格闘人生のまとめに入っている私の第三世界ですが、

まだ名前が決まっておらず、真武道と仮に呼ばせてもらっています。

ここへ来て神田明神さんでの発表が七月に決まりましたが、
 
名称は重要です。

いくつかの名前は出るのですが、今回は論理が大き過ぎて、どれもしっくり来ていませんでした。

流行るような名は簡単ですが、目的が違い過ぎ、意味がないのです。

また柔道や合気道などの偉大な武道とも主旨が違い、あからさまに名乗れません。

すると数日前、突然大きなヒントが夢に出て来たのです。

まるで揃ったジクソーパズルの絵のようでした。

私はおもわず強制的に目を覚まし、パソコンに向かい、

その文字について色々と調べると…

結果、意味も内容も見事に相応しい!ということに驚いた次第です。

まさに神が降りてきて、
「この名にしろ!」
と言わんばかりの奇跡でした。

第三世界は構想45年
祠集中15年という、あまりにも大きな構想で、

その間、思想を抱き、調べに調べ、研究に研究を重ね、藤原先生に殴られ、考えに考え、実験に集中する事を、

繰り返して来ました。

近年は、病で休んでいましたが、

神田明神さんがあったからこそ目的が生まれ、

ラストスパートが出来たのです。

七月の発表を控え、ここへ来て理論がズバリはまり、

組み立てきたジクソーパズルの絵が、アマテラスだったという気分なのです。

もし藤原先生の酔った顔が現れたらうなされるところでした。

今回は規模も内容も実戦性も、比較しようもない別物で大きな物です。

中々、理論に相応しい名前が浮かんでは来ません。


若い頃、総合をやることを目指したのは、

「プロレスに市民権を」という、
当時の第一世界の方針の言葉でした。

造るに変わった時は、
「相撲のようなもの」に理想を求めたのですが、

若輩者の私には、気持ちだけの感覚だったのです。

それが武道だったと気付いたのは暫くしてからの事でした。

本物の精神性を手に入れたい私は、一からやり直そうと痛感したのです。

しかも科学に基づき、温故知新、先人達の背景も、探し出そうと必死になります。

歴史、精神科学、東洋思想等を格物窮理し、

最後に、その鍵が他の武道のごとく、
最も大切なものを把握させてもらいました。


武道の姿

武道といえば、古(いにしえ)の武士から引き継がれた、

風紀と流儀の結晶である武士道の継承とも思えますが、

そもそも武士道自体の定義や歴史を知らずして、

語れるものではありません。

現代の我々が観じる武士道とは、
江戸初期に侍が世を統治するための、

為政者育成的儒教で、

本来の儒教(朱子学)をそのまま要したものではなく、

戦国武士の生き様に異を唱えかつ気風を残した、

侍階級の規律的武士道なのです。

やがて戦いのない文化を成し、

三百年後の次の時代(明治後半)にまでどころか、

現代の私達にまで精神文化として影響を与えている、

日本文化の結晶の様なものです。

その淵源には更に深い姿があり、

これあっての武士道だと言う事が見ごとに解ります。

何がための武士なのか?

何を求めて日本独特の風紀や流儀は生まれたのか?

武士道を通り越して、古の時代にまで遡らなくては真の姿は見えて来ません。

一件、国歌に出てくる、
さざれ石が巌となりての如く、

小さな石が集まり固まって、不動で厳格的な巌になる姿こそが、

優秀な個々による普遍的造形そのものであるのです。

その巌を司ってきた流れの要こそが、

全ての武道の鉄則でもあります。



精神性の流れ

日本近代精神文化=世界で独特
明治武士道=欧米文化の見直し
江戸規律武士道=朱子学
戦国武士流儀=義と「死に狂ひ」
中世武士気風=兵の専門「鬼の様」
中世以前武士気風=自己救済・私兵
古(いにしえ)の兵気風=祭祀と朝廷兵