも知れないが僕には全て該当していた
即、近くの心療内科を調べて受診・・・案の定パニック障害と診断されこの日から抗うつ薬と抗不安薬との
付き合いが始まった。正直ショックだったけど、これであの恐怖がなくなるのならと思い病気と付き合っていく
決心をした。1年、2年、3年・・・年々症状は回復しパニック発作の回数は減った。当時24歳で派遣社員
だった僕は病状も落ち着いたので、そろそろちゃんと職に就かないとって思いだしていたところ、設計士
だった僕に仕事の付き合いが合った方が「うちに来ないか?」そう言ってくれたので僕は何のためらいも
なくお世話になることを決意した。そんなこんなで派遣社員だった僕にも送別会をしてくれた。社員は200人位
いる会社だったが面識のある方々で総勢30人位で僕は送られた![]()
もちろん大体は知っていたが、その中に全く面識のない女性がいた
完全に一目ぼれした![]()
そして3年後パニック障害は完治していなかったが彼女と結婚した![]()
マイホームも購入した![]()
結婚して約3年我が家に家族が増えた。どちらにも似た男の子。幼い頃、親に捨てられた僕は、この子を守り
続ける事を決心した。全てが幸せだった小さい頃から我慢、我慢で育ってきた僕には本当に幸せだった![]()
けど、やっぱり来る日は来た・・・会社の倒産だった。それでも必死で職を探した、妻も働いていたが子供の為、
妻の為、自分の為に必死に・・・でも責任感が強かった僕は完全に疲れていた工場で働きだして間もなく体調に
変化があった。もう薬にはたよっていなかったのにパニックになる回数は完全増え会社を休む日が続いた、休ん
でいる自分が許せなくて自分を責めた、責めすぎた・・・妻も子供いるのに・・・自殺を考えた毎日、死ぬ事しか
考えていなかった。でも子供が生まれた時に決意した事を思い出し再び病院へ うつ病とパニック障害と診断
された。以前のパニック障害の時とは遥かに違う薬の種類の多さだった
それがもう2年前、再び薬を飲む時悔しすぎて泣きながら飲んだ事は一生忘れないだろう![]()
