病院の面会室で両親を待っている時、急にお誕生日の歌の歌声が聞こえました。
弱いお爺さんの周りに、家族たちが誕生日ケーキを捧げて歌っている景色が目に入りました。
どんな病気かわかりませんが、でも、わざわざお誕生日ケーキを病院に持ってくる家族だから、お爺さんと一緒にいるすべての瞬間を大切にしているだろうと思って、「記念写真を撮りませんか」って声をかけました。
すると、その娘さんは「はい!お願いします!」って嬉しくスマホを渡してきました。
写真を撮ってから、「お誕生日おめでとうございます。」ってお爺さんにお祝いしてから、席に戻りました。
そして、
「すごいね。」って、お姉ちゃんがほめてくれました。
「別に。」って、声をかけることをほめていると思いましたが......
「私だったら、泣いちゃうよ。」って、お姉ちゃんが言いました。
「えっ?!」ってお姉ちゃんの顔を見れば、なんと、目が赤くて泣きそうな顔でした。
ちょっとびっくりしましたが、わかりますね。
愛している人と一緒に1秒1秒を大切にしたい雰囲気を感じると、泣きたい気持ちがわかります。
昔の私だったら、お姉ちゃんと同じく泣いてしまうから、うまく声をかけることができないと思いますが......
お父さんが発症してから、だんだんとそうじゃなくなりました。
いきなりの発症で、みんな彷徨っていました。
彷徨っていても、すぐに決めないといけないことがいっぱいですから、先生たちと話し合って判断を下すことができるのは翻訳仕事のおかげで医療用語を少し知っている私だけです。
冷静に状況を把握して、家族の希望を伝えるには、余計な感情がいらないのです。
だから、いつの間にか、感情が封印されたようになりました。
お父さんが何回もお姉ちゃんに「手放すべきな瞬間が来たら、手放してください」ってお願いしてから、お父さんと二人きりの時間を作って、
「手放すべきな時が来たら、私は蘇生を行わない指示を出す。むしろ、その指示を出すのは、お姉ちゃんではなく、私であるべきだから、私が来るまでに待ってください。」
「お母さんが蘇生を行わない指示を出す人を恨むかもしれないから、その恨まれる対象は、遠い台南に暮らしている私であるべき。お母さんを同じく中部に暮らしているお姉ちゃんに任せるから、手放すべきな時が来たら、指示を出すのは私であるべき。」
「だから、私が来るまでに待ってください。」
お父さんはそれを聞いて「ごめんね。」って涙がこぼれましたが、私は二人きりの時間が短いから、それを無視して、病院から聞いた関連事項を説明しました。
お父さんは、娘の冷たさで驚いたかもしれませんね。
私も、驚きました。
泣き虫だった私は、こんなに冷静に、無機質な感じで対応することには、驚きました。
それ以来の私は、ずっとこんな感じ。
だから、そのお爺さんと家族の団らんを見て、「これが最後であってもおかしくない場所だから、記念写真を撮ってあげよう」と考えても、泣きたい気分はまったく湧いてきませんでした。
ちなみに、その家族はお礼として、お誕生日ケーキを分けてくれました。
おいしかったですよ。