初の武家政権を築いた鎌倉幕府初代将軍源頼朝の妻でありその執権北条氏の血を引く北条政子の菩提寺、安養院。
源氏と平氏の対立後、鎌倉幕府を設立したのち、夫に先立たれ、鎌倉幕府を取り巻く豪族間のいざこざ、朝廷との戦いなど激動の時代を生き抜いた氏の強さは計り知れません。
この寺の歴史には、長楽寺・善導寺・田代寺という3つの前身寺院が関係している。長楽寺は、1225年(嘉禄元年)北条政子が夫である源頼朝の菩提を弔うため長谷笹目ヶ谷(はせささめがやつ、鎌倉文学館付近)に願行を開山として創建した寺と伝えられる。山号を祇園山と号し、律宗の寺院であった。長楽寺は1333年(元弘元年)兵火により焼失し、大町にあった善導寺に統合され安養院長楽寺と号した。なお、安養院は政子の法号から取られたものである。一方、田代寺は1192年(建久3年)田代信綱が尊乗を開山として比企ヶ谷(ひきがやつ)に建立したのに始まると伝えられ、江戸時代になって安養院に統合された。千手観音は田代寺にあったもので、田代観音とも称されている。
本堂内には寺の本尊の阿弥陀如来坐像(室町時代)の背後に札所本尊の千手観音立像(江戸時代)を安置する[1]。
重要文化財(国指定)
- 石造宝篋印塔 - 鎌倉時代後期(1308年)の建立。「□(徳)治三秊戊申七月日」の刻銘がある。昭和29年(1954年)03月20日指定。
場所
とにかく鎌倉駅から遠く歩道が狭いために危険。
また街中にあり案内板が小さいためにわかりづらい。