(閲覧注意:ここからの歴史事件には不快になるかもしれませんので、ご注意ください)
その時代の台湾人は、軍人に搾られたり、強盗されたり、不満が衝突になりました。
日本で留学して台湾に戻って、医者、政治家など社会のエリートたちは、衝突を調停するために積極的に政府と交渉しました。
「いいよ。上の人は中国から権力者を派遣してくるので、その人と交渉しなさい。」
ようやく平和に戻れると嬉しく思っていた台湾人は、迎えてきたのは上陸すると銃を掃射する軍隊でした。
調停係のエリートたちも捕まえて、人前に銃殺。
たくさんの男性が捕まえて、鉄糸が彼たちの手のひらを突っ切って何人を繋がり、そのまま崖っぷちにつられて行きました。
掃射されて、海に落ちて、死体が波で砂浜に送られました。
遺族たちは空が暗くなってから、こそこそ大事な家族を連れて戻しました。
私は最初に白色テロの恐ろしさを感じたのは、ネットでこの事件を読んだ時です。
反論する人もいて、全体的な状況を知っている人も少ないですから、私のこの認識は100%信用できるとは言えませんが、でも、確信できるのは、エリートたちの犠牲。
私はこの唄を聞いた時に、まず思い出したのはエリートたちの悲劇。
この唄の前半は誰かを待っている女性で、特になにか事件性を感じられませんが、「きれいな君よ 君が旗を高く掲げる姿を思い出した」からは薄く何かを感じられますね。
日本語での「旗を高く掲げる」も何か偉いことをする意味を持っていますよね?中国語では「揭竿起義(ジェ・ガン・チ・イ)」という言葉があります。
それは「革命」で使う言葉です。
そして「時代の変わり 孤独な私は一人ぽっちで 神様を聞くのもできない」の原文は「時代的變卦」で、その「變卦(piàn-kuà)」は晴天が急に嵐になってしまう感じですね。
それに、普通に行方不明になる人は「時代」とは関係ありませんよね?だから、何か「歴史事件」を語っていることを気がしました。(もちろん、私はこの唄を聞く前に、「白色テロ」というキーワードを拝見したことがあります。)
次は「君は君の白い馬を乗って 自分の道を歩いてよ」。
「白い馬の王子様」のように、台湾の歌仔戲では「我身騎白馬走三關(ワ・シン・キャ・べ・メー・ザォ・サン・グァン、白い馬を乗って三つの関所を乗り越えた)」という有名なセリフがあって、その白い馬を乗っている人は主人公です。
つまり、ポジティブなイメージを持っています。
やっぱり、その旗を高く掲げる相手は偉いことを頑張っていますよね?だから、捨てられたような女性の中に神聖なるイメージを持っています。
でも「あなたの魂を鎮め いつか一緒に彼岸へ行こう」のように、あの人は死んでしまいました。
ちなみに、原文の「轉去(tńg-khì)」は「帰って行った」という意味です。
「A子はどこへ行ったの?」
「家に『轉去』だよ。」
ここは「家に帰った」という意味ですが、
「A子は久しぶりね。どうしたの?」
「......『轉去』だよ。」
もし、とても残念な顔でそう答えると、「天国へ戻った」という意味です。
そして「(彼たちが)発砲し続ける銃」まで見ると、わかりますよね。
「偉いことを頑張っている人は、誰かに銃殺されました。そして、遺族は加害者を知っているような感じですが、相手の名前が言えないほど怖くて、そして、時代の変わりと関係あります。」
それは、白色テロですね。
台湾人のために、軍隊と交渉しようとしたけど、銃殺されたエリートたちのことだと思います。
ちなみに、「有緣無份(ū-iân bô-hūn)」の「份(hūn)」は長く一緒にいることです。
台湾語も中国語も日本語での「縁」を「緣份」と言います。
愛し合う恋人は何か事情で結婚できない、親子は何か事情でもう会えないなどを「有緣無份」と言います。
恋人になれるのは、縁があるからです。
親子になれるのも、縁があるからです。
出会えるというのは、「縁」。
でも、最後まで一緒にいられないのは「分量」が少ない感じですね。
だから、このような状況は「有緣無份」です。
ちなみに、「氣身惱命(khì-sin-lóo-miā)」は私の口癖です(笑)
「あ~~~もう~~~」「あ~~~まったく!」「おい!ぶっ殺すぞ!」「そんな!」「バカ野郎!」という状況では「氣身惱命」を言いますね。
以上は台湾の重い歴史でしたが、台湾人はこれからもグルメを食べながら前向きに頑張ると思いますから、心配しないでくださいね。
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