どうするの?かっちゃん!の放送内で
バレーボール部に所属していた頃の話が出て、、
あまりにも深イイ話に、ダメだ、当時の勝大くんを理解するには
まずは勝大くんの部活に関する歴史を振り返らないと!
と、まずは自分の中で解釈するために
見返した雑誌の記事やインタビュー。
断片的に覚えている記憶を辿るのが一番効率的なことに気づく。。
人間の脳って好きなことに関しては
すっごくよく覚えてるものなのね。
火がつくと止まりません。
納得行くまで掘り下げたい、面倒な性格。
せっかく出してきたのなら、ヒストリーとしてまとめちゃえと
部活に関する部分だけをピックアップしてみました。
いやきっとまだあると思うけど
見つけたら足して行こうかな。
ひとまずこんな感じで、勝大くんの部活の歴史を振り返る旅にどうぞ。
部活ではないけど、やっていたスポーツ。
写真集の記事によると生後8ヶ月から続けているというスイミング。
8ヶ月って合ってるのかな、まいいや。
10年続けて辞めたそう。受験もあったしね。
年長さんの時にはフットサルもやっていたそうだけど
本当は野球がやりたかったのに嫌々やらされていたとか。
それが今、21歳で野球をやることになったという。。
お父さんが野球が好きで、
東京ドームに連れていってもらったりしてたそう。
そっか、まさかその小学生の時に
東京ドームシティで連日敵と戦うことになるとは
夢にも思わなかったろうね。
野球選手になりたかったの?
「はい。それで中学に入ったら野球部に入りたいって思ってたんですけど、
僕、小4から塾に行ってたんで、ちょっとしか野球をやれなかったんですよ。
でも、中学の野球部は経験者ばかりだったから入りづらくて…」
(QLAP! 2012年9月号)
野球やりたかったんだね~。
ちょっとしか、っていうことは小学校の時少しやってたのかな??
「見えないとこはぐちゃぐちゃ」
(JUNON 2010年7月号)
クローゼットの中にグローブが2つ!
ちゃんとやってたってのがわかるよね。
弱勝のお仕事が決まるずっと前の記事なのに♪
小学校になっても、ますます元気。
「野球が好きで、休み時間になるといつも教室で
新聞紙を丸めて作ったボールを使って、野球ごっこ」
(Myojo 2013年3月号)
紙を丸めてボールを作って投げっこしたって
写真集にも載ってた。
勝大くんの話は尾ひれをつけないから好き。
どこで聞いても同じ内容だし、同じなんだけど
たまたま出なかった付随するエピソードが出てくると
新しい発見したみたいですごく嬉しい♪
で、ここまでは習い事だけど
次は本格的に部活に絡む内容。
「中学時代はテニス部で、スクールにも通ってました。
(略)最後の県大会はレギュラーで出て
団体で1位になったし、自分的には満足のいく結果が出せました」
(写真集「キミのとなり」)
スクールにも通ってたって、あまり記憶になかったけど
読み直して気づいた。
確かに部員が多いし、スクールでやらないと
レギュラーになるのは厳しそう。
17年度も18年度も団体で4位、
勝大くんが3年の19年度で優勝。
なんかいつもテニス部○○出場!とか垂れ幕あるイメージ。
以前、Myojoで淳平くんとテニス対決したよね。
結果は勝大くんの圧勝でした。
「中学のときに行った陸上部の合宿は山でした。
キツかったな~。朝3時起きで山道を20km走って、
朝食後、運動。昼寝のあと、夕方にまた20km…。
あまりの過酷さにみんな、吐き気と戦いながら走ってました。
今ではいい思い出ですけどね」
(Myojo 2012年9月号)
これ、中学って書いてる。
ていうことはテニスは中学のうちに辞めてしまって、
陸上部に入ったってことなのかな。
それとも間違い??
写真集では「高校は違うことをやりたくて陸上部に入った」
って書いてあるしなー。
「合宿後すぐに退部届を出した」って。
いい思い出ってMyojoでは言ってるけど、、
ストレスが爆発するきっかけだったみたいね。。
バレー部に入る転機だったわけだ。
やっぱ高校の間違いじゃない?
