tigeeのブログ

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私は、地元を離れてもう、20年近くになる。
年がばれるか。

いつも戻る場所がある、という安心感
勝手にいつもあるはずだ、と思っていたうぬぼれ

でもいつもちょっと帰って母の手料理を食べ、そしてまた外の世界にもどっていく
そんな生活だった。
だから震災後過ごした3,5ヶ月は、正直過去最大の滞在だった
実家でタダ飯食べさせてもらいながら
ボランティアに明け暮れた
両親に感謝、感謝。


何を言いたいのかというと


世界旅行をあきらめ、地元に戻り、
ただ純粋に、地元のためにと思いボランティアして
自分が一番欲しいものが、本当にはっきり見えたと思っていたところから
やはり整理しなければならない現実の部分を片付けに
こうして現実、に戻ってみて

Confuse

自分を見失ってしまった

まだできたはずだ、と自責の念にかられる自分と
どうしてもある現実を片付けないといけない、という自分

やれる限りはやったじゃないか、という自信はある
でも、どうしても、自分の地元なのに、最後までやれなかった
っていう罪悪感に苛まれる
でもみんなそれぞれの生活がある、っていう気持ちとの、葛藤

そして今のこの、現実、の中で
見えなくなってしまった

やっぱり、ただただ純粋な気持ちで、ひたすら何かに向かっていく
っていう、利害とかまったく関係なく、
そして頭じゃなく、ハートで生きていた頃は
いろんなものがクリアに見えるのかもしれない

大切なのは、バランス




3.5ヶ月の地元滞在とボランティア生活を中断して
1年ぶりにメルボルンに帰ってきた

この1年は、今までになかったほど、密度の濃い、チャレンジの毎日だったような気がする。
なんとか現状打破しようと飛び出した世界旅行から、
震災で被災した地元に戻り
初のボランティア。
今まで、外ばかり見ていた自分が、気づかなかったこと
地元の美しさ
地元の人たちの暖かさ
家族の大切さ
人とのつながりの大切さ


世界旅行中も、たくさん学ぶことがあったけど
この震災によって、学んだことのほうが
自分にとって、はるかに大きい

こうして1年ぶりに見る、メルボルンの景色も
人々の様子も
まったく違って見える

そして、改めて、日本人であることに誇りを持つとともに
感謝の気持ちでいっぱいになる

そしてそれを完全に受け入れ、理解してくれる人がいるということにも。

事は理由があって起こる

一つ一つの出来事に、そのことを痛感する毎日。

これは、自分の個人的な日記として書き始めた。
旅をしていたから、両親への安否確認のために始めたものだ。
日記だし、あまり人に知られたくなかったし(誰でも読めるけどね)
そして今でも、ほんの数人しか、この存在を知らない。

し、か、し。

今日ボランティアに来たみずしらずの東京の女性が、「ブログ書いてますよね?」
って言ってきた。。。。。

え????

なぜだ。。

私のボランティア日記を読んで、来ようと思ったんだって。

なんだかこうやって、知らぬところで知らぬ人が私のブログを読んでるなんて
変な感じ。

毎日、いろんなことがある。

昨日は、アセスメントで市内を回っていたら、年配の男性が近寄ってきて
私が地元の人間と分かると、身の上話を始めた

奥さんがまだ見つかっていない。
でも一人で市の瓦礫撤去の仕事を始めた。
仮設住宅が当たって、入居したけど
一人ぼっちで、寂しい。
話し相手がいないから。

いつでも遊びに来てください、
と、電話番号と住所を渡した

こないだアセスに行った家は、
押入れで高齢の夫婦が遺体で見つかって、
その後家主がいなくなった家を、親戚の男性が片付けようとしていた

今日行ったところの、すぐ裏の瓦礫のなかで
2ヶ月ぶりで、女性が遺体で見つかった

日本人の、特に田舎の人にとって、ボランティアというものの意識が
非常に低いというのは痛感する
それは、人に迷惑をかけたくない、という日本人の謙虚さがある
そして、家、というものの神聖さ、みんなお抱え大工を持っている田舎の町で、
みずしらずの外国人にそれを触れさせるまで、信用、信頼関係を築くことの難しさ
とにかく、ただでやってもうらうのは、申し訳ない、という人々の感覚。
すごく理解できる。
日本人だから。

