台湾を嫌いにならないでください........ | 台南在住日記とか

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Made in Taiwan, Live in Taiwan.

 台湾人の李琴峰さんは芥川賞を受賞したことって、台湾人としては光栄の極みですが、まさか李さんの昔の言論で逆に日台の友情に水を差すリスクが高まりましたね.........えーん

 

 実は日本の政治については、みなさんのコメントや記事で、去年から少しずつ「あ~日本人はこんなことで困っていますね」「なるほど!日本人はこう思っていますね。」って理解してきましたが、満点は100点であれば、知っているのは2点くらいショボーン

 

 だから、李さんの言論を批判する資格はありませんが、

 

 李さんの反日疑惑がこれ以上炎上すると、いつか日本人は銃剣で子どもを殺していたのよ——「親日」と「反日」の狭間でという記事まで見られると思いますから、ちょっと語ろうと思います。

 

 まず、李さんは1989年台湾の彰化に生まれ私は1988年台湾の彰化に生まれ李さんは中二の頃から日本語を独学私は中三。その後も同じく訳者になりました。

 

 結局は、一般人芥川賞を受賞したエリートという莫大な差が出ましたが、一応似ている状況なので、少し語る資格はあると思いますね。(でも.........一歳年下なのに、やっぱりちょっと嫉妬。キョロキョロ

 

 私たち暮らしていた彰化は、国民党の支持者が多いので、実はいつも例の国について文句をつけている私は国民党出身とは言えます。

 

 私にとって、国民党は正統、民進党は社会秩序を乱すおかしい政党でした。

 

 「例の国を従うと、戦争はない。だから、台湾独立を言っている民進党は平和を破壊するやつ。」という価値観はそこで普及していますね。

 

 私は民進党を支持するようになるのは、今の蔡総統は例の国に挑発する言葉を避けながら、戦争を避けるために国を強化している対策を認めていますから、どちらかというと、「家族と一緒に暮らせる平和な日常」を守ってくれる人を支持する感じです。

 

 本題に戻りますね。

 

 この環境の中には、日本人は銃剣で子どもを殺していたのよ——「親日」と「反日」の狭間でで語った戦争時代の日本軍隊の怖い話を聞いたことが........あります。

 

 でも、李さんと違うのは、私は本省人側なので、感情を入れて「日本は侵略者」と言った人に会ったことがありません

 

 父側のお爺さんは日本軍の訳者

 

 母側の親族は日本の名前(日本の漢字を使って名前を付けるなど)呼び方(台湾華語の「哥哥」ではなく、日本語の「兄さん」で呼ぶなど)を使うくらいの親日派

 

 だから、親族たちは「Sineadは日台の交流イベントを参加して日本へ行くよ」って知ったら、お祝い金をくれて「光栄ですよ」ってお祝いしてくれました。

 

 そして、多彩な経験をくれた自由な高校♥で説明したように、高校時代の先生たちにとって、「日本語が話せる生徒=生かすべき」で、李さんと同じ時代に同じ彰化に暮らしていても、その記事とは真逆な環境でした。

 

 もちろん、李さんは嘘をついてないと思います。

 

 その時代の教科書は確かに「日本」を悪者として扱っていましたから、感情を入れてそれについて語っている歴史の先生は絶対にいると信じています。

 

 でも、個人的な経験では、先生たちは「テレビからこういう話を聞いたことがありますよ」という感じで伝えたので、皆も「へぇ~そうなんだ」って他人事のような気分で聞いていました。

 

 そういう差は、やっぱり「本省人集落」v.s「外省人集落」から生じたでしょ?(李さんは本省人か外省人かわかりませんが、私は本省人なので、やっぱり歴史的な視角が違うせい?って推測しました。)

 

 だんだん大人になってから、近年も「抗日戦争」についての日に「日本軍側だったのに、抗日戦争をお祝いする理由は?」って本省人の間に考え始めました。

 

 複雑で色々考えてもわからないので、その時代の台湾人の代わりに結論をつけなくて戦争時代のことを慎重に扱いたいです。

 

 でも、この時代の台湾人として、日本と一緒に平和を守りたいって言う資格はあると思います

 

 そして、コロナ禍で苦しんでいる日本人の国民の怒りをたくさん拝見したので、こちらも「日本の政府よ。もっと国民たちの心に寄り添ってください」という気分を生じましたが、安倍政権の親台姿勢には感謝しています

 

 李さんのことは何も知らないので、もちろん李さんの代わりに謝る資格がありませんが、台湾人として謝りたいです

 

 コロナ禍のピンチでいろいろ助けてくれたのに、台湾側は日本の国民に不快にさせる有名人がいて本当に申し訳ございません。