こんばんは、とらねこです


クリスマス目前にして
急激に寒くなりましたね
仙台ももちろん寒いですが
まだ最大級ではないかな
幸い雪はほとんど降っておらず
ただただ寒いな〜って毎日です





先日、大阪へ帰省してきました

目的は自宅の掃除と母に会うことでした





大阪の自宅は建てて15年
新築から8年住みました
直近2年は夫が住んでいましたが
この春から空き家になっているので
近所に住む母にお願いして
空気の入れ替えや水道を流したり
ポストに投函されるチラシ類を
家の中に入れてもらったりしています




そろそろ自宅の様子も気になるし
何より母に3年会ってなかったなぁ…
2020年まで毎年
遊びに来てもらってたか
こちらが帰省したりでちょこちょこ
会ってたんですけど
コロナ禍で行き来ができなくなりました
毎週電話してたんですが
(↑安否確認)
コロナ禍の間に70代を迎えた母の声が
だんだんとおばあちゃんらしくなっていて
元気そうにしてはいるものの
やっぱり会いたいなと思って
寒くなる前に会ってきました




ちょっと小さくなったかも…?
母の体は一回り小さくなって
一時は回復傾向だった薄毛も
進んでいるように見えました




母は
ずっとパートを続けていたんですが
この春
職場の所属先が撤退してしまい
同業種の新しい職場へ移動しました
同じ職種とは言え
新しい職場に異動になったようなもので
慣れるのに相当苦労したようです
ストレスが髪と食欲に来たようでした
今は落ち着いてきたようで
本人もわたしもホッとしています




一人暮らしのうえ年金も少ないので
体が動く限りパートは続けたいと
言ってます
あと数年かなぁ…
すぐ近くに妹達がそれぞれ家族で
住んでいるので
時々、孫たちのお迎えなど頼まれて
交流もあるし
今のところ体は特に悪いところがなく
元気に暮らしています





これと言って趣味もないし
贅沢もせず平凡に暮らしてきた母
4人の子どもを産み
元気なはずの30代ごろは
具合が悪いことが多く
しょっちゅう伏せっていました
それで長子のとらねこは
弟妹の世話や家事を結構やってました
今で言う
ヤングケアラーでしたね
その頃はやらなければならないことが
たくさんあったので
いかに時短でやれるかと工夫してました
勉強もピアノも家事もバイトもと
フル回転でした
ほんと忙しかった泣き笑い
おかげで手際が良くなったとは思います




母の調子が悪いのは
今思えば「夫源病」でしたね
まだわたしが幼かった頃から
父のモラハラはあったようで…
いつも母はイライラしていて
わたし達は怒られないように
ビクビクしていました
気に入らなければ母から
殴られたり蹴られたりもしてました
でもそんなものだと思ってました
機嫌さえ損なわなければ大丈夫でしたから
自分が良い子でいれば良かっただけ
子どもは親の所有物
そんな時代だったと思います




母が掃除機をかけている時に
座っていると
「なんで親が掃除してるのに
子どもが座ってるんや!」と殴られる
親が家事をしているとき
言われなくても手伝わないとダメ
それが普通だと思っていたけど
友達の家ではそうではないと気づいた時
すごく驚きました





それでも折れることなく
真面目に生きてきました
自分が頑張ればなんとかなったんですよね





…あれ?
なんか暗い話になっとるがな…指差し





わたしよりも辛い環境で育った人も
たくさん居られるでしょうし
自分が不幸だったとは今はもう
思っていません
母とも良好な関係を築けています




あのころ母には
余裕が無かったんだろうなと
今となっては思えますし
母は母なりに
愛情を与えてくれていたと思います
誕生日は必ず祝ってくれましたし
今も忘れずに荷物を送ってくれます





そんな母と
ほんのひとときでしたが
会ってご飯を食べました
そのあと駅まで送ってくれました
改札の雑踏の中で
母は
見えなくなるまで手を振っていました





お互いどれだけ歳を取ろうと
母は母で
わたしは娘なんですね
普段は遠くに離れて暮らしていても
電話で声も聞いているし
妹達もそばにいるからと
安心して気にしていませんでした
でも
地元に帰って母に会ったら
「やっぱり大阪に帰ってこなくちゃな」
って思いました





わたしの居るべき場所は
やはり大阪なんだ…
この気持ちは「里ごころ」
このまま仙台に住み続ける選択肢も
ないわけではありません
でもいずれはその選択肢は無くして
地元に戻ろうと思います





仙台はいい街です
ほどよく都会でほどよく田舎で
人も多すぎなくて雪も少ないし
冬はちょっと…わたしには寒いけど
代わりに夏は大阪より過ごしやすいし
何より夫と子ども達
わたしの家族が揃っているんです
いつ大阪に帰れるか分からず
宙ぶらりん状態が続いていて
もうこのまま仙台に居続けようかと
思っていた時期もありました




でも…やはり…
手を振る母の姿を見て
帰らなくてはと思いました




「どない〜?」
愚痴やらテレビの話題やら
たわいない話をしながら
わたしが帰るまで元気でいて欲しい
そう願いながら

週末、また母に電話しますね



​仙台・勾当台公園のイルミネーション