外国人とボランティアをしていると
学ぶものも多いけど、
文化の違い、感覚の違いを分かってもらえないもどかしさは、
常にある。
特に小さな町ではなおさらだ。
私たちの愛してやまないこの国は、彼らが今まで活動してきた、ハイチや、スマトラ、ペルー、、、
などの諸外国とは、また違った、独特の文化や習慣があって、
低姿勢の、NOといえない、謙虚で秩序を重んずる人々の暮らしがある。
外国人に理解してくれというほうが難しいんだと思う。

そのことで思うことは山ほどあるけど
でも、きっと、
そうしたことから学べることは、もっとあるんだろう、と思う。




ゴールデンウィークに入って、世界から、日本各地からボランティアがやって来ている。
なんと今は96人。
もう誰が誰だかわからない。
ほとんどは連休を利用して来ているから、数日、っていうのがほとんどだけど、
みんなおもしろいバックグランドを持っている人ばっかり。
今日はなんとマクドナルドジャパンのCEOやマネージメントのアメリカンのおっちゃんたち
6人がやってきた。
知らぬところで、すごい肩書きを持つ人が、ひっそりボランティアに来て、
大学生たちと雑魚寝したりしているんだよ。
いったいどんなところなんだよ、ここは。
それだけ活動が認められてて、スポンサーになってくれている。
世界的な団体なんだ。
そんな団体が大船渡に来ているなんて。
そしてそこでボランティアしているなんて、人生初のボランティアとしては
すごいことだなあ、しかも地元で。なんていつも思う。
いろんなことやらせてもらっているし。今はいわゆる仕事を探す、
アセスメントチームになった。
地元、っていう強みを、存分に発揮しなければ。というか、
一番の強みを、どうにか生かしたい。
実際、周りにかかわっているたくさんの地元の人たちが
私を頼りにしてくれるし、本音をこっそり言ってくれたりするし
しょっちゅう飲みにも呼ばれるし、少しは役に立ってるという
自覚はある。

いろんな人と話をすると、やっぱりみんなそれぞれNPOを持っていたり、
何年もボランティアしながら生活していたり、
とにかく「変わった」人が多い
そういうあたしも、ここの人たちに、おもしろい人生だね、とよく言われる。
でも、結局、ここにいるみんな言うには、普通に生活できないから
こういうところに来るし、
こういうところに、そういう人たちが集まるんだよ、って。
確かに。

お金について考えることなく、ボランティアの地で生活できるだけの
お金を貯めたら、次のボランティア地へ、そして帰国して少し働いて
またボランティア。

世界旅行していても、そういう人がいたけど、
ここはもっと、なんていうか
やっぱり人のために、過酷な生活環境の中、無償で働いている訳だから
みんなどこか、エゴ、がないような気がする。
根本に思うところが同じだから。
ウェスタンとは思えない、他人を尊重する気持ちが、ここにはある。
孤独が好き、というアメリカ人の彼が、ここに来るのは本当に心配だったけど
やっぱりどこか、みんな思うところが似ているから
30人が雑魚寝の会議室の環境でも
すんなり入れたと言っていた
それ、人見知りの私にも、当てはまる。

そしてこういうことをしていると
世界が広まって
人付き合いが広まって
今日はオーストラリアの友達から
オーストラリアのNPOの手伝いしてくれないか、って言われた

やっぱり、何かをしなければ、道は開けない。
地元の人にしてみれば、あたしは何してるんだ、っていう
部類に完璧入る訳だけど、
周りがどう思おうと、自分の人生だし。
と思う。



明日からゴールデンウィークです

今ボランティア30人くらい。地元は私を含め2-3人。明日70人に増える。
日本の各地から、世界からたくさんのボランティアがやってきます。
この団体、瓦礫撤去だけじゃなく、家の床や壁の取り壊し、張替えや、
畳まで変えてあげるんだから
すごい団体だよね。70人の3食を毎日と、宿泊場所、道具、車、携帯。。。
やはりアメリカのボランティアに対する意識は高いし、
募金に対する考えも違う。だからこうしてNPOが世界の果てでも活動でき、
ハイチで活動しつつも、日本での活動が可能になる。
賛同してくれるスポンサーがたくさんいるからだ。

他のアメリカの団体も、地元のボランティアを募集している。
しかも有給。

ここは地元じゃないみたい。
国際色豊かです。
最近は受け入れ体制を整えるのに忙しい。
運転したり、取材に行ったり、翻訳したり、
なんだか今は「なんでも屋」さん的な存在
楽しい

