家族の食事は栄養のバランスを考えて作るのに

自分ひとりだけの食事ってなんでこうもてきとーなんだろう。

 

 

 

どれだけ知っているかによって

この一人芝居の感じ方が大きく変わってくるんじゃないか、

と書いたけど

逆に、脚本を書く方からしたら

それをどの程度想定してたんだろうと気になって

客席がまだらになるっていうか、同じ場面を観ていても

表情や反応が違ったんじゃないかと

 

それすごい脚色してるねって思う人もいれば

そんなことを抱えて今までやってきたんだねって思う人もいて

それがエピソードや場面によってまだらが動くというか

たまたま持ってる情報によって、真実だったり真実じゃなかったり

そのそもその知ってる情報が真実でなかったのかってなったり

感情が迷子になるというか、半信半疑

なのにお芝居はシームレスでつながっていく。

狐に抓まれたような感覚で会場を後にした人も多いのでは。

 

それをもしわかって、この脚本なのだとしたら

天才なのか、とも思ってしまうくらい

すごい内容だった。

 

台本にこう書いてあって、

 

作品のテーマとか込めた想いはあるけど

それを伝えたいわけでは無い

それとは切り離した意味の無い

「食事」というタイトルにした

 

 

“伝えたいわけでは無い”というところ、

加藤さんもよくこう言っている気がするけど

感じ方はこちら側に委ねられていて

事前知識によっても別物の舞台に見えるし、

自分の経験によっても共感度が違うし、

あーこれ、受け身で観ちゃいけないんだな

って。

 

あくまでも、「鈴木勝大」役であって

本当のお話かどうかは

あなた次第

いやー、なんかやられたなーという

 

 

あの場面ごとの多様な感情と、

そこから独白に一瞬で切り替えるリセットのお芝居

ここのところの作品ではここまで勝大くんの演技力を

ガッツリ観れる機会がなかったから

本当めちゃくちゃ大満足だし、うれしくて仕方ない。

 

スジナシの始まる前のシーンから

始まった時に一瞬で俳優になるあの顔を思い出した。

今回は切り替える前も鈴木勝大を演じてるし

切り替わったあとも鈴木勝大を演じてるし

 

前の涙を残しながら

 

 

「絶好の機会に恵まれたんですよ」

 

 

ってゾクッとしたよね。

あー好きだなーこの人のお芝居って。

この時間が終わらなければいいのに。

 

 

ずっと一人でけいこや台本を書いて書き直しをして

もはや何が面白くて何が良いのかわからなくなっていた

 

 

と初日のインスタで書いてくれていて

面白いと思ってほしい、という思いがあったんだなと

そのまんまだと半生のような内容を

切ないとか、可哀そうとか、大変だったんだねとか

そういうのではなく、

このお芝居面白いと思って観劇してほしい

という気持ちがあったんだなと知って

ますますやられたなーという

 

ただ、どうしてもこの内容を

エンタメとして消費することはできなくて

こういう一人芝居をやろうと思い至った

勝大くんの気持ちへ勝手に寄り添いたく

この10年以上考えてきたことではあるけど

やっぱり思ってきたことは勝大くんの中にもあったんだと

確信したから

自分の思いを整理するきっかけになったかな。

 

いやー、面白かった。

一言で言うなら確かにそう!

 

つづく