http://game.watch.impress.co.jp/docs/20090305/rs.htm
ロマンシング・サガが携帯電話で配信だとか。
キャラ追加で追加課金、と聞いて若干抵抗を感じたけど、
考えてみたら、ロマサガは、キャラ変えても本編への影響比較的少ないし、
「全キャラやるのがデフォ」みたいな人以外は、
せいぜい2-3キャラぐらいまでしかやらないゲームだよねえ。
「FF4ジ・アフター」でも、キャラ追加での課金だったし、
そう考えれば、たいしてひどい手法でもない。
むしろ、冷静に考えたら、実質的にはほとんどユーザーの利益を損ねずに、
魅力的な「追加コンテンツ」を切り出した、ともいえる。
……でも、なんでか、抵抗は強く感じるんだよねえ。
「FF4アフター」は、追加金額を払わないとラストまで遊べないわけだけど、
その代わり、有料な部分は選択してスキップできるようになっている。
こっちのほうが、僕は抵抗感が少ない。
うーん、なんでだろう。
やっぱりこれは、ロマンシングサガが、
もともと「自由度」ってものをテーマに掲げた作品だから、なのかなあ。
「どの主人公を選ぶのも自由」「どんな選択を選ぶかもプレイヤー次第」といわれたゲームで、
その自由を楽しむために追加金額が必要、といわれたことに対する抵抗、かなあ。
「もともとひとつの商品だったものがわけられた」って部分かな、とも思ったんだけど、
携帯系ゲームの課金はたいていそんな感じだし。
「自由度と金」って問題は、ゲームデザインにかなり密接に関わってくる。
たとえば、ストーリーに大きな分岐を作った結果、
プレイヤーが一度のプレイで見れるストーリーが半分になるとする。
それは、乱暴に言い換えれば、分岐をなくせば、
2倍のボリュームをもったゲームが作れていた、ということだし、
また、作ったものの半分は、ユーザーの目に触れることもなく、
ゲームが終了してしまう、ということでもある。
せっかく作ったものなら、ちゃんとユーザーに提供すべきだ、というのは、
作り手の視点でみても、経営的な視点でみても、
ユーザー全体の利益からみても、ある程度正しい。
そして、その正しさに従うと、「自由度」はどんどん排除されていくのだ。
「ユーザーがやらないかもしれない」分岐に力を裂くより、
「ユーザーが必ずやる」部分に力を入れる。
これは、理屈としては残念ながら正しい。
もちろん、ゲームには「適正な長さ」というのもあるし、
周回を重ねることによって魅力を発揮するゲームというのもある。
そういうゲームは、上の前提をふまえつつも、
分岐や自由度を盛り込んでいくわけだが、
前提として、可能なかぎりゲームの一番の魅力は、
より多くのユーザーに伝わるようにするのが、
「正しいゲームデザイン」というものだろう。
ゲームの自由度を増やすのが難しい理由が、ここにある。
ゲームデザインをする立場であれば、
「その自由度を実装することによって、作業の手間はどれだけ増えるのか?」
ということをある程度意識しなければならない。
(さもないと、調整グダグダになったり、
延期に告ぐ延期になったりして、結局全体の利益を損ねる)
……んで、そういう着眼点からみると、
やっぱり、「RPGのストーリー面での自由度」って、
コストパフォーマンスが無茶苦茶悪いんだよね(笑)
どうしてなのかは、長くなっちゃうので、みんな考えてちょーだいな。
ま、そんな中で、いろいろ工夫して
「自由度」を仮想実現したゲームがいろいろあるわけだ。
たとえば、システム面での自由度は、
ストーリー面での自由度に比べて、コストパフォーマンスがいい。
だから、ほとんどのゲームはそちらでの自由度を求めてデザインを行うわけだ。
ロマサガがやってきたのは、そういう中で、
ストーリー面での自由度を目指したデザイン、ということになるだろう。
携帯版の課金デザインは正しいものだと思うけど、
ちょっと作品との相性が悪いなあ、と。そんな感想をもちました。