改めて思い起こせば、
ピクミンの水の表現は衝撃的であった。
あの透明感はなかなか出せるものではない。
「水たまり」の表現としては、
当時としても今としても、
相当なものであるといっていいだろう。
その上で……注目しておきたいことは、
ピクミンの「水」の使い方は、
ゲーム的な視点でみても
相当なものである、という点である。
ピクミンの水は、その透明感に定評がある。
ゲーム中のオブジェクトとしては、
美しいが、視認性としては高くない。
いわゆる、
「景観としてはすばらしいが、
自己主張をしないパーツ」となっている。
よく言われるところの、
綺麗だが、画面にとけこんで見えない、
というタイプのグラフィックだ。
こいつは、
ゲームデザインという観点から見ると、
実はとんでもないことである。
ゲーム「ピクミン」においては、
水は、とんでもない危険地帯である。
何しろ、青以外のピクミンは、
水に入ると短時間で死亡してしまうのだ。
他のゲームにたとえるなら、
これは即死クラスの
ダメージフィールドということになる。
考えてみればわかるだろう。
DQの「毒の沼地」は、
一目でわかる配色になっている。
バリアも、何も、そういった場所は、
「危険な場所」であることが
わかりやすいようなデザインに
なっているのだ。
これは、ゲームデザインというか、
インターフェイス上の定石といっていい。
ところが、ピクミンはそれをやっていない。
ダメージフィールドとしての
「わかりにくさ」はゲーム史上屈指だろう。
いったい、なぜこんなことをしたのか?
ここに注目しなければならない。
もちろんのことながら、
「見た目重視! ゲーム性軽視!」
などというオロカな判断で
やられたわけではナイ。
これは、このゲームのテーマにも関わる、
重要なポイントを提示しているのだ。
……ピクミンは、弱い。
ゲーム中に、一対一で勝てる敵が、
ほとんど存在しない。
水でおぼれて、あっさりやられる。
敵にまとめて、喰い殺される。
でも、その一方で、そのピクミンが、
チカラをあわせると、
強大な敵を撃破できる。
いろんなことが出来るようになる。
一人一人では何もできない彼らと、
チカラをあわせて困難を乗り越えていける。
これが、アリをモチーフにしたといわれる、
ピクミンの基本構造だ。
この基本構造を、端的に示したのが
あの「水」の使い方だったのだと思う。
ちょうど一面を乗り越え、強さと便利さが
わかってきたあたりで、
ピクミンの弱さと、自然の怖さを、
ユーザーに突きつける。
ゲームの基本構造、自然の大きさ、
ピクミンの弱さ、はかなさ……
その他もろもろ、すべてを伝えるための、
あの配置だ。
ゲームとして見ると、
かなり変わった表現になるだろう。
この「水」に、これだけの意味が
こめられている。
これはやっぱり、すごいことだと
私は思うわけですよ。
教育面での配慮まで伺えるのがスゴイところ。
配置ひとつで、
そこまで考えさせることができる。
……まあ、そんなこんなで、
ピクミン2は、ピクミン1より、
バランスは非常によくなっているけど、
メッセージ性では弱まっているんだよなあ、と
再確認した次第。
実は、「水である」ことに、
もう少し別の意味もあるんだけど……。
まあ、その辺は、長くなったから
またの機会にしましょうかね。
ともかく、意志をこめてこその「デザイン」であり、
「ゲーム」であると思うわけなのですよ。
そこから、何を受け取るかは、
プレイヤー次第なんですけどね。