いつもは火曜日休みだけど
これから5月9日まで休みなし。。。。。。

素敵なGWです。


最近はたくさん海外からのボランティアが来て
本格的になってきた。
ハイチも同時にやっているから、AllHandsのスタッフは忙しそう。
みんな「キャンプ」みたいに、会議室で雑魚寝してて
泊り込みのスタッフとボランティアは、やっぱりローカルボランティアより
いっぱい情報をシェアしている。
新聞とかテレビのメディアもいっぱい来てるし、かなり注目されてるのが分かる。

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もう瓦礫撤去隊はしばらく卒業して
最近はオフィスワークになっている。
ドキュメントの翻訳とか。。。。。。。
パソコンと睨めっこです。

大事な仕事を任されてるんだけど
もっと外に出て、人と会うほうがいいなあ。。。。

こんなことしてたときみたいに。。。


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なんて今日は思いました。

最近は、瓦礫撤去、通訳、介護、避難所の毎日。2週間まだ休んでいない。
電話も相変わらず不通、ネットも、庁舎に来ないと出来ないから、ボランティアの後
元気だったら足を運ぶ。
いやあ、毎日なんだかいろんな人に会っている。中学以来会っていなかった同級生たちなんて
もう相当会ったし、若者たち、おじさんたち、避難所のおばさんたち、それに瓦礫撤去で
訪れる家の人たちはもちろん、近所の人まで、本当に感謝してくれ、また遊びにおいで、
ってあったかい笑顔をくれる。世界は本当狭くって、今日会った人が誰かの知り合いだった
なんてしょっちゅうだ。
来週からまた違う活動もすることになるけど、今までの瓦礫撤去は、通訳を兼ねての
仕事なので、基本女性はボランティアに志願してこない。つまり、女一人、体を張って
瓦礫と格闘している、ということになる。でもたくさんの若者に囲まれ、やっぱり日本人
っていいなあ、と改めて思う今日この頃。

人に、幸せと思う時ってどんな時か聞かれたとき、
「いい人に出会えたとき」
「いい人といい時間を共有できたとき」
と答える。
今、こんなとき変な言い方だけど
幸せだなあ、と思う。


先週から、アメリカ人のボランティア団体 ALL HANDS VOLUNTEERSと一緒に活動することになった。

彼らは、アメリカを拠点とする団体で、今までハイチ、スマトラなど、世界で災害があったときには
真っ先に駆け付け、現地の人たちと協力しながら、人々に手を差し伸べる、という、
素晴らしいNPO団体だ。

まさか、自分の地元で、英語を話すことになるとは、夢にも思わなかった。

今日は、その中の一人と、一緒に市内の警察署、社会福祉協議会、ボランティアセンター、地区公民館、
などなどあちこちを回り、彼らがしていることの説明や、協力を求める挨拶回りについていき、
通訳の役割をした。
世界を知っている、本当のボランティアを知っている人たちは、やはり、「違う」
地元の人たちとのコミュニケーションがどれだけ大切かということを、本当によく知っているし、
次々につながりを作っていく。
私以上に、私の地元のことを知っていた。
下調べは完璧だった。
これから、大船渡、陸前高田をベースに、主に高齢者のお宅の瓦礫撤去をしたり、新鮮な野菜を提供したり
必要に応じて3ヶ月から半年をめどに、活動していくそうだ。

