元旦は穏やかに晴れました。

朝のバルセロナの歩道です。

静かで穏やかな光が降り注いでいました。

地下鉄に乗ってグエル公園へ向かう。

道すがら空いているカフェで朝食。

天気はよいけれど、朝晩はやはり冷えます。


グエル公園にて。お土産品を傘の上に並べていた。お土産を選ぶ相合傘のお二人。

公園の様々なものをモザイクで装飾していたが、

(噴水、広場、階段、椅子など)

色の幅も多様であるにも関わらず、とても調和が取れている公園だった。



ここは公園内の通路。音の響きが良いそうで、

バイオリンなどの楽器を演奏している人が多いとのこと。

(K氏談)

眺めの良い路。
グエル公園からは地中海がとてもよく見えました。



砂浜で新春ビーチバレーをするものあり。

地中海に面したビーチ!やはり夏に来たい。

新春に水着で海に飛び込む若い男女を目撃し、

その場が一瞬で夏になった。


砂浜に来たら必ず貝ひろいをやるが、この浜辺は繊細な暖色系の貝殻が多かった。



ヘルツォーク&ド・ムーロン フォーラムビルにて。(屋根?を見上げた写真)

ガラスのような普通は滑らかで光沢のあるような素材が

何かの痕跡を残すように加工されている素材感が興味深かった。

光もそれを受ける建材も互いに自由奔放な感じです。

パーツの組み合わせなども散らばっているのに、まとまりがある感じがしました。





そのフォーラムビルに隣接する公園。遊具がとても楽しい!

一見排水溝に見えますが、実は弾むゴムでできています。

名付けて排水溝トランポリン。

周りは陸上競技場のトラックの素材(弾力のある赤土色の素材)でできていて、

こんな小さい子も果敢にチャレンジできます!

もちろん大人だって。私たちももちろん挑戦。


3つならんでいるから3段飛びもできるのだ。

ジャンプ!


