アホのキャッシー、、、 & 5月4日旗揚げ記念日の団体とは? | TIGER DRAGONのブログ

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どの業界にも「タブー」「掟」が明文化されていないものの会社の中で、常識もしくは、公然の秘密として扱われているところがあります。
たとえば「あの人だけは絶対怒らすな、、」「触らぬ神に祟りなし、、だからアイツに関わるのは、、』などなど、、、
業界のタブー・起きて破りは今後の活動にも影響するといわれますが、彼女は、、、?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150504-00000035-dal-ent
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坂田師匠もになられてるんですね、、、、
いろんな吉本女性人とうわさになりましたが、、、、未だに独身、、、、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150504-00000079-spnannex-ent
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1970年代、関西を中心に活躍され、「アホのキャッシー」とまで言われた方をご存知ですか?

キャッシー(1950年10月4日 - )は、日本のタレント、女優である。現在は引退している。出生名森栖キャサリン(もりすキャサリン)。

1950年(昭和25年)に生まれる。出生地・国籍等は不明であるが、大阪弁を話す。
10代の頃に素人名人会に漫才で出場がきっかけでテレビ・ラジオの出演を始め、1973年(昭和48年)8月4日に公開された映画『チョットだけヨ 全員集合!!』に出演、また同年に放送を開始した大阪ローカルのバラエティ番組『プリン&キャッシーのテレビ! テレビ!』のメイン司会に横山プリンとともに起用される。
1975年(昭和50年)1月1日に放送開始したアニメーションによる情報番組キリンものしりシリーズの第5作『キリンのものしり館』のレギュラー出演者として、小宮和枝とともに声の出演をする。
1980年(昭和55年)5月19日、テレビ朝日のワイドショー番組『アフタヌーンショー』に出演、「キャッシー涙の告白!! 佐良直美との愛の破局」と題して歌手佐良直美との同性愛関係を暴露した[1]。
日本の芸能界を引退後、アメリカ合衆国・ハワイのプロレスラー、ヒロ佐々木と結婚した。

劇場用映画
『チョットだけヨ 全員集合!!』 : 監督渡辺祐介、製作松竹大船撮影所、1973年8月4日公開
『喜劇 日本列島震度0』 : 監督前田陽一、製作松竹大船撮影所、1973年11月22日公開 - 女中役
『逆襲! 殺人拳』 : 監督小沢茂弘、製作東映京都撮影所、1974年11月22日公開 - 中山君子役

テレビ映画
『必殺仕掛人』第4話『殺しの掟』 : 監督三隅研次、製作朝日放送 / 松竹、1972年9月23日放映
東芝日曜劇場 第859回『雨ニモマケズ』 : 演出甫喜本宏、製作北海道放送、1973年5月27日放映
『お姉ちゃん』 : 演出橋本信也、製作TBS / テレパック、1973年12月7日 - 1974年3月29日放送
『俺たちの旅』 : 脚本鎌田敏夫、畑嶺明、桃井章ほか、製作ユニオン映画、製作局日本テレビ放送網、1975年10月5日 - 1976年10月10日放映
第4話『男の友情は哀しいのです』 : 監督出目昌伸、1975年10月26日放映
第14話『馬鹿がひとりで死んだのです』 : 監督齋藤光正、1976年1月11日放映
キリンものしりシリーズ『キリンのものしり館』 : 製作オフィス・ユニ / 毎日放送、1975年1月1日 - 1979年12月31日放映、アニメーション - 声の出演・猫役
キリンものしりシリーズ『キリンあしたのカレンダー』 : 演出永沢恂、製作オフィス・ユニ / 毎日放送、1980年1月1日 - 1984年10月6日放映、アニメーション - 声の出演・猫役 先述の問題を起こして降板、猫役は三遊亭小遊三が引き継ぐ。また1982年4月から進行役も猫とネズミから、「OL」と「青年」に変更。
テレビバラエティ
『プリン&キャッシーのテレビ! テレビ!』 : 共演横山プリン、讀賣テレビ放送、1973年 - 1979年
『シャープ・スターアクション』:日本テレビ、1974年 - ?、初代女性軍レギュラー
『ガッツヤング登場』→『へーイ!ハイ!ガッツ』:共演せんだみつお、東京12チャンネル(現:テレビ東京)、1973年 - 1975年
CM
明治製菓『なんきんまね』

ラジオ
『佐良直美唄の街』 : TBSラジオ、1980年
『カットジャパン』(ラジオ大阪)

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1997年5月4日は代々木第二体育館でキングダム旗揚げ戦が行われました。

この「キングダム」とは、高田延彦率いるUWFインターナショナルが96年12月に経営不振で崩壊した後に、Uインターへの情熱を捨てられなかった鈴木健取締役と安生洋二が主になって立ち上げた団体。所属選手は田村潔司以外の元Uインター所属の選手が、そのままスライドして出来た団体であった。

Uインターと違ったところは、新ルールとして全選手にオープンハンドのグローブの着用を義務付けられていたこと。そしてこの頃注目を浴びてきていたUFCの流れを強くく受けたような試合スタイルとなった。しかしUインターのエースでもあった高田延彦はこの旗揚げ戦のときは、ヒクソン戦を控えているということで、エキシビションマッチのみの参戦となった。

「BIRTH step1」代々木第二体育館 観衆3800人

○安生洋二[6分51秒十字固め]垣原賢人●
○桜庭和志[7分53秒足首固め]佐野友飛●
○高山善廣[6分29秒膝十字固め]カリブ・マンディエンゴ●
○ニコ・ゴルドー[6分59秒TKO]松井駿介●
○金原弘光[7分14秒裸絞め]山本健一●

団体の方向性を問われる第1試合は、金原が志願して出場し、打撃を嫌がり亀状態になった山本をスリーパーで捕獲し見事第1試合を締めた。メインでは垣原がUWFのテーマ曲で入場し、ガウン、レガースにもUWFの3文字を残し、対する安生は金ラメのど派手なガウンで登場。試合はスピード感溢れる試合展開となり、垣原のハイキックやマウントポジションでのパンチを耐えた安生が、垣原がタックルに来たところを巧みに切り返しそのまま腕を取り絞りあげて、旗揚げ戦を白星で締めた。

このまま順調に行くかと思われたキングダムは、結局、高田延彦は、97年10月にヒクソン・グレイシーに惨敗したことなどやらを理由に、一度も試合をしないまま。そしてUインターの時と同様、興行不振に泣き、98年2月に高田道場の設立や高山、垣原のフリー宣言により事実上崩壊。キングダムはわずか9か月間で姿を消すことになってしまいました。 その後、当時練習生であった入江選手が、キングダムの名前を引き継ぎ活動されていましたが、、、、

キングダムの試合から
https://www.youtube.com/watch?v=ZS211sHIqmc
https://www.youtube.com/watch?v=QQn3IlyH8u4
https://www.youtube.com/watch?v=TlCbVn7vF4Y