染め上げられるのが嫌いだった。
誰かの色のが、水彩絵の具のようにぼやっと誰かの色を染めていくのを見るのが怖かった。
透き通るような白だった友人に久々に会った時、彼女が燃えるような赤色に染まっていたのに、私はぎょっとした。それから私は少し赤が嫌いになった。
あれに触れたら、私まで赤色に染まってしまうんじゃないかって恐ろしくてしかたなかった。
赤は赤でも、色んな赤があって、ピンクもあれば、青みがかった赤も、派手な赤も、大人しめの赤も、血の色みたいな赤もあった。もちろん青だって緑だって黄色だって、人によって色々と色が違う。一ヶ月前に青だった子はこの前はピンクに変わっていたり、皆、その時その時で、また違う人の色に染められていく。
私はそれを薄気味悪く感じていたし、人の色に簡単に染まっていく友人たちを哀れなものにも思っていた。
当の私は、あれだけ染まるのを恐れていたにも関わらず、一向に何かに染まる気配はなくて、どんなに仲良くなっても、どんなに気を許しても、私の色は何色にも変わらなかった。それが何故なのか、私はもしかしたらもうすでに何色かの原色に染まってしまっているのか、はたまた、私は何色でも弾いてしまうプラスチック製で出来ているのか、色々考えて、最終的に今まで私があれだけ気味悪がっていたものが当たり前のことで、私だけが異様なのだと思うようになった。
染め上げられるのが嫌いだったのに、何にも染まらないことが切なくて、誰とも同じ色を共有出来ないことが怖くなった。
私はこの世界に一生一人きりなのかもしれない。私は一生この色のまま誰とも色を共有せずに生きていくのかもしれない。そう思ったら深い暗闇に堕ちて、暗闇に同化してしまいたくなった。

彼に出会ったのは、そんな時だった。
乗り慣れた人の少ない電車の中で、彼は私の目の前に座った。今まで見たことのない色だった。鮮やかな暖色でもなく、静かな寒色でもない。色を感じさせないその色に、私はただ、長い終点までの道のりで彼を見ていた。変な女だと思ったのだろう。彼は不意に立ち上がって私を睨むように見つめる。その時やっと私は気づいた。
「黒だ。」
感情を表に出さないことは得意だったのに、何故かこの時だけは声が出た。何故だか分からない。そういう運命だったのかもしれない。
「何が。」
彼の重くてしっとりとした低音の声が私の心臓に脈を放って、得体の知れない感情の渦が私をまるごと飲み込もうとして、
「あなたが。」
そんな、単語の丸投げみたいな会話が返された。
「暗闇みたいな黒だ。」
彼から見た私はきっと気味が悪かったと思う。急に知らない人間が話しかけて来たら、きっとそれだけでおかしいと思うだろうし、私だってもしそんなことがあったらそう思う。
「なにそれ。」
彼がそう言って呆れたような顔で私の隣に腰を下ろした。人の少ない電車の中で、沢山の席があるのに私の隣に座った彼はやっぱり真っ黒な暗闇みたいだった。
「あんた変だね。」
まるごと全部包み込んでくれるような。1人の怖さに震え上がりそうな私を隠してくれるような、暗闇みたいな黒だった。

彼と私は、それから毎日この広く空いた椅子に2人ならんで座った。私は彼が私よりも四つ年上なことを知ったし、彼が笑う時に頬にえくぼが出来ることも知った。電車は一つの空間で、私も彼も深くは知ろうとはしなかった。空間を出れば真っ黒な彼と、何の色もない私に戻る。何故黒なのかとか、何故染まらないのかとか、そんな探るような会話は私たちの間にはなかった。私たちの関係はそのくらい浅はかで染まる染まらない以前の関係だった。ただ、一つ私が気づいたことは、彼の暗闇は私が最初に抱いた色よりもずっと黒くて、ずっと深いということ。きっと触れたら何者でも染まってしまいそうな、そんな黒だった。


次の日、彼は来なかった。
その次の日も、またその次の日も、彼は私の隣にはいなかった。
そうして一週間、私のそばからあれだれ心地よかった暗闇が消えた。
私は彼の勤めている会社も、名前も、はたまた直接連絡を取り合う手段も知らない。
私たちの関係は終点までに限定された関係だったから。それが心地いいのだと思っていたのに。
彼がいなくなって気付いたことがある。
それは、私が思いのほか彼を知りたがっていたことだ。
彼の名前も電話番号もメアドも、どこに住んでいるのかも、聞かなかっただけで、本当は知りたかったことだ。

だから、私はこうやって、いつも彼が乗り込む駅であてもなく学校をさぼっている。会える保証なんてどこにもないのに、私は待っている。私は、あの深い黒を愛してしまったのかもしれない。

「……ねぇ、なんで違う車両に乗り出したの?」

保証があったわけじゃないけど、何となく私がここでじっとしていたら、彼はやってくるんじゃないかって確信があった。

「…じゃあ、こっちも聞くけど、こんなとこで何してんの?」

丸まっていた背中を伸ばして彼の黒い瞳を見つめる。

「私の質問に答えて。」

彼が違う車両に乗っていることなんて、すぐに気付いた。

「特に理由なんてない。」

そばにいた時は気づかなかったけれど、彼の持つ黒は思った以上に一度染まったら2度と落とせないような、ペンキみたいな色で。
この黒は、どんなに色を弾くプラスチックも、原色も、染め上げてしまえる。

「嘘つき。」

染め上げられるのが嫌いだった。
自分の色がなくなってしまうみたいで。

「その色に染めるのが怖いの?」

染め上げられていく友人が恐ろしかった。
色に触れるのが怖かった。

「……っ。」

彼の目が不安そうに私を映す。嗚呼、この人は同じだ。私と同じで、ずっと色を共有して来なかったんだ。
手を伸ばす。初めて色に触れた。驚いた彼の顔。それすらも覆うように抱きしめる。

「ねぇ、私を染めてよ。」

抱きしめたその身体の体温は思ったよりずっと温かくて、私の身体にためらいながら手を回した彼の黒は何の抵抗もなく私の心を染めていく。

「いいの?」

彼が言った。

「いいの。」

私が言った。

それは闇と同化するみたいにずっと深くて悲しくて、優しい色だった。




fin.