私がとても気に入った遊具がこれ。

ステンレス?でできていて、上のポールを回して、

まあるい地球のようなの上に座って遊ぶ。


地球の自転を実感できる、日本の公園にも絶対おすすめの品。

そして親子で遊ぶ姿がよい。





2007年最後の日。天気は穏やかな日本で言えば小春日和というところ。


バルセロナについたのはお昼過ぎくらい。

バレンシアからバスで6時間ほどの道のりでした。


日本でいうとちょうどゆく年くる年のころにサグラダ・ファミリアへ向かう。

地下鉄を降り、ちょうど地上に出てあの教会の前で新年を迎えました。


まだまだ建築途上であることは有名であるけれど、

塔の間から何本ものクレーンのアームと共存している

(そしてこれからも共存し続ける)教会というのはなんとも不思議な光景だった。

人間が設計し、建設しているというよりはその教会自体はもともと存在していて、

今は天から治療を施されている、というように見えた。



日が落ちてからは、カサ・ミラという直線をまったく持たないという建物へ。


確かに外観も独特であるが、私は屋上の異様さが印象的だった。

屋上へ上がると急にアニミズム的な惑星に迷い込んだような様相。

埴輪の上に土偶の顔が映されたようないくつもの塔が、何本も島を作るように配置されている。

事実、屋上スペース内の高低差が激しいため海に浮かぶ島のように見えるのだ。

その小島をつかさどる土偶たちは、暗い海を照らす灯台の役割を果たすとともに、

暗黙の為政者としてその空間を支配し、景色をねじ曲げているような感じを受ける。

その感覚は学生のときにいった養老天命反転地で感じた感覚とにていた。

31日の夜はどこもお店がしまるのが早くて、食事をするところを探すのが大変だった。

でもスペインはどこへ行ってもご飯とお酒がおいしくて、本当にお酒が飲めてよかったと思いました。

BARの賑やかな感じが、心が落ち着くとともに華やぎます。


ただこの日私はあまりに疲れすぎていて、ベッドに座ったまま寝ていたり、

近くのスーパーで買っていないのにもかかわらず渡された袋をもって帰ってきた様子・・・。

記憶はないけど。






私はどこかへいこうとするとき、弾かれたようにその場所へ行き付くことがある。

今回もそうやって何かに弾かれて飛んだのだ。


短い時間であっても日常の慣性を振り切るひとときを与えてくれる旅は

時の過ごし方として何よりも代えがたい。

また、日々というものに引き戻されるのも事実だけど、

その引力を受け容れられるかどうかの余白が生まれる。




私の誘いに快くのってくれたMちゃんにも、

私たち二人の旅をアテンドしてくれたKくんにも本当に感謝です。

コミュニケーションで拓けていく街の風景というのは、

その土地を知っているひとの存在ありきなので、とても貴重な体験でした。


パリ経由で成田から16時間。


やはりスペインは遠かった。

でもそれだけの時間があると、地球の大きさや雲や海や、人が住んでいないところを

思い描ける時間がもてたような気がした。


谷川俊太郎の朝のリレーを思い出しながら、うとうとしていたらバレンシアに着いてしまった。

着陸時にみんなが拍手をするのが印象的。


空港について、Kくんが迎えに来てくれるはずだったので、

二人で待っていた。


広い空港ではなかったけど、電話をして合流。

私たちの到着をたいへん喜んでいただいた!(はず)。


空港から地下鉄に乗り、おうちの最寄の駅のBARでビールとピンチョスを頂く。

パンに様々なトッピングをした一口サイズのお料理で、見た目も楽しい。


バレンシアの街は明日が新年だというのにまだまだクリスマス一色という感じで飾り付けられていた。

街並みも白を貴重にした古い建物が多く、夜に映える美しさだった。


日本の夜は一部を除いては過度に煌びやかだったり、夜にくすんでしまったりで

(もちろんよさもあるのだけれど)

夜の風景を見ているだけでも満たされるような場所だった。



今日なぜかトレロ・カモミロのメロディを思い出した。


ランララランララランララララ、ランララランララランララララ、ランララランララランラララララ、オレ!


もう20年前…!にみんなのうたで聞いた曲だけど、

みんなのうたは今聞いても圧倒的に印象的な曲が多い。

メトロポリタンミュージアム、コンピューターおばあちゃんとか…。


トレロとは闘牛士という意味だそうで、カモミロ闘牛士の歌。

戦いよりも昼寝が好きな彼は牛との真剣勝負に果たして勝てるのかしら?


これと似たお話は絵本でもある。

スペインでうまれたフェルジナンドは花が大好き。

他の牛たちは闘牛士を夢見るのに、ひとり花のにおいを嗅ぐのが好きな牛。

岩波書店から出ている、「はなのすきなうし」というおはなしです。


スペインとは情熱と静寂が同居する国なのかしら。

いや、情熱は静寂の木にもたれて火照りを沈めるのだろうな。




友人がスペインへ旅立つ日だから思い出したのだろうか。


いつか私も太陽の下、遠くバレンシアの地で花のにおいをいっぱいに吸い込みたい!