「中学まではテニスやってたんですけど
あまりにも部員数が多かったんで
部員数の少ないバレーボール部に入りました。
おかげで即レギュラー入りです。
試合結果は散々だったけど部員のみんなで集まってるのが
すごい楽しかったんだよね」
(タンブリングVol.4 パンフレット白)
「小さい時には、本当は野球をやりたかったのに
嫌々フットサルをやらされてて(笑)
中学はテニスの団体戦で県大会優勝して
高校では陸上の長距離と、バレーボールをやって…と
いろんなスポーツをやってきました。
バレー部は、映画『おっぱいバレー』の学校の5倍くらい弱く
部員も6人しかいなかったので、入部して即レギュラーで(笑)」
(ゴーバスターズ公式HPインタビュー)
バレー部の話になると、中学のテニスとはうって変わって
急に弱小弱小って笑
これ、弱勝決まる前から同じこと言ってたんだね。
ゴバスでも、タンブリングでも言ってるバレー部の話。
「高2のときは、体育祭で部活対抗リレーに出たんですよ。
短距離が苦手だから絶対出たくなかったのに
俺が所属してたバレー部は6人しか部員がいなくて
しかもリレーは6人出なきゃいけない。
だから出場せざるを得なくなっちゃったんです」
(JUNON 2013年4月号)
これは面白エピソード♪
50m走は7秒台だっけ、男子にしては遅くない?
私7秒前半だったけど。。
高1で入部したものの、ひたすらハードな練習で、
“走るために走ること”によろこびを見つけられなかった勝大くんは
部活を続けるべきか悩んでいた。
「先輩は“勝大が決めたことだから”と賛成してくれて。
僕がどんなに話してもやめることに大反対だった両親を
先輩が説得してくれたんです。
でも僕の学校は部活に入っているのが鉄則。
親には“半年遅れたけど、次はテニスをがんばる”と言ってやめたのに
テニス部に入部拒否されちゃって…。
かなり落ち込んだんですけど
そのあとバレー部が勧誘してくれたんです!
僕を必要としてくれる人たちがいた…と
泣くほどありがたかったですね」
(Myojo 2012年11月号)
この話はすごく記憶に残ってて
もう一段階勝大くんを好きになるきっかけになった記事。
バスケ部部長で学年首席で医学部に行った
4コ上の家庭教師の先輩。
こういう先輩との出会いがあるのも
中高一貫校の良さであると思うのよね。
そして、この先輩とのエピソードが写真集のQ&Aに。
Q90 今までの人生で、言われて一番感動した言葉は?
「陸上部をやめるとき、母親には反対されたんだけど、家庭教師の先生が
『一番大事なのは、やめることより、やめた後に何をするかだよ』
と言ってくれて、すごく感動しました」
弱小なんて言って笑い話になってるバレー部だけど
そこに行きつくにはいろんな葛藤や戦いがあったわけで
人生で一番感動した言葉として出てくるくらい
その当時の勝大くんには大きな転機になった競走部退部。
どんな仕事の時でもエピソードとして出てくるし
それだけ勝大くんの歴史に何か刻んだ出来事だったんだろうな。
「特に印象に残ってるのは、高1のとき。
俺は一時期、陸上部に所属してたんですけど、
部活をやめるときに、周りからバカにされたんですよ。
そこで彼女は「彼は彼なりに頑張ってるんだから!」と言って、
俺を守ってくれたんです」
(JUNON 2013年8月号)
“周りからバカにされた”って言葉を選ぶって
彼女の話よりも、読んだ時そこで胸にグサッて来たなー。
なかなか自分の過去を振り返って、バカにされたって
そういう表現するようなことってないというか
悔しい思いがなかったら、そういう表現にならないよなぁって。
高校の時の話だから、何が誰が正しいとか
未熟な者同士の青春の1ページだとしても
やっぱり当時の勝大くんが感じた気持ちってのが
今の勝大くんを形成してるんだって思うと
なんとも胸の奥がムズムズするっていうか
タイムマシンがもしあるなら
2008年に戻って、こっそりその勝大くんを見てみたい。
前に、勝大くんのバレー部時代の写真を
見せてもらったことがあるのだけど
たぶんバレー部に入りたての初々しい時の姿。
このエピソードを知っていたから
胸がチクッとするような気持ちになったけど
それとは別に高2?3?のもっと後の写真を見た時は
なんか安心したっていうか、ちゃんとバレー部だなっていう
そんな存在でそこにいました。
あと一つ、2013年6月13日のブログで
高校で陸上部だったときの友達と集まったって報告してくれたけど
これは今ではもう懐かしい思い出になったってことを
意味してるのかなーーって、1年越しで疑問を抱えています。。
気になるならかっちゃんで聞けっていうね。
じゃあ、聞いてみよう。
ということで、鈴木勝大ヒストリー。
勝手に一部分をピックアップしてみたけれど
まだエピソードは転がっていると思うので
気付いたら追記していきます。
部活編以外もシリーズ化しそうな勢いです笑
よし、これでスッキリしたので
かっちゃんで聞いたバレー話の話に戻れるわ。
あ、、これからがまた長いね。
また時間見つけて書きます。
どーんなに深く入っていっても
過去をあけっぴろげに全部見せてもらっても
まだその過去や背景を知りたい、そしてその向かう先を見たい
そう思わせられるから離れられない目を離せない。
江戸時代の言葉で言うなら、ぞっこん。
勝大くん、大好きです。