◆米ソの戦後覇権の思惑
失礼、前回の文章に訂正があります。
日本国憲法は、ケーディス(DS(ディープ◦ステート)側の使者?)GHQ民政局次長の基、
25人のスタッフが八日間で作ったもので、
法律の知識があった者は四人だけでした。
憲法に関しては誰もいません。
その中にTAビストンがいたのです。
後日、彼はソビエトのスパイと認定された者でした。
それは当時、天皇条項に絡んでいて、
私達日本人にとって、
天皇は歴史と伝統に基づいた国民統合の象徴ですが、
ビストンは、
「天皇は国民によって支持される」と書きました。
それは国民に支持されなくなれば打倒できることを含ませたもので、
人民革命の準備に書き換えたのです。
(翌22年に日本でゼネストが計画され、それを利用し革命を実行するために、ソビエトから武器も入れられていた。
危機感をもったマッカーサーが寸前にストを止めた)
当時の日本政府は、
天皇陛下の処遇や軍事の脅しで、様々な要求をのむしかありませんでしたが、
この憲法草案に抵抗した人々や、
米国DS側の意図も知らずに媚びていた者もいました。
ここで人としての価値観と価値判断能力の違いが表れますね。
ところがサンフランシスコ平和条約締結後、すぐに吉田首相一人が呼び出され、
日米安保条約を結びました。
これが第九条からの軍事的不備と、日本の防衛機能を米軍が補うための処置という事とされたのです。
勿論、瓶の蓋という意図とも知らずに……
終戦近くにヤルタ会談でルーズベルトとソビエトで交わした、
プロジェクト◦フラ
(ルーズベルトは大西洋憲章(領土の変更はしない)を結んだにもかかわらず、
ポーランド◦リトアニア◦ラトビアのバルト三国や東欧を、ソ連の影響下に置いてよい。
満州や、北方領土から北海道の半分もソ連のものにしてよい。
その代わり戦後も仲良くという談合を秘密裏にやった)
要するに、
ソビエトが日ソ不可侵条約を破って満州に侵攻したのも、
占守島から北方領土へ侵攻して来たのも、
米国(ルーズベルトDS)とソビエトとの合同プロジェクトだったのです。
(共和党のブッシュJr.が大統領中、ヤルタ会談を批判したのはこの事であり、NATOの進行が始まる)
スターリンを怪しみ始めたアメリカは、
この後、計画が遅れていた原爆が完成し、
これで単独覇権を取れると踏み、
より早く日本を降伏させるため原爆投下を急ぎます。
当初の計画はナチスの軍事施設へ落とす計画でしたが、
ドイツが降伏した為に、目標を日本人としました。
また、マンハッタン計画での予想外の莫大な費用に、国民へ納得させる意図もあったともされます。
(日本各地へ30発落とす計画をしていた)
しかし、ソビエトもドイツから原爆資料を盗み虎視眈々と開発していて、
もうすぐ完成するという情報を得た米国は(ソビエトが完成したのは4年後だった)、
仙台の辺りまでソビエトが侵攻するものと覚悟を決めていました。
広島、長崎の後、更に早く日本を降伏か強制占領するために、
三発目の投下を8月19日に東京へと定めていたのです。
よく言われる、
アメリカ兵の命を守るため……という文句で、済まされるものではありません。
東京裁判では、
戦犯(事後法)という扱いで不当な刑を受けたり、
憲法改正、財閥の解体、公職追放など、
様々な国際法違反にも逆らえないでいましたが、
(元々、戦争法とは軍に対してのものであり、民間には適用されないし、ドイツとはかなり違っていた)
◆共和党の反撃
戦勝国の多くは陛下の処刑を求め、
中国からは日本人全員を処刑しろという要求でした。
しかしアメリカ軍の統治は、従来の戦争後の処置としては、大変緩やかなものでした。
(戦前戦中のルーズベルトの政策が議会にばれて、フーバー元大統領やタフト元大統領や、共和党の重鎮フィッシュ議員などの共和党系が怒り、
日本の対偶が変わって来る。
DS系はジャパンハンドラーで
ウイークジャパン派(中国派)
共和党系もジャパンハンドラーだがストロングジャパン派)
この占領がDSや中国やソビエトだったら、
いや、どこの国であろうと、考えるとゾーとします。
統治者も東京裁判をはじめ、ルーズベルト(DSとソ連、中共、国民党のスパイ)の策略や、
戦前に日本からの和平交渉の拒否どころか、
様々な反日プロパガンダを流したり、
開戦前に、米国議会をも通さず義勇兵と偽り、
アメリカの正規軍パイロットと戦闘機「フライングタイガース」を中国へ送り込み、
(一旦彼らを退役させてまでして)
日本軍はかなり苦戦していました。
ルーズベルトの事実上の宣戦布告と言われる、
ハルノートの存在さえ議会に伝えていません。
これを書いたゴールデン◦ハル長官は、ソビエトのスパイであった事は有名ですね。
真珠湾攻撃で一致団結したアメリカですが、
実はそれまで日本との戦争を
反対していたのが共和党でした。
日本は民主主義国家であり、同じ仲間であると主張していたのです。
何故その情報が日本へ流れなかったのか?