今日は仕事である輸入玩具の会社にお伺いした。


学生のときから気になっていて、最近では友人の出産祝い等でたまに遊びに行っていたところ。


店員の方の元気で細やかな説明を受け、

カラフルでありつつもシンプルな玩具の数々を見ていると、

子どもたちの遊びの風景が浮かんでくるようだ。

まさにPLAYSCAPE。


店内を見て周りつくつぐ思ったが、

おもちゃ(知育玩具)を選ぶときの絵本との大きな違いは、

子どもの身体発達の過程を具体的に思い浮かべて選べることだろう。


生まれて目でものの動きを追えるようになると、

モビールのようなゆっくり上下、回転したりするようなものを勧めたり、

ものを握れるようになれば、やわらかいボールを勧めたり…

目に見える成長に合わせて、玩具の動きや構成も複雑化してくる。


しかしそれに比べて、絵本は子どもの目に見える成長に添うかたちでの選択が難しい。

「心の成長」なんて、自我が芽生えてきたとか、意志を主張するようになったとかならともかく、

やさしい気持ちが育ってきた、とかしっかりしてきたとか、

いくつになってもだれにとっても自信をもてないことばかりが成長の要素としてあげられるのですから。


もちろん文字量等目安になるポイントはあるけれど、

「これを読めばこうなります」なんて指針もないので、

こんな気持ちを大事にしてほしいな、とか

こんな気持ちを子どもと共有したいな、

といった子どもの名前を考えるときにも似た気持ちで選ぶことがよいのでは、と感じました。


子どもだって無意識にでも、

安心できる表情の絵や、素敵だな、とひかれる絵、仲良くなりたいお友達がいるなと思い、本に声をかけるのではないでしょうか。

今日は現在の住まいが手狭になって本と服で洞窟化し始めたため、

家探しに不動産屋へ行った。


なかなか希望の条件に合う物件がなかったため、また出直すことになったが、

内覧に立ち会ってくれた不動産屋の方がよい人でいろいろな話を聞けて面白かった。


東京では賃貸物件としては圧倒的に1Rが多いらしいが、

確かに同じ面積に2DKを一部屋作るのと、1Kを2部屋作るのでは同じ面積で発生する賃料は1.5倍程違うだろう。

それはオーナー側の利回りを考えてると、土地のない東京では当然とも言えなくもないが、

そういった住まいを取り巻く環境が、20代、30代のライフスタイルにも多大に影響しているだろう。


今の家は小学校の向かいで子どもの声が聞こえることと、

大家さんにほぼ飼われているのらねこの存在がいとおしいので、

離れがたし、といったところである。


新年の休みボケが抜けずなかなか仕事モードになれなかったが、そろそろ、そろそろっと始動しました。

目下、年末から継続している来年度の図書館用のカタログの校正中。


今年の出版業界は世界的にアメリカの影響を受けて始まりました。

世界共通の書籍のISBNコード(International Standard Book Number)の桁数が変更になり、それに伴う実務的な作業が増えたためです。これはアメリカは本を取り巻く環境が良好だから生じたとも言えなくもないので、一概に悪い面ばかりではないのですが。


何はともあれ目が疲れたね、といって仕事帰りに同僚とご飯を食べながら、日々の業務の問題点を挙げつつ(愚痴?)、これからの仕事の目的やら方向やら不安やらを確認すべく、互いに言葉を受け止めて、投げ返してという作業を何度も繰り返し、この問いにあたりました。


今「書店」とはどのような場であるか、ということ。


私も彼女も書店営業が担当なので、書店店頭でどうやったら本が売れるかということを模索しているのですが、

日本全国を4人で担当する規模の会社では、すべての書店と関係を密にするのは不可能です。

そのため、うちの本を取り扱ってもらえるのは、首都圏、地方大都市の大型書店に限られます。

また、決まった陣地(本棚)に置ける本は限られる上に、年々新刊の出版点数は増え続ける一方で、
どう考えても書店店頭での覇権争いには小さい出版社が不利な状況がそろっています。


また、近年のアマゾンの出現により、本を書店店頭以外で購入できるルートが確立しました。

これは、ちょうど1000坪前後の大型書店の出店ラッシュとも重なっているように思います。

数十万冊の在庫を抱える大型書店はたくさんの本があって楽しいけど、(100万冊の在庫をもつ書店まであるのです!)本を見つけるまでが大変です。


ここにもアマゾンもちろんグーグルの成功理由があるのだと思いますが、

短時間で、効果的に目的を達成するためには店内においてさえも「検索」が必要になったのです。

空気中の水蒸気を蒸留して水滴を得るように、見えない存在であった無数の情報を検索という過程を通じて

スピーディに溜めていく。


また同僚は、ある書店さんから聞いた「happennig date」という話をしてくれました。

もともと作家の宮部みゆきさんが何かで言っていたようなのですが(たしか・・・)

大意は、

「書店では、思いもよらない本と逢いたい」

ということのようです。


どのお店も同じ鮮度の似たような本ばかりではなく、

並びあう個性が引き合い、突き放し、

本と人の間に互いに手のうちを探るような時間が流れ、手を出したほうが負け!とでもいうような。


検索によって得られる情報は能動性が高く、

個人の興味関心によって樹形図的に無限に広がっては行きますが、

気づいたら繋がっていた、というような驚きはあっても、衝動を伴う偶然には欠けるのではないでしょうか。


予想もできず突然目に飛び込んできた、たった一秒の印象。

人にもモノにも言葉にも、見初める瞬間があるものです。







年末に池袋西武で開催されていた、

ロバート・サブダ-しかけ絵本の世界展に行ってきた。


最近は絵本は売れないと言われているが、仕掛け絵本は大人気。

一昨年NHKの番組で取り上げられて以来、

新聞等のメディアでも紹介され、かなり品薄が続いていたようだ。

一冊の価格も張るものが多いが、デザイン性に富み、世代を問わないプレゼントとして好まれるため、

書籍の中でもしっかりとした地位を獲得している。


その中でも、このアメリカの作家、ロバート・サブダの功績は大きい。

彼の代表作『不思議の国のアリス』は、ページをめくるという扇形の軌跡とともに、平面の中に隠されていた部品が呼び起こされるように立ち上がる様子が非常にうまく連動しており、紙を使った一つの発明を見ているように感心する。

