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昨日今日と、高校や地区公民館を回って
救援物資の仕分けや、運搬を手伝ってきた。

なんでここに止めておくんだろう。

そればっかり考えていた。

今は少しは回ってるとは思うが、少し前、ちょっと離れた被災地の同級生が
「物資がこっちまで届かない」
と言ってたのが頭にあって、
なんでこんなにここにためておくんだろう、
って本当にもどかしかった。

担当者には、それは言い分があるだろう。
「市役所から指令がこないから」
「仮設住宅ができたら分けるんです」

それに、やっぱり、被災者じゃない人も
こういうものを「もらいに」
来たりするらしい。

被災してなくても、配給もらったりとか。

そういうのって、どうなんだろう。。。

初日は、福祉センターの掃除。
ここには、中国人女子研修生が50人住み込んでいて、
今回の震災で、帰国したため、ここをきれいにして
被災者に無料で提供するんだそうだ。

ここは昔、ビジネスホテルだったところだ。
入ったことはないけれど、綺麗だった、と予想する。

入った途端、嫌悪感でいっぱいになった。
メルボルンで働いていたホテルで、中国人団体をたくさん対応していたし、
今までの海外生活で、ものすごい数の中国人を見てきたので、
彼らについては理解がある、というより、「知識」はあった。
だから、これを見て、予想通り、だったとはいえ、

一度でも掃除機をかけたことがあるんだろうか、と思わせる部屋。
真っ黒なカーペット。
押入れに残されたごみの山。
カーペットに染み込んだ割れた生卵。

「布団ぐれーただんでいぐのが礼儀だべっちゃなあ」
「金はらうのがあって、亡ぐなったひといっぺーいるのに、金のごどばっかり言ってけーっていったんだどよ」
「おなごだぢが住んでだってしんじられねーがなー」
「ちょっどぐれきれいにしてぐっで気ねーのがな」
「まずまずしんじられね」
「常識がねーんだよなー」

こんなおばちゃんたちの愚痴を聞きながら、
やっぱり、腹が立ったのと同時に、
悲しかった。
ものすごい勢いで、若い女の子たちが、お金について悪態ついて帰っていったそうだ。
政府のお金で、無料で。

でもここに、家を失った人たちが入るんだから、と、
そればかり考えて、一生懸命掃除した。

日本人として、誇りを新たに持った日でもあった。


サンティアゴの友達の家を出て、実家にたどり着くまで
ほぼ丸3日。
まだ道路が寸断されていて、新幹線もない。
だから成田から夜行バスで盛岡まで。それからまた乗り換えて大船渡。。。。

その足で、被災地区を回ってみた。
3週間、経っている。
大分、片付いている。らしい。

やっぱり、息を呑んだ。
もちろん予想はしていたけど、自分の育った地元が、こんな状態なんて、
信じられなかった。

まるで原爆投下後の日本のようだった。


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何にもないコンビニ。

隣町の陸前高田なんて、本当に何もなくなった。
すべて流されてしまった。
目を覆いたくなる、悲惨な光景だった。



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父が繰り返し言う。
「これでも綺麗になってるんだよ」

確かに、着実に復興への道を歩んでいることは
目に見えて分かる。
流された橋ももう架かっている。
道路は綺麗になっている。
電気も復旧した。

でもまだまだ多くの人が、電気も水道もガスもない状態にいる。
電話はまだ駄目だ。
ネットなんてもちろん無理。

自分は、とにかく今できることをやっていくしかない。
そのために帰ってきたんだから。

明日から、開始。

帰国を目前にして、サンティアゴから2時間バスに揺られ、
海に行った

そこでずっと海に輝く午後の太陽を浴び、眺めながら、
この海は、地元の海とつながってるんだ、って、思った。
1960年、チリで地震があったとき、私の地元は大変な津波の被害が出て、
たくさんの人が亡くなった。
そして今回の震災でも、チリは津波の被害を受けている。
私の地元の海は、太陽が昇ってくるけど、ここは、本当に綺麗に沈んでいく。
地球の裏側にいるんだ。

震災前まであんなに楽しみにしていた、イグアスも、パラグアイも、
友達が待っていたブエノスもブラジルも、
やめた
途中で止めることが大嫌いなあたしが、
やめた

ここ、チリで旅を終えることにも、意味があるんだろう。
そもそも、私の旅は、地震の直前までいた、チリのSan Pedro de Atacamaで
終わってたんだと思う。
今まで、各都市1回はここに日記を書いてたけど、
あれ以来、書く気がしない
旅行記を書くこと自体、罪な気にすらなる

というか、覚えていない
ほとんど、何もしていない

覚えていることといえば、
とにかく周りの人たちが温かくて、暖かくて
とにかく助けてくれた
人の温かさが、本当に身にしみた

これを日本で感じたかった
気持ちはいつも日本にあった
でも、すぐ帰国する決断をする勇気がなかった
周りがまだだめだよ、帰ってこないで、
って言う言葉を、期待してたのは本当かもしれない
3週間弱、あたしは何をしていたんだろう
何をうだうだ考えていたんだろう
自分の地元が、大変なことになってるというのに

でも、またチリに戻ってきて、
何かが変わった
一瞬で決断して、その場で2日後のチケット予約した
いくらかかろうが、かまうもんか

もう待てない











  事は理由があって起きる。

  この世に偶然はない。すべて必然だ。

  人との出会いも、災害も。


  すべてに、意味がある。

楽しかった4日間のSan Pedro de Atacamaから、アルゼンチンのフフイという街に来ました。


バスで移動しているときから、なんだか、周りが、ざわざわしている。


スペイン語分からない私に、やたら、地元の人たちが、ハポネ、ハポネ、って、話かけてくる。


なんなんだろう。


え?地震??