当時からメディアは民主党DS側に握られていたのです。
共和党側は「草の根運動」など地道にコミュニティを開き、
40年には、
アメリカ第一委員会が発足され、
あの空の英雄リンドバーグが顔となっていました。
勿論、伝統的に福音派の存在はびくともしません。
これらがDSマスコミに対抗していたので、
今ではシーパックとして年何回は、大きな大会が開かれています。
一方的な民主党寄りの大手マスコミの報道にも関わらず、共和党側が互角にやって来れたのは、
上記の様な地道な運動があったからです。
それでも今も日本のマスコミはDS側に右へならえで、
民主党側に優位な放送しか流しません。
アメリカの国民の七割が大手メディアを信じていないというのに、
トランプが悪でバイデンが正義と言う、プロパガンダを信じているのは日本だけでしょう。
日本の場合は流す内容も○○○にチェックされているのは明白です。
当時も、
米国内での共産主義の実態が浮かんでいたのです。
(FBIもベノナなどで掴んでいたが、戦時中で公表出来なかった。
アメリカDSは戦後、国共内戦で国民党ではなく、共産毛沢東に援助を変えた。
毛沢東が戦勝して現れたとき、周りの戦車などが米国制であった事に驚く)
アメリカでは共産党は禁止されていて、その思想はDSや民主党の中に潜んでいるのです。
(この場合ディープステート(DS)とは、
国際禁輸資本◦ネオコン◦エイペックなどに潜む過激な思想を持つ人々のことで、主に民主党の政治家や、司法と連んでいる影の組合みたいなもの、
この中に共産主義の思想を持つ者が多い。
日本の共産党とは全く関係ないし、
ユダヤ人の多くも共和党に献金していて、それぞれ複雑に絡み合っている
例えばトランプ支持の35パーセントはエイペック(ユダヤロビー))
◆共和党側が後に驚いた事、
日米戦争を天皇は望んでなかった事、
その名により何度も近衛内閣の和平案を握り潰したルーズベルト、
ハルノートの存在、
ABCD包囲網、
アメリカが仕掛けたことが事細かに分かり出し、
東京裁判は日本を10年かけて占領し徹底的に叩こうとしたが、
審議が進むにつれ、各国が引いてしまったのです。
マッカーサー自身も途中で全てを悟った事は事実で、
戦後、フーバー元大統領との会談で全てに一致しています。
最も怒っていたのは共和党の重鎮ハミルトン◦フィッシュ下院議員でした。
日本国民の天皇陛下に対する実直な心、
日本兵の勇敢なる戦い、
また、ヤルタ会談あたりからのソビエトの変化を感じ取り、
アメリカ側もソビエトの脅威を認識し始め、
日本を西側の防波堤にしなくてはというのが定説になっていますが、
実際には複雑な状況があったのです。
◆世界の精神性と日本
1960年代からアメリカの風紀が乱れ始め、現在に至ったのも、
ポリコレに走り過ぎ自由という価値を勘違いして、生きさせられる日米欧の人々。
現在は戦間期であるだけなのに、スリーエスに溺れ、
DSのポチになって右習えする政治家
それを見て平和ポケする民衆
ほっといたら日本の明日が無くなります。
今必要なのは、
神・義・態の確立と、
「朱子学」(悪いところを除いて)と、
「陽明学」とで、
価値判断能力を得て、
科学的不動心で構成する強い精神力でしょう。