ポップアップ絵本は機械での大量印刷、製本ができないため製造に時間がかかり、人の手があってこそ作られる作品というのは納得。


エンターテイメント性が高く、展示栄えする作品であるため今後も当分は人気が続きそうである。

JR御茶ノ水駅の聖橋は12月に入った今が、紅葉の見頃のようだ。

ずっと北よりの地方で暮らしてきた私が見てきた12月の街路樹はもっと痛々しく削がれたりささくれたりして、

ジャコメッティの彫刻とまではいかなくても、雪が降るまでの間は木は耐えている存在者だった。

だから、今年のように暖かい冬は、私自身の感覚も季節についていけない。


しかし、まだまだ冴える冬の寒さが到来していないのは、都心の銀杏が物語っている。

まだまだ色も鮮やかで、葉の肉厚もふっくらとしており、枯葉独特の内に沙漠を感じさせるようなかすれる音はしない。

幹との語らいも儘ならぬままに急き立てられて路上に屯している様子だ。


落葉樹にとって紅葉の意味というが、実は明らかにされていないということをつい先ほどまで知らなかった。

今年のように青い銀杏の葉が幹に宿っているときは、木が紅葉の意味を思いあぐねているのかしら?と思ってしまう。


人々の間では今年がもうすぐ終わることと、また次の年が訪れることが話題に上ってくる時期だが、

私のなかではまだ今年が熟しきっていない。


もう少し気持ちもしっとりとするような冬を待ちたい。

昨日フジテレビで放送されていた、芸術祭参加作品の「泣きながら生きて」というドキュメンタリーを見た。

この番組は上海、日本、アメリカで暮らすある中国人の家族の15年にわたる物語を追ったもので、

日本で3つの仕事を掛け持ちして中国に仕送りをし続ける父、上海で日本へ行く夫を見送り、そしてアメリカに留学する娘を旅立たせ、一人縫製の仕事をし続ける母、二人からの支えを受けアメリカで小児科医を志す娘、それぞれの立場から家族に対する思い、責任、生きていくという重みが、2時間という時間の中でそれを遥かに超えた価値をもつものであった。(ドキュメンタリーの詳細な内容は以下)

http://www.fujitv.co.jp/ichioshi06/061103nakinagara/index2.html


実際には1950年代後半から人々に影響を及ぼした中国の文化大革命は、学びたくても学べない青年たちが数え切れないほど存在した。このドキュメンタリーの「父」である、丁さんもその一人だ。下放*政策化の10年間、1600万人の青年たちが農村や僻地での労働を強いられ多くの青年たちが教育の機会を奪われた。

知り合いに多額の借金をして来日し、日本語を学び大学進学を目指した丁さんは、残念なことに自分の夢はかなえられなかったが、その夢を娘に託すため、3つの仕事を掛け持ちし15年間日本で働いていた。

(*下放とは)http://www.panda-mag.net/keyword/sa/shangshanxiaxiang.htm


その間妻と娘と会えたのはたった一回だけ。

アメリカの大学に留学が決まった娘との8年ぶりの24時間の再会。トランジットを利用して来日した娘は18歳になっていた。

今度は妻との13年ぶりの72時間の再会。12回目の申請でやっとこさ勝ちとったビザを手にアメリカにいる娘に会いに行くため、桜の季節にトランジットを利用して来日していた。


13年という年月、夫婦が一度も会えないという気が遠くなるほどの現実。

娘の成長を傍で見守ることのできない8年間という空白の辛さ。

この3カ国に散った3人の家族は再会の時間ですら、移動の途上にある。


トランジットという限られた時間のなかで、8年、13年ぶりの再会に必要なのは、お互いの中にお互いを見つけること。

いつも、どこかの家族のなかに弾けてはきえていくような、そっととりとめのない会話があること。

成田までの短い電車でただただ同じ方向を向き隣に座り続けること。それが何にも代えられない気持ちの結びつきなのかもしれない。