「M8.8 東北地方壊滅的」


約1週間ぶりにまともに開いたパソコンから

こんな言葉が飛び込んできた。。。。。。。。。


驚いてよく見ると、私の地元がかなり震源地から近い。。



電話が通じない



それから、新しい国に入国したときには必ずする、現地通貨の両替、っていう、

基本的なことすらやらずに、ひたすら宿にこもって電話をかけまくった


通じない



心臓が飛び出そうになるくらい、焦った


なんで、誰も通じないのよ


それから知り合いにも頼んで、なんとか日本からも電話してもらったりもした



通じない



必死に落ち着こうとし、心の中で祈るばかりだった




それから、数時間後、アルゼンチン時間で、朝方3時、

やっと妹とつながった


家族はなんとか無事らしい。。。。



肩の力が抜けた




でも眠れなかった



私の地元が、愛する日本が、大変なことになっている



こんな遠くで、平和なところから、黙ってみているしかないのか



画面を見るたび胸が締め付けられる思いだった



あたしはどうしたらいいんだろう。。。

チリに入ってから、いいことがなかった


まずはツアーを抜けてローカルバスに乗り継ぐ予定が、
乗り遅れ、(これはガイドの責任だけどね。。。。。)
別のローカルバスに乗らなければならなかった
そこで、新しいチケットを買うだ、払い戻しだ、やらがあり、
その後のボーダーで、朝食のりんごをうっかりカバンに入れていたら
法律を破ったから罰金を払え、とチリ人のカスタム担当に
これでもかというほど強い口調で言われ
沈んでいた

そしたら、そんなのふっとばす勢いで
素敵な再会があった。

ウユニで出会った、前田くん。



ちょうど月の谷のツアーに行く直前で、
一緒にどう?って誘ってくれ
気持ちが今一乗り切れてない私は、迷っていたけど
参加してみたら
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またしてもこんな、心臓に直接突き刺さるような、
大地の偉大さに触れ

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そこに沈んでいく夕日を眺め

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それからビールを片手に、星空を眺め、いっぱい話した


わたしは、いつも、人に助けられて生きている




UyuniからSan Pedro de Atacamaに抜ける、3泊4日のツアーに参加しました

メンバーは、イスラエル人二人、オージー一人、カナダ人二人、そして日本人二人。

計7名。

とにかく、大自然のすばらしさに言葉を失うばかりで


表現できる適切な日本語が見当たりません

まあ写真見てくださいな。


火山が爆発してできた岩石の大群や、ミネラル豊富な湖、

そこにたわむれるフラミンゴの群れ、なんかを訪ねました。

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こんな大自然を眺め、シャワーがないことを嘆くなんて
なんてちっぽけなんだ



人間なんて、大自然の前には手も足も出ない


でも、彼らからパワーをもらって
前を向いてがんばることはできるよね

よし。





とうとう来ました
ウユニです

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言葉では表現できません

ここは天国です

雨季の間だけ、広大な塩湖に水が張って、そこに映る空と雲が
まるで天国みたいにそれはそれは幻想的な映像に変わるのです

ジープで雲を掻き分けるかのように、塩湖を進んでいきます

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ここは、今までの人生、ダントツ1番をあげちゃいます。

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一人、遠くまで歩いてみたけど
どこにもたどりつかなかった。
もっと遠くを歩く前田くんを見つめながら

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地平線に沈む夕日
そして夜は、天の川が、手に届くかのような距離で輝いていました

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ここは、別世界。

団結力も、高まっちゃうよね

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首都ラパスから、Oruroという街に来ました。
ここは、ブラジルのリオのカーニバル、ペルーのクスコのインティライミと並ぶ、なんと
南米3大祭りの一つの街なのです。


そうとも知らずにここにやってきた相変わらず無知な私。
そして相当ラッキーですね。
ということで、今は週末に行われる本番前の、プリカーニバル状態を楽しんでいます。
本番は、なんと宿が60ドルに跳ね上がるらしいので
(ちなみに今払っているのは1泊40Bー6ドルくらいです。10倍になっちゃうんだよ!)
なので、本番の日にチェックアウトして、カーニバル見て移動、っていう
せこい手を使いつつ、あとは次の電車の時間が合わなかったっていうのもあって
この小さい街に4泊もしている私です。。。。
(本当に電車が金曜までないからしょうがないの)

しかし、本当に街中が祭り1色。朝こっぱやくから夜まで、
街は屋台だらけ。笛や太鼓が鳴り響いています。

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本番前は、いわゆる、インディヘナ(原住民)の皆さんの踊りが中心。
リオみたいに着飾って露出高し、系は週末までおあずけです。

でも私は結構こういう伝統的な暮らしをしている、族、の皆さんのほうが
興味深い。

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足はみんな裸足にサンダル。
化粧っ気もなし。
普通に村から来ました、的な格好で、くるくる踊っています。
みんな、普段から伝統的な衣装で生活しているから
特別な感じはしないけど
こんだけたくさん集まると、圧巻、ですね。

でも、思うのは、いわゆる第3カ国、貧しい国は、やたらと屋台、マーケットが
充実している。
こんだけ同じような屋台や店を出して、いったいお金になるのだろうか
といつも不思議に思う。
東南アジアも、やたらとマーケットやら出店やらが多かった。
ボリビアも同じ。

そういうところで値切るって、どうなんだろうなあ。

いちお値切るけどさ。

本当はボランティアでもしたいんだけど。。。

あとちょっと旅をして、終えてから、考えます。
こういう機会は、2度とないと思うから
あとちょっと、楽しみます。