鎌倉幕府に元寇の脅威を説いた日蓮ゆかりの寺です。
この地はかつて刑場跡で、文永8年(1271年)9月12日に日蓮宗の開祖日蓮が処刑されそうになった[1]。この事件を日蓮宗では龍ノ口法難と呼ぶ。
その後延元2年/建武4年(1337年)に日蓮の弟子、日法がこの地を「龍ノ口法難霊蹟」として敷皮堂という堂を建立し、自作の祖師像(日蓮像)と首敷皮を置いたのが龍口寺の始まりと伝わる。
なお、本格的な寺としての格式を整えたのは腰越・津の国人で日蓮宗の信奉篤い島村采女が慶長6年(1601年)に土地を寄進して以来のこととされている。
1886年(明治19年)までは選任住職を置かず、片瀬八ヶ寺が輪番で維持していた。
現住は15世本間日恩貫首(台東区善慶寺より晋山)、池上法縁五本山の一つ。