先週の土曜日、旦那のお婆ちゃんがなくなりました。
この前に言った毒舌なお婆ちゃんじゃなくて、もう1人のお婆ちゃんです。
そしてさっき、実家からもお爺ちゃんがなくなったと伝えられました。
なんというか......
今の気分は悲しいより、呆れた?いや、上手く言えないほど複雑ですね。
最近はちょうど、日本のドラマの俺の家の話を見ているので、私もちょっと私の家の話を語ろうかなぁ?
台湾では、お父さんの両親を「爺爺(イェー・イェー、お爺さん)」、「奶奶(ナイ・ナイ、お婆さん)」と呼んで、お母さんの両親を「外公(ワイ・ゴン、お爺さん)」、「外婆(ワイ、ポー、お婆さん)」と呼びますね。
私は生まれた時に、奶奶と外公は既になくなったので、ずっと外婆子で、外婆がなくなった時には世界が崩れそうになってとても悲しかったです。
でも、今朝なくなった爺爺は違います。
私は20才以上年上のいとこがたくさんいるので、爺爺にとっては数えきれない孫たちの一人で、会わなくても平気です。
お爺ちゃんとの接点はお父さんと日本語でした。
お爺ちゃんは若い頃には日本軍人の通訳でしたから、大学で日本語を学ぶ孫がいることには大喜び、会う度には通訳時代の思い出を教えてくれます。
それを機にお爺ちゃんと仲良くして、お父さんと一緒に親孝行しようと思いましたが、それはお爺ちゃんとの最後の思い出です。
長い長い文章だけど、10年間の悩みとはさよなら♥♥♥の記事での叔母さんは教えてくれました。
お爺ちゃんはお母さんにビンタを食わせたことや、お母さんが義実家で遭った苦しみなどを教えてくれました。
私はお母さんをいじめた人たちを愛せないけど、お父さんのために普通に挨拶していってもいいと思いましたが、お爺ちゃんとは会えません。
お爺ちゃんは外出好きなので、挨拶に行くよと約束しておいても待ってくれないのでなかなか会えません。
私の結婚式にも退屈だから逃げましたから、お爺ちゃんとは十年ぶりです。
それでも、お父さんと笑ってお爺ちゃんのことを話していましたね。
お爺ちゃんは恋愛体質なので、お婆ちゃんがなくなってからずっと恋人が途切れなかったですが、別れる理由はいつも相手がこの世にさよならだから。
お爺ちゃんは若い頃に投資で借金まみれでしたが、年をとっても投資が大好きなので、お小遣いをもらえるとすぐに株を買うけど、いつも高い時に購入、安い時に売ります。
お爺ちゃんは運転を禁止されても外出したいので、タクシーを乗って公園へ行きます。
お爺ちゃんはお母さんとはお互いに嫌いですが、お爺ちゃんがお母さんの手料理が好きで、お母さんは文句を言いながら、大事に料理を作ってお父さんに送ってもらう姿を見て、その矛盾さに微笑みます。
旦那の毒舌お婆ちゃんは「私はもう価値のない老人ね。早く死ぬべきね。」って言う時には、いつも「ごめんね。お婆ちゃん、うちのお爺ちゃんより年下のお婆ちゃん。うちのお爺ちゃんがまだまだ恋愛中なのに、このヤングガールが何を言っているかわかりませんよ。人生はまだまだ長いですから頑張ってください。」って返事しましたね。
でも、もうそれを言えませんよね。
お爺ちゃんを愛してないのに、やっぱり悲しいですね。