初出:2005年06月15日

この記事は旧サイト より移動してきたものです。



こちらのページ で、コアミックス代表取締役の堀江信彦氏の言として、

こんな言葉が紹介されていた。


マンガ編集のキモは絵コンテに対し批評ができること、と繰り返し言っていた。

くれぐれも完成マンガに、ではない。絵コンテに、だ


至極もっともな話である

ゲームを作る立場としても、この話には通じるところがあり、

大いにうなずかされた。


ゲームクリエイターにとって、非常に重要な能力は、

作りかけのゲームを見て、どこを直すべきか指摘する」力である。

たいていのゲーム作成において、「企画書のとおりに作って面白い」ことはマレで、

作りながら、どんどん直すのが必要になってくる。


ゲームを作るとき、ゲームの完成形が

見えてくる時期というのは、驚くほど遅い。

完成形が見えて、そこでミスが発覚しても、

「それを直す時間がない」なんてことは普通にあることなのだ。


(そこで、どうごまかすか、というのもウデのひとつだったりする)


で、あるからにして、完成形を見て、

「こっちのがいい!」と言えるだけでは、

企画者としてはものの役にはたたない


未完成のゲーム、できれば企画書を見て、

「どう直すべきか」「どのあたりが問題点になるか」を測る能力が

要求されるわけである。



そうでなければ、よいゲームを作るのは、なかなかに難しい。

「ゲームの欠点」を見つけても、「直す時間がない」ことは非常に多い。(*1)

「欠点を察知するチカラ」は、

「チューニングのうまさ」の核となる力といってもいいだろう。



……とはいえ、これはもちろん、簡単に身に付く能力ではない。





私がゲーム業界に入って、まず驚いたのは、

プロの書いた企画書の面白さ」だった。


会社が過去に作ったゲームの企画書がデータとして残っていたので、

それを読んだときの話である。

これが、またどれもこれも面白いのだ。


「ああ、こんなすごいアイデアに基づいて作られたんだなあ」

「うお、これはやってみたい!」


そんな感想をもたせる文書ばかりで、感嘆させられ、

それでいて、完成品をやってみると、

たいして面白くもなかったりするのである。



……どのタイトルがそうだったか、など、口が裂けてもいえないが。



無論、その中には

「作っていく最中でおかしくなってしまったもの」なども

あったのだろうが、

実際には企画の段階で方向が誤っていたものも多いのだ。


そいつを指摘できるようにならなければならないわけだ。


当時の私はそんなことはわからず、

「ゲーム作りは難しいものだ」という事実を痛感するばかりだった。

こういう力をつけるには、やはり、ゲームというものの仕組みの研究と、

実際に企画書を読んでみる、書いてみるという作業が必要だろう。


ゲームを作ってみたい、という人なら、

企画書を「書いてみる」「読んでみる」「分析してみる」のは勉強になるかもしれない


「読んでみる」はなかなか難しかろうが、

とにかく、やってみるしかない。


同志を集め、企画書の批評などをやってみるのも

面白いのではなかろうか。

(そこにプロが混じっていれば、いうことなしだ)


ゲームデザインの訓練として、非常に有用であるのではないか、と思われる。



……でも、それは「ゲーム会社に就職する」役にはたたないと思うので、

その点だけはあしからず。



(*1)ダメゲーをやっていて、「これ、作ってて気が付かなかったのかなあ」とか

言いたくなるダメな部分に遭遇したりするのは、このあたりが原因だったりする。
中小メーカーには、いったんできたものを作り直す

企業体力がないのだ。