週末には旦那の氏族のお祭りで、台湾の各地に暮らしている何百人がこの日に集まりました。
久しぶりの親族に会えてうれしい旦那のお婆ちゃんは、ずっと知り合いを探していました。
でも、何百人がいて、その中に知らない人がほとんどだし、みんなマスクをつけているから、探しても見つからないお婆ちゃんが寂しそうな顔でした。
だから一緒に探してあげて、見つかったらすぐに声をかけて、お婆ちゃんたちの集会を作りました。
でも、お婆ちゃんたちは知人が年々減少のことを寂しそうな顔で話し合う様子を見ると、自分もちょっと泣きたい気分になりました。
その時、お婆ちゃんは急に激しい咳が始まったので、背中をパンパンと叩いてあげて、ようやく咳が止まったお婆ちゃんは私を見て、知り合いのお婆ちゃんに紹介しました。
「この子は、孫の嫁だよ。」
はいはい、褒めてくれるよね。
私は笑顔で他のお婆ちゃんたちに挨拶したら、旦那のお婆ちゃんが続きました。
「結婚して何年も経ったのに妊娠してない。まったく!」
えっ?!そっち?!!!
私だけではなく、お婆ちゃんたちも周りの親族もみんな目を見開いて、まるでびっくりマークの集会になったので、傷つかれるより面白かったです。
旦那のお婆ちゃんは毒舌ですが、なぜか憎めませんね。
私と姉は自分のお婆ちゃんが大好きだから、他のお婆ちゃんに余計に寛容になるのも理由の一つだと思いますが、でも、最も大きい理由は周りの人の態度に影響されたからだと思いますね。
お婆ちゃんは男性の子孫へは褒め言葉しかありませんが、女性たちに会うとすぐに人を傷つける言葉を出します。
「まだ結婚しないの?あんたは枯れたよ!」
「あんた、太いね!」
「あんた、どうして妊娠できないの?堕ろしたことある?」はい、この被害者は私です。
本当は怒るべきですが、女性陣は全員あたるので、出席を取る気分で「でへへ」って受け取ります。
そして、本当にひどすぎる言葉があれば、当人以外の人はすぐに「おいおいおい、お婆ちゃん!」って漫才みたいな感じでツッコミしますから、意外と女性陣を団結させました。
普通は結婚したら、女性の人間関係がもっとも複雑だと思いますが、お婆ちゃんのおかげで、仲間意識を作ってくれました。
さらに、お婆ちゃんは毒舌だけと、実は自分の言葉が人を傷つけることがわからなさそうですね。
ツッコミられたら、とても困惑な表情が出て、時にも言わないように我慢している様子もあるので、92歳になっても頑張ってくれるお婆ちゃんが可愛いと思います。
だから、憎めませんね。
それに、対応策がわかっています。
お婆ちゃんをインタビューすればいいです。
私は、時にはお婆ちゃんの子供の頃のことを聞きますね。
そして、お婆ちゃんは素直に教えてくれます。
1928年くらいに誕生したお婆ちゃんは、まだ子供の頃、お金持ちの家でベビーシッターとして仕事していました。
雇用者は村の一番のお金持ちで一番のブサイクですが、一番の美人である妻を持っていました。
お婆ちゃんは毎日頑張って仕事していましたが、給料はすべて雇用者から浪費家であるお父さんに直接渡すので、お婆ちゃんは自分の給料を見たことがありません。
でも、給食も温かい部屋もあるし、雇用者から服をもらえるので、お婆ちゃんにとって悪くない思い出でした。
そんなお婆ちゃんは、空襲に遭ったことがあります。
アメリカの戦機がきて、日本の植民地である台湾を襲撃しました。
壁もドアも射撃された痕跡だらけ。
でも、そんなお婆ちゃんは、日本人もアメリカ人も嫌いではありません。
彼女にとって、日本人は普通にこの土地で一緒に暮らせた人たち、アメリカ人は糧食を援助してくれた人たち。
「アメリカ人からの糧食から、すごくきれいなゴールデン指輪を拾ったよ。」
お婆ちゃんは、このことを話す度に、目がキラキラになりますね。
お婆ちゃんは、歯を食いしばって憎むのは、糧食を奪う軍人たちだけ。
お婆ちゃんが毒舌すぎても憎めないもうひとつの理由は、たぶんそれですね。
とても苦しい時代を経てたお婆ちゃんだから、これくらいのわがままは許してあげたいですね。
白色テロのことを書いてた時に、よくお婆ちゃんのこの話を思い出していました。
お婆ちゃんのその記憶も、今の私たちにとって大事な宝物だと思いますから、ここではちょっと記録させてもらいますね。