帰省した期間、6歳の姪とダイヤモンドゲームを遊んでいました。
負けず嫌い子で、負けそうになるとすねるので、個性を尊重しながら負けても何とかできることを教えてあげるために、皆は違うキャラで頑張りました。
その子は旦那が大好きなので、旦那は彼女がすねる時に、残りのこまをどうやって目的地に行けるか一緒に考えてあげました。
私はわざと負けて大袈裟にすねてみせて、勝者の勝った気分が破壊されることを経験させました。
その子の両親は「叔父ちゃんのように負けても考えて勉強すれば、今度は勝つかもしれないね。」「ほら、さっき叔母ちゃんが勝った時には、あなたもそうしたよ。」などで説明してあげました。
効果がどうかわからないけど、とにかくできるだけ頑張りました。
その後、私は「一位が好きだ」って主張した姪ににやにやして「それはいいね。小学生になっても覚えてくださいね。お母さんから「一位が好きじゃない?なんでテストでは一位取れないの」って聞かれた時には、今の自分を忘れないでくださいね。」って言いました。
「一位はよくない。一位はストレスが大きすぎるよ。」って私のお母さんに言われたので、冗談に「あれ?じゃあ、何で私は一位を取らなきゃだめ?」って文句を言いました。
「やっぱりあなたの記憶がおかしい。私は自分も成績が悪かったので、あなたたちを自由に勉強させてたよ。一位取れなんて言わないよ!Sineadはいつもゆがんだ記憶を言っているじゃない?」ってお父さんが主張しました。
そういえば、両親が姪を教育した時に、たまにはやめたほうがいいやり方があったので、「子供だから大丈夫じゃないよ。私の子供の頃にも××××をわかっていたよ。言ってないだけだった。」って止めますが、お父さんはいつも「そんなことないよ
」って持論します。
お父さんに疑われても、自分の記憶を信じています。
なぜなら、お父さんにとって、子育ては忙しい暮らしの一部だけですが、子供の私にとって、両親の教育が私のすべてなので、私の大事な思い出をお父さんが覚えていないのも当たり前でしょう?
一位のこともそうでしょ?
でも、姉もお母さんも会話を参加すると、だんだん気づきました。
お母さんは一位を求めてなかったけど、98点(台湾は100点が満点)で二位とっても、間違った問題について真剣に検討しますから、小学生であった私は一位が取らなきゃだと誤解しました。
姉もお母さんもそれを覚えていますが、お父さんは初耳みたいです。
だから気づきました。
確かにね。
勉強についての思い出の中に、お母さんしかいません。
お父さんはたぶん仕事や何かほかのことで在宅ではありませんでした。
だからね。
びっくりしました。
まさか、お父さんは娘たちがいつも自分の力で上位取れたと思っていましたか?
そんな天才ではありませんよ。
お母さんがすごく頑張ってた成果ですよ。
たぶん、その日に、お父さんはビックリしたと思いますね。