もう 2月
この月もあっという間に終わってしまうことでしょう。
新聞を読んでいて、ふと「あ゛っ!」っと声を上げてしまうことがあります。
訃報記事を読んだ時です。
洋楽界のレジェンド、ジョン・ウェットンさんの訃報(1/31、享年67歳)です。
<記事は下記参照ください>
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6228800
彼の経歴は簡潔に書くことができないので、下記を参照ください。
<ジョン・ウェットン (ウィキペディア)>
70年代に<キングクリムゾン>というバンドで「プログレシッブ・ロック」というジャンルを築いた人たちの一人ですが、自分にとっては洋楽を聞き倒していた80年代に<UK>、<エイジア>というバンドでの楽曲が耳なじみがあります。
<プログレ>というジャンルの楽曲は、コアなファンも多数いる反面、小難しいというか、ニュ-ア-トのように、取っつきにくい感じもあり、自分としては「好きで聞く」というよりは、「深く知ろうとして聴く」感じで、瞑想世界のように聴いていました。
ウェットンさんは様々なグル-プで、エポックとなるような楽曲に関わってきましたが、<エイジア>というスーパ-グル-プで世界的なヒット・セールスをはじき出しました。
様々な音楽活動でキャリアのある達人たちが集結したグル-プで、日本で言えば、<YMO>のような感じでしょうか?
特に<エイジア>は、彼らがオヤジになった、ここ10数年の間でも、何度か来日公演を行い、毎回、ソ-ルドアウトになるほどの盛況ぶりでした。
バンドメンバ-も、ファンも「一緒に歳を重ねていく」感覚で、かつてのヒット曲が演奏されると、一緒に立ち上がって、拳を振り上げていました。
彼らのコンサ-トを観る度に、まさに、「生きていていてよかった!」と勇気を貰っていたものでした。
残念ではありますが、ロック界の「巨人」が「巨星」に成ってしまった。と、気持ちを切り替えて、これからもずっと心に刻みながら、彼らの楽曲に励まされることでしょう。
洋楽に興味のない方には、全く馴染みのない出来事とは思いますが、追悼をこめて数曲、貼り付けさせていただきます。
まずは代表曲
ASIA -「Heat Of The Moment」 (1982)
https://www.youtube.com/watch?v=ji_y6O_TDsg
雄大で、高らかに歌い上げる彼のヴォ-カルは大好きでした。
この曲が始まると、ファンも総立ちで、拳を突き上げていました。
ファンでない人から、一歩引いてみると、ハウンドドックの「フォルテシモ」のように、やや、小っ恥ずかしい感じに映るようなメロディ-ラインかもしれませんが、それは80年代という時代背景を加味して、お許しください。
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もう1曲は、<UK>時代の曲
U.K. -「Night After Night」 (live 1979)
https://www.youtube.com/watch?v=QeboHGRHlW4
曲の隅々には、まだ<プログレ>時代の小難しい感じの名残を残しながらも、かなりポップで聞きやすくなってきたように当時は感じました。
当時としては現代的な音楽の中で、彼の雄大な歌声も活かされた楽曲と、自分は思います。
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<エイジア>の各メンバ-は多彩な音楽活動をしていたので、このバンドの楽曲でないのに、突然演奏されると、「この曲にも関わっていたのか?」と、ファンでさえ、ちょっとした「サプライズ」な曲もたまにありました。
それがこの曲
バグルス - 「ラジオスターの悲劇」 (1979)
https://www.youtube.com/watch?v=ZZbkr76Mx5Q
テレビの出現により仕事を奪われた歌手の話から、ラジオの黄金期を賛美する曲で、皮肉にも、「MTV」で放送された最初の音楽ビデオでもあるそうです。
今でもCM等で使用されているので、聴いたことがある方も多いかと思います。
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多彩な人たちが、時を経て、再結成して、かつての輝きのまま「夢を届けてきてくれていた」<エイジア>、そして主要メンバ-だった<ジョン・ウェットン>さん。
ご冥福を祈りながら、彼らの楽曲は、これからもずっと心に刻んでいきたいと思います。
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また、取りとめの無い妄想旅
ご容赦ください。。
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自分には何ができるわけではありませんが、身動きとれない日々がまだ続いています。
記事の更新、ブログの読み歩き、ペタ等、なかなか、できない状況ですが、ご容赦ください。
特定的な地域ではなく、突然発生する天災
やはり、震災・天災、何時でも「備え」を忘れずに。。