FF11の海外展開が始まったとき、日本人プレイヤーと海外のプレイヤーの
プレイスタイルの違いが何度か問題として指摘されました。
日本人プレイヤーは、早くから「効率的なプレイ」を研究していて、
ほとんどのプレイヤーはそれに従うことをよしとしていました。
一方で、海外のプレイヤーは、それよりは「自分の楽しいように」
プレイする人が多かったため、同じパーティに参加したときなど、
トラブルの種になりやすかった、といっていいでしょう。
モンハンの話を考えたとき、ふと、この話から、こんなことを思ったんです。
要するに、日本人は、物事を「効率よくやる」ことが特にすきなんじゃないか? と。
いや、もちろん、効率がいいことが嫌いなわけはないんですが。
我々は、難しい課題が与えられたとき、何とか工夫などして、
それを効率よくやることに、
ゲーム性を感じているんじゃないか? と思ったわけです。
そうやって考えてみると、「育成」の目的って、
そもそも、「戦闘を効率よく進める」ことなんですよね。
戦闘に楽に勝ちたいから、
キャラクタを育て、武器をつくり、レベルをあげる。
日本人の間では、RPGとか育成とかいった要素は
非常に人気が高く、歓迎されるのですが、
それも、実は、究極的には、「効率よくプレイ」することがすきで、
そこに達成感を感じるからじゃないのか、と思ったわけです。
逆に、RPGとか、レベルあげモノは、
欧米ではさほど歓迎されない傾向があります。
つまりは、欧米人は、我々が思うほど、
「物事を効率よくやる」ことに
達成感を感じないからじゃないのか、と。
一度、FF11で友人になった海外のプレイヤーと、
こういう話をしたことがあります。
「日本人は、みんなうまいけど、
ダレと組んでもおんなじようなプレイしかしないんだよなあ。
働いてるみたいだ」
これは一例にしかすぎませんが、
欧米のプレイヤーが、「自分のやりたいようにやる」ということに重きをおいている、
というのはよく聞く話です。
そして、「物事を効率よくやる」ことに、
我々ほどゲーム性を彼らが感じていないとしたら、どうでしょう。
こっちの視点でみれば、「育成」は、「やれば効率があがるもの」です。
でも、あちらの視点でみると「育成」は、
「自分の好きなようにやることの障害」ともとれてしまうのです。
いままでのゲーム史において、国内と欧米の市場の差異は
いろいろとあげられてきましたが、
究極的には、実は「効率を求める」ことを
「ゲーム性」としてとらえるか「仕事っぽい」としてとらえるか、という意識に、
かなり隔たりがあるんじゃないか?
と、こんなふうに思うようになったわけです。
そうやって考えてみると、確かに、モンハンは、
「自分のやりたいようにやれる」システムからは程遠い設計です。
モンハンのボスのアルゴリズムは、明白に隙をもっていて、
比較的容易に「最善手」がわかる仕組みになっています。
これは、日本人からしてみれば、
「最大効率を出すためにやるべきこと」がかなり明白になっていて、
自分がどれだけやれたかがある程度はっきりわかります。
繰り返すうちに、より最善に近い動きができるようになるのが
面白さにつながります。
しかし、自由にやりたい、という思いを基盤にもつと、
これは、選択肢の少なさという形につながります。
他にも、昨日あげたモンハンのさまざまなマイナス点は、
そもそもこういった部分で大きな足かせになっていることがわかります。
まあ、かなり乱暴に「日本人」「欧米プレイヤー」と
ひとくくりにしてるきらいはありますが、
やっぱり、根底にある意識にズレがあるんじゃないか、と思うんです。
なんであっちで日本製のRPGが受けないのか、というのは
昔から、ゲーム市場に対する議題としてあがっていますが、
往々にして、「RPGは面倒くさいから」で話が収束してたんですよね。
でも、ひょっとしたら、「成長した先」のものに対する
価値感がかなりズレてるんじゃないの? という話です。
レベルあげは、本質的にいって、日本人にだって面倒くさいわけです。
でも、その先にあるものや、成長している感覚とか、そういうのがすきなので、
多少の面倒が気にならない。
その辺に、違いがあるんじゃないかなー、と思うわけです。
このあたり、民族性からする価値観の違い、といえるかもしれません。
いずれにせよ、今後海外市場を狙う上で、またまだいろいろと考えていかないといけませんね。