母方の親戚はマナーなどに対して厳しいですが、みんな安定した生活を送っているので、彼らの視線を感じて生きるのが嫌いではありません。
まるで、社会に認められるように、厳しい先生たちのご指導を受けている気分です。
でも、父方の親戚は違いますね。
子供たちの生活がみんな大混乱なのに、嫁たちの悪口ばかり言っているし、家も汚いし、そのご指導を受ける意味がわかりません。
それでも、お父さんにとって大切な家族ですから、なかなか縁を切ることができませんでした。
幸いに、私の結婚式にはある事件が起こりました。
台湾の結婚式は、家族と親しい親戚が新婦や新郎の家で儀式を行ってから、レストランへ行って披露宴を行うのが普通です。
儀式が朝早くから多忙になるから、その頃に来てくれるのは、基本的には長年間親しく付き合っている方ばかりです。
正確に言うと、その儀式を参加する親戚たちは、誘ってきたのではなく、「参加するよ」「手伝うよ」「私にとっても大切なことだから、欠席するわけがない」って自分で提案してくれたのです。
ちょっと、暗黙の了解のように誰でも自然と「出席すべきかどうかわかる」という感じです。
そして、私の結婚式の日に、儀式が無事に完成してから、レストランへ行きました。
父方の従兄弟たちの中に、みんなの兄貴が来て「台南へ行っても、私たちは家族だから、協力が必要があればいつでも遠慮なく教えてよ」って言ってくれました。
兄貴も生活が混乱している一員だけど、人の悪口を言わないし、暖かい言葉をかけてくれるし、嫌いではありません。
むしろ、好きです。
そして、その兄貴はまた「他人に何を言われても気にしないでね!気にする必要がないよ!」って言ったので、まるでもう何を言われたようです。
では、何を言われたのでしょう?
後で知りましたが、
なくなった伯父さんの子供たちは、「朝の儀式に誘われなかったので、仲間外れた気がして!私たち『孤児寡母(一家の大黒柱である夫を失った女性と幼い子)』をいじめるつもりなの?!」って怒ったそうです。
ここではちょっと説明しますが、
1.私は結婚した時には27歳。その「孤児」たちは、30~45歳でした。
2.私は小学校の頃には、その「孤児」たちは、すでに親と喧嘩して家を出て音信不通になって、30歳になって借金まみれで帰宅したのですから、私は、その「孤児」たちとは会ったことがあまりないのです。
3.喧嘩を売る理由は、祖父を世話する仕事を分担したくないから、理由を探して逃げたいだけです。でも、何も言わず遠く逃げないのは、借金まみれでみんなの協力が必要ですから。
お父さんはずっと亡くなった兄の代わりに子供を世話してあげよう!と思って、私に「あの人たちはもう成長して安定した生活を送っているので、Sineadも彼たちを自分の兄弟として仲良くしなさい!」って言っていましたから、それを聞いて一番悲しいのはもちろんお父さんでした。
でも、私にとって縁を切る絶好のチャンスでしたから、喧嘩を、買いました。
具体的な内容はもう覚えていないけど、SNSなどで事情を説明してから、「大切な結婚式なのに、騒動を起こすやつが許せない。そういう家族がいらない!」って盛大に宣言して、そういう連中のアカウントをブロックしました。
あ~~~~~~
すっきりしました。
人生も心も。
その後、お父さんは一度も「仲良くしなさい」って求めることがありません。