ブログには買いてませんでしたが、

マリオカートWiiを買って遊んでいます。

実は、私の人生ではじめて買ったマリオカートです。

人の家や会社でやったことは多々あったんですがね。


こんなに面白かったっけなあ、と思いながらやってるわけですが、

まあ、内容分析はとりあえず後ほど。


今回とりあげたいのは、「パッケージ」のお話です。

マリオカートを買って、パッケージを見て、こう思ったんですよね。

上に貼ってある、マリオとルイージがハンドルもってる絵です。

「背景真っ白なんだなあ」と。

ヨソのメーカーの、手のこんだパッケージにくらべると、

ずいぶん簡略化されてるな、と感じたわけなんですよ。


で、ふと、思い立って調べてみたんですが。

Wiiスポーツ、はじめてのWii、WiiFit、リンクのボウガントレーニング。

Wiiになってから出た任天堂の「新ジャンル」系のソフト、

みんな、「白い背景に、ゲームの特徴をわかりやすく見せた絵」っていう構成なんですよね。


このへん、「そのまんま」ってとらえることも出来るし、

内容を直感的に、わかりやすく伝えてる、って見方もできるように思えます。

逆に、「スマブラX」のような、昔ながらのゲームは、

昔ながらのパッケージになっています。


ワタシのような古くからのゲームファンからすると、

「パッケージはゲーム全体のイメージを伝えるもの」っていう印象があるのですが、

もう、そういうセンスは古いのかもしれません。

Wiiになって、「新しく入ってきたユーザー」に対してアピールするなら、

そういう「イメージを伝える」ということ自体が、まわりくどく、

ゲームの内容をボカして伝えてしまうことにつながるのかもしれないな、と。



任天堂の広告戦略で、「ゲーム用語をなるべく入れない」というハナシを聞いたことがあります。


「コントローラー」という単語でさえ、ゲームをやらない人にとっては

なじみがなく、障壁になってしまうモノである、と。

ゲームの「専門用語」は、可能なかぎり排除してこそ、

「いままでゲームをやっていなかった人たち」にアピールできる。

だからこそ、CMでは、「リモコン」であり、「板」であり、「ハンドル」である、と、

ゲームになじみのないひとたちでも聞いたことのある言葉をつかうんだ、と。


このパッケージ絵も、

「あえて切り捨てることによって、ユーザーに障壁を作らないようにする」

という仕組みなのかな、と考えさせられたわけです。

以前、ストーリーの有無のときもちょっと触れましたね。


「いままでゲームをやったことのないひと」が、どれだけゲームに入りやすいかに

配慮した状況が、これなのでしょう。

ゲーム全体のイメージとか、そういうことよりも、

「このゲームで、プレイヤーは、ナニをするのか?」を

伝えることのほうが大事、という判断なんでしょうねえ。



ゲームは、その歴史の中で、かなり早い段階から、

世界観だとか、背景にあるものだとかをプレイヤーに意識させるようなモノが主流を占めていました。

そのはしりはもちろん「ゼビウス」ですし、その後のRPG全盛期を経て、

それが当然であるように受け入れられてきました。


でも、実は、それはノイズにもなりうるもので、

実は、ゲームがより広い層に広まるのを阻んでいた……と、そういう見方も、出来るような気がします。




……や、僕自身は、ストーリーや世界観が大好きな派なんですがね。

「こういうゲームをつくるとしたらどうなの?」っていう考えです。ハイ。