ワンダと巨像


何度か、私は「会社でゲームをやっている」
という話を書いたことがあるが、
これはなにも、私一人だけがそうしていると
いうわけではない。


職業柄、「やっておくべきゲーム」というのは
数多く存在するし、仕事であれ、趣味であれ、
会社でゲームをやる人は、うちの場合は、
珍しいわけではない。


そんなわけで、「ワンダと巨像」は、
他人のプレイを見るところから始まった。



はっきり言って、驚いた。



もともと、期待していた作品である。
ある程度のレベルであってくれないことには
困るなあ、とも思っていたが、そんな枠には
おさまらないほどの出来上がりになっていた。


その幻想的な絵も、
どのフレームで切っても「絵になる」画面も、
期待していた以上の出来栄えだった。


映画みたいなゲーム」というと、
昨今では否定のような言葉として
受け取られることも
多いが、私はワンダを表現するのに、
この言葉ほど適切なものはないと思う。


自然にプレイしているだけなのに、

冒険の1シーンとして写真に残したくなるほど

美しい絵ができあがる。


表現しているのは幻想的で、映像的な空間なのに、
その中をゲームとして自由に動き回れる。

「映画とゲームの融合」という言葉は、
PS2の初期ごろによく聞かれたことだが、
その頃でたゲームが、いかにこの言葉を
勝手なとらえかたをしていたかがよくわかる。


「幻想世界を旅する」という高揚感を
存分に味わうことができる世界だ。



えてして、背景表現がすばらしいゲームほど、
ゲームとしては「わかりにくさ」を
生んでしまう要因だったりするけれど、
ワンダは、それを上手く吸収している。


背景全体を白く落し、

愛馬や巨像など、大きな動きを見せるものたちを
黒をベースとした色で表現する。
ゲーム本編に関わる重要な存在を

しっかり識別できるように色彩が調整されているのだ。

美術としても、ゲームとしてみても、
どちらも隙のない見事な構成である。

幻想的な空間と、識別しやすい画を
両立した、実にセンスのいい仕上がりになっていた。



もはや、映像表現という意味では、
減点することすら難しい。

ICOの世界の匂いを残しつつ、
また新たに魅力的な世界を作り出したことを
含め、大満足の仕上がりであった。



……ところが、自分でやってみて、
むむ? とクビをかしげることになった。


操作性が悪い、わけではないのだが……。

コントローラー捌きが、嫌に難しく感じたのだ。


操作はシンプルなのに、
思い通りに動かせないもどかしさ。
そういえば、私がプレイを見ていた人も、
どこか微妙なところを感じた、と言っていた。


ICOの、シンプルで説明の要らない操作に比べると、
「難しさ」が真っ先に感じられる。

……ちょっとだけ、焦った。

これは、どういうことだろう?


つづく(1/2)