こうして、彼らと出会ったのも、何かの縁。
私はやっぱり今地元に帰ってくるように、って導かれて来たんだなあ、と、
すぐそっちにもっていきたがる私は、実感 笑

毎日、いろんな学びがあります。

昨日今日と、初めて避難所でボランティアをしてきた。
中学校の体育館に、ぎっしりと、しかしきちんと整列された、

避難している人たちの生活空間があった。
それらはダンボールで整然と区切られ、ダンボールを重ねた食器棚、洋服棚等があり、

またその脇には、12くらいの大きな家族用テントが張ってあった。

さすがにもう1ヶ月になろうとしている避難所生活の中で、皆さん少しでも快適に過ごせるよう、

いたるところに工夫が見られた。

まずは、救援物資の仕分けから。寄付されたたくさんの靴の中から、希望リストに沿って

サイズを探していく。新品もあれば、履き古したものもある。
それから、物資の運搬を手伝い、ステージ裏にてそれらの仕分け作業。

たくさんの救援物資があったが、約300名が1日3食食べるとなると、

あっという間になくなってしまうそうだ。それに、皆平等であらなければならず、

100食とか、そういう半端な数の物資は、どうにも分けられないそうだ。

そしてそういうものは、他に回したり、ボランティアやヘルパーの皆さんに

持って帰ってもらったりするらしい。担当の避難所の男性は、

「そういう悩みもあるんですよ」と話してくれた。
そして昨日今日だけで、本当にたくさんの人たちが、全国から応援に駆けつけてくれた。

岡山県からの医療部隊、鹿島アントラーズのサポーターの皆さん、プロレス軍団の炊き出し、

地元有志の炊き出し、千葉県からの炊き出し、東京から来た、ダブルダッチの世界チャンピオンの

パフォーマンス、なんとか大臣、なんとかという有名なバレー選手。。。。。。。。。

やっぱりこうして全国からわざわざ来てくれる人たちを見て、確実に被災者の皆さんのパワーに

なると思うし、何より明るい雰囲気になるし、「皆がついている」という気持ちにさせるんじゃないか、

と思った。温かい支援というのは、やっぱりありがたいものだ。

そして思いは確実に伝わっていると思う。

おにぎり作りや夕飯作りもお手伝いした。私は食事というのは、すべてボランティアや

自衛隊の炊き出し等でまかなっているものとばかり思っていたが、今はすべて

被災者がそれぞれ班を作り、掃除も水汲みもすべて交代でやっているそうだ。

そしてそれも大変だとおっしゃっていた。でも、自分たちでやるというのは、

自立に向けて進んでいるということだから、着実な進歩でとってもいいことだと思った。

こういった大変な避難所でも、一生懸命みなさん前を向こうとしている姿に、

逆にパワーをもらった気がした。「やっていくしかないから」って、前向きだった。

しかも、「健康的でいいよ、朝は早いし、夜も早寝だし、なにせ3食以上は食べてるし 笑」って、

笑い飛ばすおばちゃんもいた。

それに、私は何より、周りの地元の人たちが一生懸命動いているところに、感動した。

これだから日本は戦後急成長してきた訳だし、明るい未来は絶対すぐ来る、って、

今日もまた思った。

帰国してから、毎日毎日余震が続いている。
というか、3月11日から、毎日。
夜寝ていて気づくだけでも、最低5回以上ある。
昼を数えたら、今だに相当の数の余震があるということになる。

昨日の夜、大きな余震があった。
寝ていた私は飛び起きて、メガネなしでは歩くことすらできない私が、それすら握るのも忘れ、

パジャマのまま裸足で外に飛び出した。
そして、直後から停電。

丸1日続いた。

4月も1週間過ぎたというのに、そして桜の時期だというのに、
寒い。
こんなに4月寒かったっけ、って思い出せないほどだ。
確かに、私はもう4月に日本にいた時期を思い出せない。

正月は、数年に1度は帰っているから、
余裕で思い出せるけど、桜を最後に見たのは、いったいいつだったろう。

海外に出だしてから、きっと
1度もない。
そんなことを考えながら、停電が続いて、町の機能がまた停止してしまった中、自分の部屋の中を
なんとなく見回していたら、OL時代の手帳や、たくさんの写真が出てきた。
懐かしく手帳を開いてみたら、いやいや、多忙極まりない。
「飲み会。朝5時半帰宅。それから10時温泉旅行出発」とか、「OO時アポ、OO時OOさんと」みたいな、
典型的OL生活満喫してます、手帳だった。

日本にいた頃は、手帳はかかせなかった。
毎日いろいろ予定が入っていた。会社帰りまっすぐ帰ったことなんて、

数えるほどしかなかったと思う。
写真なんて、出てくるわ出てくるわ。飲みのが多かったけど、

昔から旅行好きだった私は、国内旅行は数え切れないほど
したし、温泉行ったり、野球観戦、サッカー観戦、コンサートと、週末もほぼ必ず遠出してた。
写真見ても、もう思い出せないものも多い。

あの時代、こんだけの一通りの経験と、人との出会い、そして葛藤があって、そして
海外に出て、そこでまた違った成長をして、だから今の自分があるんだ、って
本当に痛感した。

人生で学ぶことって、机の上でじゃない。
私には、いろんな経験と、人との出会い、それがすべてだと思っている。

こうしてボランティアできるってことも、いい勉強になっているし、
たくさんの人と出会っている。

人生いくつになっても勉強だ。