残された時間が少ないとわかっていたから。
エディのそばにいられるように、
エディのことを一番優先に動けるように。
何も予定を組まない体制をとり、
最期をエディとゆっくり過ごすことができて。
だから、エディのくれた時間を他の大事なことに使うことができて。
知識や経験がなくて、自分の行動が裏目に出たり。
寝不足と疲労で脳が働かず、心に余裕がなくなり苛ついたり。時には涙したり。
寒さで凍えてはいないだろうか。
空腹で辛い思いをしていないだろうか。
轢かれてはいないだろうか。
くくり罠にかかってはいないだろうか。
そんなことを考えたら動かずにはいられなかったし、他に優先するものはなかった。
保護したということは、その行為に対して最後まで責任を持つこと。
そして、その命を守るためにどれほどの人の思いと行動があったか。
私にとって、アロンとエディの存在は大きすぎるほど大きい。
センターで撮影されたエディの瞳の奥にアロンを感じ、エディを里親として迎えて最期を看取り。
それをきっかけにセンターへ通うようになり、
センターにいる子たちの中から"選んで"引き出してくる人の思いや、残された子たちの眼差しや姿が脳裏に焼き付き何とも言えない気持ちを感じ。
シェルターボラで沢山の人の愛情により守られている命だと実感したり。
預かりボラで家庭に慣らす苦労や大変なことがありながらも、変化する喜びを感じたり。
病院受診や乗車でパニックになり手がつけられなかったり噛まれたり、排泄物を撒き散らしたりされることを経験し、その大変さを身を持って知ったり。
一頭でも多く幸せへ繫げるために、積極的に里親会に参加し自分に出来ることをしたり。
想像しただけでは分かり得なかったことを多方面から経験することで、自分の意識は変わったし行動することができるのだと思う。
これはアロンとエディのお蔭。
ありがとうね。
虹の橋で、アロンとエディは仲良くしているかな。