酒飲めば、夜風涼しき、月明かり。
ゆったり月を眺め猫と戯れて、ようよう安らいだ心が何かを求めて
月夜には、酒である。
いや、雨でも雪でも嵐でも、私が夜になると欲するものは一つ。酒
そうだ、酒でも飲もう。
等と照れ隠しのように何気無く独り言を呟いてみても無駄である。
私は毎日夜になると酒を飲む。悪癖である。けれども酒を飲むと気
酒は憂いの玉はばきとか、昔から言うじゃないか。
心を押し殺して愛想笑いに無難な言葉。疲れた一日を終えて、やっ
いや、一杯で済めばまだ良いのだが、そうもいかないのが酒の魔力
一杯飲むとついもう一杯。気が付けば何杯飲んだのか、自分でも良
毎晩これではいけない。
最早とうに立派なアルコール依存なのかも知れない。そう思うとい
だが、仕方がない。そんな不貞腐れた締観にも似たものが心に大き
まぁ、良いだろう。仕方がない。世知辛い世を生きる処世術みたい
所詮はいつか尽きる命である。虚しい乾いた日々に一滴の潤いを、
四の五の自己弁護の戯言を念じながら、店へと歩む足取りが次第に
先ずは会社から歩いて十分程のすすきヶ原を抜けた先にある大通り
何故か妙に足取りが軽い。すたすたと店内に入り込んで、勝手知っ
幸いレジには誰も他に客はいない。速やかにレジに行き、はいと渡
ほんの短い安らかな一時である。
その店員さんは私と同年代か少し上の女性パートさんである。名札
どこかに脆さと儚さを覚える女性である。
私のようなビクビクと不安に怯え仕事に人生に疲れた不甲斐ない男
思えば彼女に初めて会ったのはいつだったろう。
確か一昨年の春先、スーパーの広い駐車場の片隅に、白梅がひっそ
あの夜も凍える大気の張りつめた空気を照らす、さめざめと冷たい
私はひどい寒さと何だか思い出せぬががっかりとした失意とを覚え
確か一人会計中のレジに並び、なんとなしに店員の女性を見てハッ
なんて不安そうな、崩れ落ちそうな憂いのある笑顔なのか…。
その印象は今も深く私の胸中にある。
彼女の切ない笑顔に訳もなくどぎまぎしながら前の客の会計が終わ
いらっしゃいませ。
お願いします。
私は缶ビール一本だけ、彼女にそっと差し出した。
レジが済むまで、僅かな時間がやけに永く感じられた。
彼女の接客は確かに笑顔である。けれどもその笑顔には何か違和感
何だかどこかで見たような笑顔である。ちょくちょく頻繁に見るよ
そして私は自身の昼間の姿をふいに思い出す。ああ、そうだ、なん
そう思うと、急に気が楽になったように思われた。
ああ、この人もきっと世間と上手く付き合えないまま無理して社会
まるで自分自身の弱い部分そのものを彼女に垣間見たような気がし
彼女の俯いた横顔はどこか寂しげで疲れた色をしている。その顔色
ありがとうございました。会計が済み、軽く頭を下げた彼女に私も
凍るように青ざめた月明かりに照らされた白梅がさめざめと冷たく
そしてふと、なんの連想だろうか、さっきの彼女から悲しい独りぼ
あれから一年半。
私は仕事帰りには殆ど毎晩酒を求めてこの店に来る。彼女とは週に
会うといってもレジの店員と客の短い接触である。
最初は見習いの札をエプロンに着けていたが、やがてそれも無くな
私も彼女も淡々と事務的にレジのやり取りを交わし続けていた。
しかしある頃から何となく馴染みというのか、彼女も私も警戒のレ
こんばんは。
最初に挨拶したのは初めて彼女を見かけてから半年もした頃だった
記憶は曖昧だが、確か私から挨拶をしたような気がする。
彼女はどんな表情だったろう。相変わらずの曖昧で脆く儚げな微笑
やや戸惑いながら、こんばんはと挨拶を反してくれたのだ。
それからは会えば互いのどちらからか、こんばんはという挨拶を交
別にいわゆる色恋の情ではなかった。ただ、なんとなく安心を覚え
前の客の会計時とは明らかに違う笑顔を見せてくれるようにさえな
互いに気楽でさえあった。それがお前なりの色恋の情なのではない
今日の会計が済み、お釣りとレシートを受け取る時に、微かに互い
私の指は確かに彼女の温もりを感知している。
ありがとうございます。
彼女の言葉に顔をあげて、お互いまだまだ不自然な作り笑いのぎこ
私の胸は何故だか強い刺激にトクトクと脈を速めている。
今日はいい月ですね。
何となく彼女と一言でも話したくて、私は一人呟くような声で語り
彼女は一瞬はにかんだような作り物らしくない微笑を浮かべて嬉し
私は何だかくすぐったいような気持ちで、ははと笑った。
ではまた。お疲れ様です。慌ててはにかんだ私の挨拶に、彼女も今
私は一日の終わりのささやかな癒しに妙な充実感さえ抱きつつ、自
外へ出て、店外に併設されている自販機の前で缶を開け、グイッと
ああ、これだ。
すり減った心が幾らか癒されるのを実感する瞬間である。
一口、また一口。グイグイ飲むと、あっという間に空である。
疲れたすきっ腹にアルコールが沁みる。
ほんのり酔った心は何だか恥ずかしいような熱を帯びている。
彼女に会って癒された気持ちがアルコールの心地よさと相まって、
馬鹿馬鹿しい。それこそ仮面の営業スマイルに決まっているのに。
先程のふにゃふにゃとやに下がった自分を思い出すと自嘲に顔が赤
今まで何度失意を味わいまた相手を失望させてきたというのだ。
懲りない奴だな…。
また傷付くだけなのに。
相手に不快な思いをさせるだけなのに。
しかし、どうして彼女の微笑みが胸を離れないのだろうか…。
慌ててくわえた煙草に火をつける。
ああ、取り立てて何も話すことなど無いのに、彼女ともっとお話し
いや愚かな妄想はよした方が良い。微笑みあっているだけで充分で
今夜の私は何だか変である。落ち着かない。
カチカチに冷めきったはずの心に暖かいなにかがずっと絶え間無く
こんな疲れはてた四十過ぎの肉体と精神に、まだ十代のあの頃のよ
答えはどうだろう。
飲みきった安酒の空き缶を汚れたゴミ箱に向けて、野球のピッチャ
ガシャッといい音がしてきれいに空き缶がゴミ箱に吸い込まれてゆ
まだだ、まだやれる筈だ。疲れた身体に、枯れかけた魂に、一時、
そんな熱い時である。
何をそんなに熱くなっているんだい。そんな歳でも無いだろう。
心の何処かでシニカルな冷笑がふっと芽生えてしまった。
もうダメである。
線香花火が赤く熟してポトリと落ちるように、一瞬の熱気は冷たい
ああ、やれやれ…。
とにかく早く帰ろう。
いささか寒くすらなってきた。さっきまでの熱気は何処へやら。す
再び侘しい帰路である。
こんな日々がいつまで続くのだろう?
人生は独りで生きていくには悲しいことが多すぎる。
私は空を見上げて、また日常のループを歩き出す。
十月の月はただ静かにその優しさを一層深めている。そしていささ