こんにちは。
中学受験プロ家庭教師のチャーリーです。
今回のテーマは「古代の都の変遷」です。
古墳時代(3世紀半ば以降)に大和地方(奈良)を中心にヤマト政権がつくられます。
ヤマト政権は大王と豪族たちとの連合政権でした。
やがて飛鳥地方(奈良盆地南部)が政治の中心になります。
推古天皇以降の100年間を飛鳥時代と言います。
大化の改新(645)では、天皇中心の国づくりが進められていきます。
都は何度か変遷します。
1 藤原京(694)=奈良県橿原市
持統天皇
↓
2 平城京(710)=奈良県奈良市
元明天皇
↓
3 長岡京(784)=京都府長岡京市
桓武天皇
↓
4 平安京(794)=京都府京都市
桓武天皇
地図を見ればわかりますが、これらの都は次第に北上している点に注意してください。
都は唐の都の長安がモデルになっていて大きな道が碁盤の目のように走る計画都市です。
これらの都は形も若干異なります。
特に平城京の形に気をつけてください。
平城京は四角形ではなく、「外京(げきょう)」という部分が都の北東部分にあります。
東大寺は外京の外側にあります。
また奈良時代には聖武天皇は何度も遷都を繰り返しています。
平城京➡恭仁(くに)京➡難波宮(なにわのみや)➡紫香楽宮(しがらきのみや)➡平城京
恭仁京=京都府木津川市
難波宮=大阪府大阪市
紫香楽宮=滋賀県甲賀市
平安時代末期に平清盛によって都が一時的に大輪田の泊のある神戸に遷都されたこともありました。
平安京➡福原京➡平安京
福原京=神戸市
問題 663年白村江の戦いに敗れた後、中大兄皇子は都をどこに移したでしょうか?
➡大津宮(滋賀県)
➡白村江の戦いでは、百済を救援に出兵しましたが唐と新羅の連合軍に敗れてしまいました。その後、唐と新羅が攻めてくるのを警戒して飛鳥から大津に都を移しました。大津に遷都した後中大兄皇子は天皇(天智天皇)に即位します。
★ お問い合わせは、
seehorse1964@yahoo.co.jp まで。
↓「にほんブログ村」のバナーを、一日一回ポチッとしていただければ励みになります!
【twitterのアカウント】
チャーリー先生@中学受験プロ家庭教師さん (@seehorse3) / Twitter